はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

選んで捨てたわけじゃないものに

捨てるのが嫌で

何もかも捨てることができなくて

その結果、手放してきたものが腐るほどある。

 

 

ほんの一部の世界しか知らないのに、

その選択肢の中から

この先の人生が決まるであろう選択をするのが

とてもこわいんですと言ったら、

「大学に行くという選択をした時点で

 手放してきたものが沢山ある」

ということに気付いていないだけだよって

言われた。

 

 

そうか。

私はもう既に、いろんなものを手放してきたんだなぁ。

 

選んで捨てたわけじゃないものが、

捨てようと思って捨てたわけじゃないものが、

他の何かを手に入れるために

無意識に手放していた沢山のものが、

私にとっての「当たり前」を作って

体をカチコチに縛って苦しめていたんだな、

と気づいた。

 

 

そして同時に、捨てた意識もないものに

実は大切なものが詰まっていたかもしれなくて

こんなことを考えても仕方ないけれど、

「結果的に手放すことになってしまったもの」を

違う何かで埋めようとずっと探し続けてしまって

いたことに気付いた。

 

 

 

でも、と思う。

 

捨てた意識なく手放してきた何かがあるのなら

得ようとせずして手に入れてきた何かもある筈で

だけどそれって一体どんなものだろうって

考えてはみるけれど、自分じゃ全然分からない。

 

 

 

 

 

「その選択で、一生が決まると思うじゃん?

 決まらないから。」

 

 

あまりにも爽やかにそう言われて、

返す言葉を失ってしまった。

 

私にとってはおっきくておっきくて

目の前に立ちはだかっているこの壁が、

越えてみたら案外小さな壁だったりするのかな。

 

でもそれは経験したから言えること、

未経験の私にはそんな言葉まともには信じられなくて

むしろその言葉が種となって、

受け取った言葉が頭の中でぐるぐるしている。

 

 

 

誰かに決断を委ねたり

誰かのせいにできる人生は楽で、

ぜんぶ自分で背負っていくしかないんだと

気づいてから

背負って生きることが美徳なんだと

脳に思い込ませながら生きてきた。

 

 

 

壁にぶつかって挫折した時、私は人に

あまり相談をしない。

というより、したくない。と思ってしまう。

 

 

それは直接的な言葉で励まされることが苦手で、

ちょっと恥ずかしくて、

もらった言葉を素直に受け止め切れない自分がいたら

どうしよう、とかって思ってしまうから。

 

 

それに、直接的な励ましよりも

間接的に投げかけられた言葉のほうが、

その言葉によって自分が傷つくことを避けることもできる。

 

 

結論を出すための思考を放棄したくなくて、

たった1人で悩んで考え抜くことが必要なんだと

そう思いながら生きてきた。

 

 

悩んでいる過程も、出した「結論」の一部なわけで、

だったらその「過程」でとことん悩み抜かないと

納得のいく「結果」は出せないと思っている。

 

 

その人生を歩んできたその人だから成功したことって

山ほどあって、その「決断」自体に、自分の

人生に還元できるヒントがあるとは思っていない。

 

 

それよりも、その「決断」に至るまでのストーリーを

知ることのほうがよっぽど参考になると思ってしまう。

 

 

だけど、ずっと一人で考えていると

抵抗と防衛が邪魔をして、前に進めなくなる時がある。

 

何回も何回も同じ思考を繰り返しては、

自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 

悩み終わった後で人に報告するのは得意なんだけど

現在進行形の悩みを

リアルタイムの感情を混ぜながら伝えることが

どうしても苦手で出来なかった私は、

昨日、ちょっとだけその壁を乗り越えてみた。

 

 

悩んでる自分を

等身大のままぶつけるのは勇気がいったけど、

言葉は案外自分の気持ちを丁度良く乗せて

運んでくれて、同じ温度で返ってきてくれた。

 

心がだいぶ、軽くなった。

 

何より、不幸せで不必要な思考のサイクルが止まって

くれるのは、他者が在ってからこそだな

と思った。

 

 

こういうふうに思える小さな積み重ねが沢山あったら、

今よりももっと軽やかな思考で

生きてこれたのかなー、とも思った。

 

 

 

でも、どの道を選んだって、その道自体が

ソトから見て正解だとか不正解だとかではなくて、

この私が選んだからこそ意味のあることが

きっとあるのだと思う。

 

 

何かを捨てることにこわくなりすぎてしまうのは、

いろんなものを捨ててきた上に自分の人生があることに

気付いてないでいるから。

 

 

 

大切なのは、捨てたもの/手放したものが

何なのかってことではなくて、

取捨選択の連続で出来上がった自分という人間が

歩んできた道を振り返った時、

その選択のすべてがなければ、悩みとか挫折を含めた、

そこから生まれる新しい道の「始まりの点」は

生まれなかったのだと

気付けることなんじゃないかな、と思う。

 

 

それが「自由になる」ということであって

しがらみや過去に縛られずに生きていく

ということなのかな。

そういうふうに生きていけたらいいな、って思ったこと

 

 

忘れないように

ここに書いておこうっと。