はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

8月31日の夜に

 

 

# 8月31日の夜に

 

 

こんなハッシュタグを、知っていますか。

 

 

 

 

夏休みが終わる8月31日から

夏休みが始まる9月1日にかけて

子どもの自殺率が最も高くなることを受け、

"無理に学校に行かなくてもいいよ"というメッセージを

このハッシュタグとともにツイートしたり

noteにまとめたりする動きがある。

 

 

 

 

その殆どが子どもたちに届くかは分からないけれど

時代は少しずつ、よくなっているなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

思い出して話そうと思えば、

涙が先に出てきて、冷静に話すことができない。

 

 

 

(まぁ、辛すぎて記憶から消してしまって、

ほとんどのことをもう思い出せないのだけど…)

 

 

 

 

経験者なのに、そのことについて語ることのできない

私は、今まさにそれで苦しんでいる誰かを励ます

言葉をかけてあげることも、

背中を押してあげることもできない。

 

 

 

 

 

でも、その時の悲しみや悔しさを超えてきたこと、

言葉にならない気持ちや背景にあるものを想像して

自分だけじゃない誰かを思い大切にしてきたこと、

 

 

そんな日々が今の自分を何よりも支えてきたこと

 

 

 

これくらいなら、言葉にして伝えられる。

 

 

 

 

今いる環境が全てではないし、

誰にだってありのままの自分を受け入れてもらえる

居場所がある。

 

 

 

 

 

"学校に行かなくてもいいよ"と言われても

学校に行かないことを選択できなかった。

 

 

 

 

"なんかあったらすぐ言ってね"と言われても

そんなことを口にできる勇気もなかった。

 

 

 

 

 

 

学校を休んだからといって

辛さがなくなるわけではないし、

将来のことを考えたら

学校に行かないことなんて考えられなかった。

 

 

 

 

でも、何十年も先の将来のことのために、

その時の感情や心の叫びを潰して生きることを

選択してしまったことは、

実はいま1番後悔してることかもしれない。

 

 

 

 

耐えて耐えて我慢して1人で泣くことより、

明日も生きたいと思える心の状態になることのほうが

きっと大切なことだったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

私にはできなかったけど、

でも、学校なんて、無理して行かなくていいと思う。

 

 

 

つらいことは、つらいと言えばいいと思う。

 

 

 

 

 

 

その時耐えたことは、耐えた"つもり"になってるだけで

本当は心にしっかり刻まれたまま

それからの人生を生きていくことになる。

 

 

 

それを克服する期間って、予想以上にしんどいから。

 

 

 

 

 

向こうは、なんにも覚えてないんだろうな。

 

 

 

全部忘れて、楽しい記憶だけ残って、

いつを思い返しても「楽しかった学校生活」

なんだろうな。

 

 

 

楽しかった記憶だけを思い起こして

思い出に浸れるんだろう。

 

 

 

 

 

(本当はこんなこと、もう、

言いたくもないし思い出したくもない。)

 

 

 

 

 

 

いじめって、その人の一生をこんなに狂わして

しまうものなのに、傷を負うのも

その傷とともに生きていく覚悟を背負うのも

傷つけられた方だけで

 

 

 

いじめの影響で変わってしまった性格は、

その後の人生を大きく左右する。

 

 

 

 

私の場合は、かなり情緒不安定になってしまって

ちょっとしたことで悲しくなってしまうし、

号泣するくらい不安になってしまってたな…

 

 

 

 

でも、もう憎んでないよ。

憎む度にその時のことを思い出すのはしんどいし、

憎しみって、何も生まないって分かったから。

 

 

 

 

 

こんなに辛くて悔しかった経験だけど、

根絶したいとは思っていない。

 

 

 

 

というか、根絶したいと願えないほどに、

社会のいろんなことを知ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

でも、いじめは根絶できなくても、

いじめの根絶を願えなくても、

 

 

誰かにすぐ、手をのばせられる社会になれば

いいなと思う。

 

 

 

 

 

耐えることが強いことなんじゃなくて、

自分の弱さをさらけ出せる強さを持てる社会に

なればいいなと思う。

 

 

 

 

 

つらいことを、つらいと言える社会になれば

いいなと思う。

 

 

 

 

書いてて涙が止まらなくなってきたから、

短めだけどこの話はここで終わり。

 

 

 

 

*****

 

 

優しい人になりたいと思って、生きてきた。

 

 

ずっと、「優しい」が何なのか、分からないまま。

 

 

 

それが何なのか、今でも明確には分からないけど、

 

 

でも、

 

 

貫けるものがない優しさは、優しさではないんじゃないかと最近思うようになった。

 

 

 

 

 

答えのないことを、考えることが好きだった。

答えが出なくても、永遠に考えていられた。

 

 

 

 

でも、段々、自分なりの答えを見つけられるようになった。

 

 

 

やっと自分が、少しずつ形成されてきた感じがする。

 

 

 

 

嬉しいけど、嬉しくない気持ちもある。

 

 

 

自分が形成されればされるほど、

違う価値観や考え方を否定してしまいそうになるから。

 

 

 

 

無意識のうちに、自分が気づかぬうちに、

誰かのことを傷つけてしまっていないかが

とてもこわい。

 

 

 

 

 

自分の中の、「貫けるもの」も、「正義」も、

人それぞれ違う。

 

 

 

 

だからこそこの世界は

いろんな優しさと正義が絡み合ってできていて

 

 

 

何気ない一言が誰かを救って

何気ない行動が誰かを勇気づける。

 

 

(逆のことも、あるね。)

 

 

 

自分にとっての「優しさ」、「正しさ」が、

誰かにとってナイフになってはいないだろうか。

 

 

 

 

自分が気づいていないどこかで、

自分の言葉が、行動が

誰かの涙を流させてはいないだろうか。

 

 

 

 

人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている

 

 

 

ずっとずっと、覚えていたい言葉。

 

 

 

 

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最後に。

 

 

家庭、学校、職場…

 

 

生活を支えるあらゆる場で

助けを求める、声にならない声が実は沢山あること

 

 

 

 

 

8月31日だけじゃなくて、

いつも誰かが心のどこかに留めておける

そんな世界にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

経験したことが、どんなに辛くて悲しいことで

深く深く心に残って、トラウマになってしまっても

 

自分だけではない、いつかの誰かの気持ちを思い

その傷を癒すことに繋げられたら

 

過ごしてきた日々、感じてきたこと全部ひっくるめて

私は私で良かったと心から思える日が

来てくれたらいいなと思う。