はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

トラウマの固定化

仲良し家族の中から突如生まれた

哲学者かと思っとった

 

彼女はそう言った。

 

 

うーん、私という人間は

私の表現する家族は

周りからそんなふうに見えてるんだなぁ。

 

 

言葉にしたら、その先がなくなっちゃうこと

話し手の気持ちや感じ方は

時間が経つにつれて変化するけれど

一度言葉にしてしまったものは

その先ずっと、その「言葉」が変化することはない。

 

 

だからもしかすると、その「変化する話し手」と

「変化しない言葉」の受け取り手によって

ズレが生じてしまうこともあるかもしれない。

 

 

それにね、一度言葉にしてしまうと

それがべったりと固定してしまうこともある。

 

「私は高校の時、こういうことが辛かった」

と言葉にすると、

「辛かった高校時代」として

自分にも他者にも映ってしまう。

 

 

でも本当は、今でも連絡取り合えるくらい

大好きな友人に出会えたこと

その友人とは映画を見たりラーメンを食べに行ったり

いろんな思い出を2人で作ったこと

そういう一面も、「私の高校時代」の1つだ。

 

 

彼女が私のことを「哲学者」と表現したのも

このブログを読んで

きっと私のそういう一面を捉えたからなのだと思う。

 

 

 

「言葉にする」とか「名前をつける」ことのこわさって

こういうところにあるなぁと思った。

 

 

一度言葉にしてしまえば、楽になる

というのもあるかもしれない。

 

それ以上的確な言葉を

見つけようとしなくなるっていうか。

 

言葉にすることによって、安心しちゃうんだ。

 

 

でも本当は

言葉にできないことのほうがいっぱいあるし

出来事の受け取り方は時間の経過とともに変化するし

感情はすべてグラデーションだ。

 

 

 

とはい言え、ずっと固定化されて動かない感情もある。

 

辛い時期に聴いていた曲、大好きで大切な曲だけど

その曲を聴くと当時のことを思い出してしまい、

涙が出てくる。


だから聴かない。聴けない。

というサイクルが起こっている。

何年も経つのに全然克服できない。

 

 

それは、それと向き合うことを、

ずっと避け続けているからなのかもしれない。

 

いつかそのツケを払わなきゃいけない時が

くるのかな。

 

 

 

言葉にしてしまってもこわいし、

言葉にしないままでもこわい。

 

 

それでも、

「思いを伝えるって恥ずかしいって思ってた

自分がいるんだけど、ブログのおかげで、

自分も言葉で行動で素直に伝えてみたい!って思って

前よりもその時々を大切にできるようになった」

と言ってもらえて、とても嬉しかった。

 

 

「その時の気持ちを丁寧に言葉にする」というのは

時に面倒臭くて時間がかかるものでもあるけど

それをすることは「その時々を大切にする」

ことにもなるんだなぁ…

 

 

自分の中のことなら、言葉にするもしないも

その時の気持ちで自由に決めたらいいけれど

人が絡むことならば、

積極的に言葉にしていきたいな、と思う。

 

 

言わなくても気付いて欲しい、

言葉にしなくてもわかってほしい、って、

すごく傲慢なことだと思うから。

 

ぶつかって壊れたらそれまでの関係。

自分の素直な気持ちを隠して成り立つ関係性よりも

ぶつかっても受け入れてくれる人との関係を選びたい。

 

 

鳥取では、そういう人間関係を築くことができた。

今までの人生で、1番濃い4年間だったなぁ。

 

 

***

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初めて倉吉を観光した。

こんなに素敵なところだったんか…と、感動した。

 

 

見つけられてないだけで

本当はもっと、鳥取の良い場所

まだまだ沢山あったのかなぁ

 

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インスタグラマーした1日やった。☺︎