はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

必然と自由

久しぶりにブログを書いてみようと思う。

ちゃんと文章を書くのは、いつぶりだろう。

ずっと記事用の文章しか書いてなかったから、

なんだか恥ずかしい。

 

 

2年とちょっと勤めた会社を退職した。

「人が人に寄り添える社会をつくりたい」

という夢を叶えるために入社した

第一志望の会社だった。

 

たった2年とちょっとだったけど

とても2年とちょっととは思えないくらい

これまでの人生経験とはかけ離れた経験を

たくさんさせてもらった。

 

仕事だけど、自分のやりたいことだったから

あんまり「仕事」という意識なく働いていた。

 

でも、やりたいことだったからこそ、

いろんなことが実力不足でできない自分に

何度も挫折した。

 

それでも、「いつかこんな記事を書いてみたい」

と思ってたことを、少なくとも1つ、

実現させることができた。

 

それは自分の力だけで実現できたものでは

到底ないけれど、

自分の夢が叶う道のりを

自分の足でちゃんと踏みしめながら

進めることができたものだったと思う。

 

そんな経験は、生きていて初めてだった。

 

 

仕事はハードだったけれど

気の合う同期に恵まれた。

 

その子との対話の中で、

「人が人に寄り添える社会をつくりたい」

と考えるようになった原点にも、何度も立ち返った。

 

あぁ、私はずっと、過去の自分を救いたかったんだ。

そう気づいた瞬間に、私がこの職に就いたことは

必然だったんだとも思った。

 

 

本当にいろんなことがあった、

2年とちょっとだった。

 

達成感よりも

焦りと不安、悔しいと感じる場面の方が

圧倒的に多かった。

 

 

いろんなことがあって、いろんなことを言われて

少しの悔しさもあったけれど

生きていく中で大切にしたいことを考えた末、

退職することを選択した。

 

 

自分なりの苦悩を話した時、

あー、この人に、自分の言葉が響くことって

一生ないんだな、と思うと同時に、

自分の辛さが伝わらないことで

こんなにも絶望的な気持ちになるんだなと、

自分でも驚いた。

 

良くも悪くも、

強い人たちだけが残っていくんだなと思った。

 

この時感じた悔しさは、

一生忘れない種類の悔しさだとも思った。

 

 

と、色々書いたけれど、愚痴を書きたかった訳じゃない。

 

今は、2年前に異動で引っ越してきた

この街で過ごす

最後の週を迎えているわけだけれど、

何故だか涙が止まらなくて。

 

この2年とちょっとの間、

苦しくてしんどくて涙したことは

数え切れない程あったけれど、

いま流れてる涙は、その時の涙とは違う。

 

卒業式の時とかに出る涙と似てるんだ。

 

ほぼ苦しかった経験しかなかった高校を卒業して

鳥取に引っ越す直前も涙がとまらなかったけど、

あの時の感情と似てるんだ。

 

苦しかったことがいっぱいでも、

ちゃんと思い出になるのって

すごいなぁって思うんだ。

 

 

令和入社代表として

頑張って働き方改革を心掛けていたけれど

これからは、今までよりももっと

自分の心が頷く生き方と働き方をしたいと思う。

 

つらかったらつらいって言いたいし、

怒りたかったら怒りたいし、

泣きたかったら泣きたい!

 

 

人に感情を見せるのが苦手な私が

怒ったり泣いたり心配したり

そういう感情をちゃんと大切にしながら

関われた人がいた。

 

愛されることばかりを求めてきたけれど

人を愛することがこんなにも幸せなんだって

気付かせてもらった。

 

仕事は辞めたし

その人とももうお別れしちゃったけど

それでも私は、この街に来て良かったと思う。

 

 

ずっと遠くにいると思ってた親友が

実は隣の街にいたと知って

すごく嬉しかったのも、この街なんだ。

 

 

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最後に、この街でいちばん好きだったところに行った。

 

記者は辞めちゃったけど、これからもずっと

文章を書くことが好きな私でいたい。

 

無神経で鈍感な言葉に

ちゃんと怒れる私でいたい。

 

そして、言葉に縛られず

自分の感性を大切に

柔軟に生きる自分でいたいと思う。

 

 

 

 

…なんだか決意表明になっちゃった、☺︎

 

 

おわり。