はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

悩みの根っこに気づく

就活してた時、

言われたことはちゃんとやるけど

言われなければ何もできない君たちは

スマートスピーカー世代です

って言われたの

と、友達が言っていたのを聞いて以来、

私が直接言われたわけでもなく

ただその子の口から聞いただけなのに

何故かすごく悔しくて

その言葉をずっと根に持っていた。

 

 

 

私は日常の中で、悔しさを感じる瞬間が沢山ある。

怒るというよりも、ただ悔しくて

自分の感情が振り回されることが何度もある。

 

 

スマートスピーカー世代の話も、

友達の口からそれを聞いたの自体はもう2ヶ月くらい

前なのに、その言葉の真意について

ずっと考えていたのは、

 

 

酷い言い方だな、と思うと同時に、

「そうじゃない!」という強い思いが湧いていた、

つまり私がその言葉に猛烈な「悔しさ」を

感じていたからだ、と最近になって気づいた。

 

 

その「悔しさ」を掘っていくと、その中心には、

出会って数時間しか経ってないのに

その言い方をされたこと、

《世代》でひとくくりにされたこと、に対する

悔しさがあった。

 

 

でも、最近になってその言葉を自覚することが

多くなって、悔しさを感じなくなると同時に

その言葉を冷静に受け止められるようにもなった。

 

 

何か言われる前に気付ける人間になりたいし

フワッとした言葉で指導されても

その意図を的確に受け取って

次の行動に結び付けられるようになりたいけれど

一向にできるようにならないし、

 

こういうふうに思うことすら

いつも人から何かしらの影響を受けてからだな。

 

 

そう気付かされることが重なって、

あぁ、あの言葉は案外、的を射ていたのかも。

と思うようになった。

 

 

 

自分が思っている自分と人から指摘されたことが

かけ離れている(と感じる)と、

人は悔しさを感じるのだと思う。

 

 

本当の私はそんなんじゃないのに、って。

 

 

でも、悔しさを感じた部分を時間をかけて辿っていくと

確かに、そういう部分あるな、とか

指摘されたこと、案外当てはまってたかも、と

自分で認められるようになる。

 

 

あくまで私の場合だけど、

悔しさの根っこにあるものって、

「本当の自分」が伝わらなかった、

ということに対するモヤモヤだな、と気づいた。

 

 

 

 

昨日、心の穴に関する本を読んだのだけど、

私が最近すごくモヤモヤしてたのは、

心の穴を他人で埋めようとしてたからなんだ、

色んなことに悩む根の部分にあるものって

それだったんだなと気づいて、腑に落ちた。

 

 

心の穴を、他人で埋めようとしてるうちは

本当の意味では幸せにはなれなくて、

大切なのは、誰しもに心の穴があることを知って

どうかしようとすることでもなく、

抱えて生きていく、ということ。

 

 

 

何かに対して悔しさを感じた時、

そうじゃない!とただ反発し続けるだけでは

幸せにはなれなくて、

 

 

本当の自分が伝わらなかった、

と無意識に思ったんだな、と気づいた後に、

 

 

でも、「私が思う本当の自分」と

「相手が指摘する自分」のズレは、

本当に相手の認識が間違っていることだけから

発しているものなのだろうか。

 

と自分自身に問うていくことで

初めてその指摘が自分の実になるものとして

生きてくるのだと思う。

 

 

 

 

自分のこと、

どれだけ分かったつもりになってても

完全には分かり切ることはできなくて

気づくのはいつもソトからの刺激があってからで、

それがとてももどかしい。

 

 

 

でも、良いことだけじゃなくて

自分にとって耳にたこなこと

言ってくれる人がいるうちが人間

華なのかなと思うと

 

指摘してくれる人がいるのは有難いことだな、

とも思う。(思いたい。)

 

 

 

 

きっとそういうふうに思えるのは

それと同じくらい、

自分の悔しかったこととか悲しかったこと、

ほんとは心の中で叫んでいたことを素直に話せる

そんな人との関係があるからだ。

 

 

 

 

 

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まんまるな夕日。

たまには、自分の心も、こんだけ丸くなれたらなぁ