はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

自分が知らない自分のこと

酷暑が続いてますね…☼

 

 

バイトの同期が1人辞めてしまって、

私もバイト辞めそうになっているところです。

 

 

 

バイトは時間の消費だからなぁ。

 

 

 

ま、この話は置いといて…

 

 

 

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この前、岩美に行ってきました☺

 

 

透き通っていて、なんか全部忘れちゃうくらいに

綺麗な海でした。

 

 

 

 

 

例えば同じ海、空を眺めていたとして

 

 

 

 

私は景色を眺めるのが好きだし、

自然を感じたい派なので

いくらでも眺めていられるけれど

 

 

 

同じ景色を見ていたとしても

"この時間なに?"って思う人は思うのだろうし、

"早く次行こうよ"って思う人もいるかも知れない。

 

 

 

 

好きな人と、

そういうところの価値観は一緒でありたいねって

 

 

海を眺めながらそんな会話をしました。

 

 

 

 

たまたま一緒に行った子が

自分と同じような価値観の子だったので

自然とそういう会話になったのだけれど

 

 

 

その時にふと

"今まで気付いていなかった自分のこと"に

気付いたような気がしました。

 

 

 

 

実は私、ずっと京都の大学に

行きたかったんですよね、笑

 

 

 

ひとり暮らししたかった。

都会に行きたかった。

 

 

京都は学生の街。

古都にも憧れていた。

 

 

 

東京みたいに都会すぎる都会ではなくて

広島からも割と近くて、アクセスが良くて

西日本を代表するくらいの大きな都市。

 

 

 

京都のはんなりな方言と雰囲気、

品のある感じがとてもいいなぁって☺

 

(ぜんぶ自分の勝手なイメージでしかないです…)

 

 

 

 

大学選択の動機としてはあまりにも不純すぎるけど

高校生の私にとって

1番の憧れの場所が、京都でした。

 

 

 

(京都のことなんも知らんくせに、笑)

 

 

 

 

 

ちょっと前置きが長くなっちゃいましたが、今日は

"自分が知らない(気付いてない)自分"のことについて

ブログを書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

私はいま、なぜか鳥取にいます。

 

 

あんなに京都に憧れてたのに。

 

京都の私大も受験して合格したのに。

 

 

 

鳥大に合格した時、

"鳥取でほんまにええんか?"って

進路担当の先生に何度も確認されたくらい。笑

 

 

 

 

それでも結局私が選んだのは鳥取大学だった。

 

 

 

 

でも私、いま鳥取のことがすごく好きです。

 

 

 

都会と呼べる場所はどこにもないし

どこ行くにもアクセス悪いし交通費バカかかるし

不便なのは変わらない事実だけど

 

 

 

でも、

 

 

鳥取には私の大好きな人たちがたくさんいます。

 

 

 

 

"せっかく鳥取に来てくれたんだけぇ、

鳥取のいいとこいっぱい知ってほしい"

 

 

そう言って鳥取の名所をいっぱい教えてくれて

案内して連れて行ってくれる人がいます。

 

 

 

もともとは鳥取の人ではないけれど

自分と同じように県外から鳥取にやってきて、

 

 

新しい世界を見せてくれ、

 

 

思いや考えを伝え認め合い

受け入れてくれる人がいます。

 

 

 

 

 

岩美の海を眺めていた時、

 

"大学進学で都会に行っとったら、

自分は自分を取り戻せてなかっただろうなぁ"

 

ふと、そんなことを思いました。

 

 

 

 

なんでか分からんけど、唐突に。笑

 

 

 

 

 

私、都会に住んじゃってたら、

人にもまれて生きてたんだろうなって

 

分からないけどそんなふうに思ったのです。

 

 

 

 

 

都会は私にとって

憧れの場所であることに変わりはないけれど、

でも、憧れっていつまでも憧れのままで

いてほしいじゃないですか、

 

 

 

"都会はたまに行くくらいでいいんよ"

 

 

これは私の母の口癖です。

 

 

最近になって、やっとこの言葉に

共感するようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

私はいま、

 

"形のないものにどれだけの価値を感じて

そこにどれだけの時間とお金をかけられるか"

 

を考えながら生きています。

 

 

 

 

 

"形"という

目で見て分かりやすいものではなくて、

 

 

"時間"とか"出会い"とか"体験"とか"学び"に

 

自分にとってそれらがどれだけ価値があるか、

またはないかを判断できるようになりたいのです。

 

 

 

 

海を眺めていたら、

急にこんなようなことが

ぶわーって溢れてきました。

 

 

 

普段からこんなこと考えてるわけじゃないですよ、

 

 

でもなんか自然を感じてたら

こういうことが溢れてくるんです。

 

 

 

"あー私、普段無意識にこういうこと考えて

生きてきとったんだなぁ"って。

 

 

 

 

 

"無意識の感情"とか

"意識するまでには到達しない自分のこと"とか

 

 

これにどれだけ気付けるかって、

実はとても大きなことだなと最近思います。

 

 

 

それは結局、"自分のことを知る"ということに

繋がっているから。

 

 

 

 

 

自分のことって、

自分が1番わかっているつもりではあるけれど

 

自分のことを1番分かれていないのも

実は自分なのかも知れないなぁと

 

 

なんだか最近よくこんなことを思います。

 

 

 

自分にとっての"当たり前"と

人にとっての"当たり前"が、

ほんとにどこまでも違うのだということを

強く強く感じることが同時多発的にありました。

 

 

 

"当たり前"の違いを乗り越えるのは

すごくすごく難しいです。

 

 

 

誰も悪いわけではないのに

伝わらないことにイライラしてしまう自分がいます

 

 

 

イライラしちゃう自分に、悲しくなります。

 

 

 

 

そんな時、こんな言葉に出会いました。

 

 

悪気はないけど、デリカシーもない

 

 

この言葉は少し攻撃的な表現だけれど、

言いたいことはとてもよくわかります。

 

 

 

 

私はこの"デリカシー"のところを

"想像力"に置き換えて考えています。

 

 

 

(ちょっと話変わっちゃうけど、

"優しい人"って

"想像力と行動力がある人"だなぁと私は思います)

 

 

 

 

想像力は、とても大事です。

 

 

 

悪気のない、善意のつもりで放った言葉だって

相手には暴力になるかもしれないから。

 

 

 

 

自分にとっての"当たり前"が通じない時、

イライラしちゃう自分がいると同時に、

 

 

"相手はなんでこの言い方、

この態度だったんだろう"って

意識的に考えようとする自分がいます。

 

 

 

私はまだまだ子どもなので

小さなことに引っかかってしまいます

 

 

 

でも、一緒にいる時間が長いからって

その人と私の"当たり前"が同じになるわけではないし

 

 

イライラしてしまう自分がいるのは、

心のどこかで

"言わなくても分かるでしょう"って

相手に勝手に期待して甘えてる自分がいるから

なんですよね、

 

 

 

 

相手の立場と背景にあるものを想像することは

かなり難しくて大変なことだけど

訓練だと思って乗り越えたい、

 

 

 

 

 

自分にとっての"当たり前"を疑うことは、

自分が知らない(気づいてない)自分のことに気付く

第一歩なのかなと思います。

 

 

 

 

"伝わらないこと"、"分かり合えないこと"が原因で

自分が選んだ道を後悔したくはないから

この第一歩を忘れずに生きていきたいと思います。

 

 

 

 

(今日のブログは完全に、自分への戒めでした…☹)

 

 

 

*****

 

 

もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい


親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい


一生忘れないような出来事に出会えたかい


かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

 

 

(♪オワリはじまり/かりゆし58)

 

 

 

 

当たり前の日常なんてないって分かったから

今はもう毎日を全力で生きています

 

 

 

だけど凹むことが続くと、

もうなんにも頑張りたくない…って

なってしまいます☹

 

 

 

 

でも、落ち込んだり凹んだりするのは

それだけ一生懸命やってるってことだと思うから

そんな自分を嫌ってしまわないように

生きていきたいです

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか終わりが悲しくなっちゃったから

最後は私のおすすめを書いて

happyに終わろうと思います!

 

 

 

 

 

この世界の片隅に』という作品を

知っていますか?

 

 

 

映画見たときに、この作品のファンになりました。

いまは日曜ドラマで実写版が放送されています。

 

 

 

 

戦時中の話なんだけど

でもなんか無理に戦争を押し付けるのではなくて

戦時中の"日常"が描かれている

とても心温まる作品なんです

 

 

 

 

主人公のすずさんののほほんとした感じが

本当に可愛くて、

すずさんの結婚相手の周作さんがとにかくかっこいい…!✨

 

 

 

日常のかけがえなさを感じる素敵な作品なので

ぜひぜひ見てみてください☺

 

 

 

それではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"枠"になんて縛られなくていい。

 

 

ほんとはブログに書くつもりは全くなかったんだけど


ちょっと嬉しすぎることがあったので


温かくてやさしくて


忘れたくないこの気持ちを

今日はここに書き記したいと思います。

 

 

 


*****

 

 

 


フリーソーメンが終わった。

 

 


私は殆どなんにもしてないけど…

 

 

 

 


↓こちらがフリーソーメンの公式(?)HP。


http://freesomen.org/

 

 


これを大学でやろう!というのが

今回のフリーソーメン。

 

 

 


簡単に言えば、

アジトで突然流しソーメンしちゃおう!

というイベントだ。

 

 

 


始まりは、ある先輩からのお誘いだった。

 

 

 


急にメッセージが来てびっくりした。

 

 


え、私認識されとったんじゃ!って。笑

 

 

 

 


去年の写真を嬉しそうに見せてくれる先輩が
すごくかっこよかった。

 

 

 

 

"大学って、本来は自由に使えるところな

はずなのに

きまりやルールが厳しくて、うんざりするよねー"

 

 

って。

 

 

 


いろんなお話を聞かせて頂くなかで、
流しソーメンをするだけで

こんなに大学側とやり取りがあることに驚いた。

 

 

 

 


フリーソーメンに携わるなかで
自分にできることがあるかな…って不安もあったけれど

 

 


"今の大学生って元気ないじゃん、

でもその大学生が面白いことして、

なんかいきなりアゴラで流しソーメンが始まってて

文化祭の前日みたいにみんながワクワクしてるような

そんな風景をつくりたいんだよね"

 

 

 

というお話を聞いて、

 

 


「風景をつくる」という言葉にすごく惹かれ、
一緒にやりたい!と思った。

 

 

 

 

 


ちょうどその頃、実際に社会で

「風景をつくっている」人たちの講義を

受けることが続いていた。

 

 

 

今回、全然違うところで同じお話を耳にして、

これはもうやるしかない!と思ってメンバーに

入れてもらった。

 

 

 

 


このフリーソーメンの企画目的には

実はいろんな意味が込められているのだけれど

 

 


当日来てくれる人たちには

それら全部はなかなか知られていないのだと思う。

 

 

 

 


だけど、それでいい。

 

 

 

 


難しいことは置いといて、

 

 

 


"え、なんでアゴラで流しソーメンやっとるん!"

 

 

って、そんなワクワクを抱いてもらえたらそれでいい。

 

 

 


みんなで流しソーメンを囲んで

一緒にワイワイ楽しい時間を過ごしてくれれば

それでいい。

 

 

 


だってそれが「風景をつくる」ということに

繋がっているから。

 

 

 

 

 

準備期間の会議も当日も、
めっちゃ楽しかったなぁ。

 

 

 

 

 


ソーメンが楽しいというよりかは、


いつもは関わることのない政策の先輩方や
違う学部、部活の人たちと会議をしたりお話をしたり

ソーメンを茹でたりするのが何よりも楽しかった。

 

 

 

 

"なんで私いま大学でソーメン茹でとるんじゃろう?"

 

 

って、面白くなってくる。笑

 

 

 

 

それに、

いつもは同じコミュニティの中にしかいないから。

 

 

 


私と全然違う環境で生きている人たちと

関わりを持つのは新鮮で刺激的だった。

 

 

 

 

 

 

 


ソーメンが終わって、1週間以上が経った。

 

 

 


私がどんな思いでソーメンに関わって
どんな思いで当日を過ごして
どんな思いで終わりを迎えたか

 

 

 


そんなのは私1人で思っていれば

それでいいと思っていた。

 

 

 

 


誰かに伝えたいとか、伝える必要があるとか
そんな思いは全くなかったから

 

 

 


「楽しかったです、ありがとうございました!」

で終わった。

 

 

 

 

 

 


はずだった。

 

 

 

 

 


今日、本当に嬉しい言葉をもらった。

 

 

 

 


なにもしてないってめちゃくちゃ頑張ってくれてたし、Facebookでの広報助かった。


去年から残ったメンバーの多くが四年で、メンバー誘うのは各々したんだけど、政策の子に関しては誰かいないかなと相談してた。


そのなかで、勝手に推薦したんよ!

僕の勝手なイメージでは佐伯さんは活発というか行動家って思ってたし、しっかりしてる後輩をいれたかった

 


最初誘われたときどう思ったのかはわからないけど、一緒にそうめんに携わってくれてありがとう。

 

 

 

 

 


すごくすごく嬉しかった。

 

 

 


だって私は本当に何もしていないのに。

 

 


こんなふうに言ってくださる先輩がいて、

思いが溢れてきた。

 

 


自分の思いを伝えたいと思った。

 

 

 

 


私のどんな部分を見て、

"活動的"だと思って頂けたのか分からないけれど、

 

 

 


私はそもそもそんなにアクティブに

行動できる人間ではない。

 

 


本当は心の中で色々思っているし、

やってみたいと思うこともいっぱいあるけれど

 

 


周りの目を気にしたり、
出来なかったらどうしようって不安に思ってるうちに

 


"やらないこと"を無意識に選択している自分がいる。

 

 


結果的にいつも自分を抑えることを

優先させてきてしまっていた。

 

 

 

 

 


このフリーソーメンも

実は1年生の時から知っていて

「一緒にやってみたい」と思ってはいた。

 

 

 

 

けれど、あることがあってから

 

 

 


"変に行動したら、

また「意識高い」とか言われるんかな…"

 

 

 

と思ってしまって声をあげられなかった。

 

 

 

 


だけど、今の私は

2年前の自分とは大きく違う。

 

 


胸を張って言えるほど、変わったと思う。

 

 

 

 


馬鹿にするやつは馬鹿にすればいいし、
そんなの気にするまでもないなって
最近やっと思えるようになった。

 

 

 

 

 


行動に起こすことの覚悟と強さは
行動した人にしか分からない。

 

 

 

 

 

 


フリーソーメンに実際に関わってみて、
例えば普段のコミュニティで窮屈な思いを

していたとしても、

 

 

その枠を超えたら、

私にはこうして同じ目的を持って同じ夢を見て

何かを作り上げる仲間や先輩方がいることを実感した。

 

 

 


いろんなことに追われて、
自分がやりたいと思って始めたことも

なかなか上手くはいかなくて

凹むことが続いていたけれど、

 

ソーメンの場が良い意味で現実逃避になって

また頑張ろうと思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 


向き合うのがこわくて、
ずっと胸に秘めていた言葉がある。

 

 


付き合う仲間を選びなさい。

 

一緒に行動する人を見つけるんじゃなくて

行動した先で出会った人との関わりを

大切にしなさい。

 

 

 

 


私はずっと、これができなかった。

 

 


誰かと一緒じゃなきゃ、何もできなかった。

 

 

 


だけど最近は、少しずつできるようになったかなと思う。

 

 

 


ソーメンも、政策の知り合いは何人かいたけれど

 

私はソーメンで出会った人、

ソーメンで関わった人とのつながりを

大事にしたいなと思って

 

そうしたら自然と

陸上部の子とか農学部の子とかに

話しかけている自分がいた。

 

 


台湾人の友達もできた。

 

 

 


自分で自分の輪を広げる瞬間をつくることができた。

 

 

 

 

 


何より嬉しかったのは、
尊敬できる先輩に出会えたこと。

 

 

 


私が思ってることを受け止めてくださり、
私の言葉にきちんと向き合ってくださった。

 

 

 

 


真面目な話って、普段はあまりしたくない。
笑われるのが嫌だから。

 

 

 

 


だけど、そういう話を自然としている自分がいた。

 

 

 

 

 


この学科に入ってよかったとすら思った。

 

 

 

 


ソーメンに携われて、本当に良かった。
価値のある時間、体験、つながりをもらった。

 

 

 

 

 


はじめた時は、こんなの思ってもなかったのになぁ。

 

 

 

 


人生、なにがあるか分からんなぁ。

 

 


素敵な素敵な縁に出会えたこと、
感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

 

 

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てるてる坊主

 

 

 

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雨が止んでも、川が氾濫する。

雨が止んでも、池が決壊する。

 

 

お願いだからこれ以上、なんにも起こらんでほしい。

 


みんな無事でいてほしい。

 

 

 

 

 


母さんとメールしてたら、思うことがいっぱいある。

 

 

 

"昨夜恐ろしい思いして通った道は土砂で埋まり

車は何台も濁流にのまれたらしい

生きててよかった また子供達に会いたいからね"

 

 

 

"道路があちこちで通行止め 高速もダメ、

三原停電断水

よって月曜はとりあえず新幹線で行くかも

父さんと考え中

 

 

今日部屋着いたら水筒からあったかい紅茶

父さんがくれた

昨日水筒持って探しに来るつもりだったって。

優しいよ  "

 

 

 

 

"心配で心配で寝れなかったよ

山陽本線、1時間に1本くらいで運転再開って"

 

 

 

 

"ありがとう よく調べてくれたね

遅れてでも行く とりあえず行く。

昨日死んでたかもしれんけん

心配ありがとう"

 

 

 

 

仕事だから行かないといけないことは分かってる、

 

 

 

 

でも、"ほんとに行くの?"って

聞かずにはいられなかった。

 

 

 

 

仕事行かんといけんのは分かるけど

でも心配すぎて

でも仕事優先するのはしょうがなくて、

めっちゃ涙出てきて

 

 

本当は、行ってほしくない。

 

 

 

安全を確保しといてほしい。

 

 

 

 

 

被災地で闘っている人がいる、

必死で生きようとしている人がいる、

 

 

だからそんなことは言えないし、

言うべきじゃないんだと思う。

 

 

 

 

鳥取にいる自分は何もできんから、

せめて、せめて情報をいっぱい届けよう、

 

 

 

そう思ってメールをする。

 

 

 

"レスキューの服を着た泥棒が大量におるらしい。

大阪ナンバーのセレナ、白いパジェロは泥棒軍団かも。


矢野でかなりの被害があったみたい。

迷彩服着た不審者もウロウロだって。

熱中症と泥棒に気を付けて"

 

 

 

 

"困ってる人にひどいね 日本人の恥"

 

 

 

 

"ほんとだよ怒りが止まらん
無事着いた?どんな感じ?"

 

 

 

"昨日夕方ね 今朝はタクシーで。

広島駅からは車。あさ大橋経由で。

バス不通だから 毎日通勤に七千円位"

 

 

 

 

 

 

思うことはいっぱいある、

怒りたい気持ちもいっぱいある、

でも誰も悪くない、(泥棒は論外)

 

 

 

 

テレビつけてもSNS開いても

完全に冠水した街がうつってるだけ、

 

 

 

LINEニュースに「生き埋め10人」と地元の名前

全国放送で何度も中継される 高校の時に住んでた地域

 

 

 

 

水に浸かってしまった街を見るのが辛い。

 

 

 

 

"避難所に行くのが危険な時は

 2階に避難しましょう"って言われても

 

 

 

車椅子のじいちゃんと

足腰の悪いばあちゃんは階段のぼれない。

 

 

 

 

学校に行けない友達。

 

 

 

普通の川を見るだけで

映像がフラッシュバックしてきて泣きそうになる。

 

 

 

 

ひとりぼっちの夜は、現実逃避で作業をしまくる。

 

 

 

なんかやってないと涙が出てくるから。

 

 

 

 


意識的に何かしてないと、

みんなに会いたくなりすぎるから。

 

 

 


でも、辛いなんて言えない、悲しいなんて言えない

 

 

 


私より辛くて悲しい人たちがいっぱいいる。

 

 


辛さや悲しみは

比較できるものでもするものでもないけれど

 

 

 


でも、私なんかが悲しんで涙してたら
家族を亡くしてそれでも懸命に生きてる人たちの思いを

踏み躙ってしまいそうで

 

 

 

 

テレビでしか見てない状態で泣いてたら

街の様子を目の当たりにした時

泣き崩れてしまいそうで

 

 

 

 

 


泣けないというより、泣いちゃいけない気がする。

 

 

 

 

Twitterで流れてくる、倒木で埋もれた道路と

壊れた街の写真見て涙を堪えられなかったけど…。

 

 

 

 

 

そんなわたしのために

 

てるてる坊主をつくってくれた。

 

 

 

 

優しさに涙が溢れてきた。

 

 

 

 

"晴れたら撤去"って言われた。

 

 

 

"みんなの心が晴れるまで飾っておいて"と頼んだ。

 

 

 

 

 

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久しぶりに図書館に行って

気まぐれに新聞でも読んでくるか、

と思って新聞を開いた。

 

 

 

 

一面『西日本豪雨』の記事ばかり。

 

そりゃそうだ、

 

 

気づかなかったわたしはばかだなぁ。

 

 

読んだ3紙

どれも豪雨被害のことばかり、

 

 

 

涙で記事が読めなかった

 

 

でも新聞読みながら泣いてる人なんておかしいでしょう

 

必死に隠したんだ

 

 

 

 

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思うことはいっぱいあるけれど

命あるだけ有難いと思いたい。

 

 

 

家族に会いたい。

 

みんなに会いたい。

 

 

 

"普通"なんて"当たり前"なんて

本当はどこにもないんだろう、

 

 

 

 

 

 

 

 

気を遣ってくれとるんかな、

 

必死で元気づけようとしてくれるのが伝わってくる。

 

 

 

直接聞いてはこないけど

直接口にはしないけど

 

優しさでいっぱいの人たちだらけ

 

 

 

 

 

言葉なんていらないや。

 

 

 

 

決して見せつけるわけでもなく

無理やり励まそうとするわけでもなく

 

 

優しさが伝わってくる人って素敵だなぁ。

 

 

 

 

後ろばっか見てちゃだめだ、

 

変化はチャンスらしいから

 

 

 

私は私にできることを、

できることからやっていく。

 

 

 

自分の人生を、毎日を、一生懸命生きることだって

立派な社会貢献だって

 

どこかの誰かが言っていたから。

 

 

 

できるとかできないとか、上手いとか下手とか、そんなことよりもずっと「楽しむこと」のほうが大事だ。

 

今日は久しぶりに、ボラのことを書こうと思います。

 

 

4月に担当が変わってから

新しい子を見るようになりました。

 

 

中3の女の子。

 

 

とってもとってもかわいらしい子です。

 

 

なんだろうなぁ、

 

 

はちゃめちゃに楽観的。笑

 

 

勉強してるんだけど、途中でダンス始めちゃって、

職員さんが部屋の外から

その様子を見てることには気づかずに、

「あんた何しとん」って声かけられるまで

ずっと踊り続けちゃうような、そんな女の子。

 

 

 

 

勉強は苦手だけど、

私が用意してきた数学のプリントを

いつも一生懸命解いてくれます。

 

 

 

 

ミスしたって

解き方が分からなくたって、

解こうとすることをやめません。

 

 

 

間違えたら

「あぁ間違えたー!」って大きく笑って、

それで終わり。

 

 

 

すぐに直して次の問題に向かいます。

 

 

 

 

その潔さに

私の人生も、こんなだったらいいのになー!って

ついついそんなことを思ってしまいます☺

 

 

 

ボラで子どもと関わってると、

私はどうかなって、

私の学校生活はどうだったかなって

自分の生活を振り返ることがあります。

 

 

 

一生懸命問題を解いてるその子を見てると、
私は1番大事なことを忘れてきたのかも知れないなと
そんなことをふと思いました。

 

 

 

 

学校生活、毎日それなりに楽しく過ごしてきたけれど
でもやっぱり心のどこかで「人よりうまくやらなきゃ」って思ってる自分がいて

 

 

 

自分が楽しいかどうかよりも

私は人からどう思われてどう見られるかを

無意識のうちに優先してきたなって思いました。

 

 

 

 

(まぁ、だから勉強もいっぱい頑張ったし

認められることが嬉しくて

遊ぶことより勉強することのほうが

その時の私にとっては「価値のある」ことだったんだけど…)

 

 

 

 

 

4月からずっと、因数分解の問題を解いてきました。

 

 

はじめは全く手もつかない状態だったのに

3ヶ月続けるうちに、スラスラ解けるように

なりました。

 

 

 

満点とってくれたときは

ほんとにほんとに嬉しかったなぁ。

 

 

 

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丸つけが終わってこのプリントを眺めた時の気持ちが、ずっと忘れられません。

 

 

 

だって、最初はほんとにほんとに

手がつかないような状態だったから。

 

 

 

どうすればいいのか分からなくて

公式も覚えてなくて

たったの1問すら

1人で解くことができないくらいだったのに。

 

 

それがプリント1枚まるまる⭕!!!

 

 

嬉しすぎてこのプリント捨てられません…笑

 

 

 

 

 

 

今日ボラに行くと、

 

"昨日単語のテストがあってな、

38点中35点だったんだで!"

 

"見る!?"

 

 

って聞いてきたから、

 

 

うん!って答えようとしたその時には

もう手に単語テストのプリントを持って

見せてくれていました。

 

 

 

あぁ微笑ましいなぁって

嬉しかったんだなぁって

勉強って、こういう気持ちの連続だったなって

そんなことを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

勉強はできるに超したことはないけれど

でも、どれだけ勉強が苦手でも

 

 

分からないことを分からないって言える素直さとか

解けなかった問題が解けるたびに

あー!そういうことかー!って

全力で喜べることとか

 

 

 

そういうのがとても大事なことだと

今日改めて実感しました。

 

 

 

 

 

明後日は大キライな弁論大会なんだって。

 

 

私が部屋に着いて1番に、

弁論大会がいかに嫌かについて教えてくれました。

 

 

プールも弁論大会も、

行事がある度にいつもイヤイヤ言ってるけど

 

 

でも、学校楽しいんだなぁっていうのは、

ものすごく伝わってきます。

 

 

 

私がボラに行くたびに、

「明日雨降る!?」「明日台風くる!?」って

全力で確認してくるくらいプールがキライな子だけど

 

 

 

友達とのやり取りとか

小テストで満足いく点がとれたこととか

 

 

そんな日々の何気ないことを

たくさん話してくれることが何より嬉しくて

 

 

誰かに"話したい"と思えることが沢山ある

そんな日々がずっと続いてくれたらいいなって

思いながらその子の話を聞いていました。

 

 

 

"楽しい"も"幸せ"も、多分同じ分だけみんなにあって

それに気づけるか気づけないかの違いだと思ってて

 

 

ちっちゃな幸せとか喜びに気づけて

それに感謝できる人でありたいなと

そんなことを改めて思った1日でした。

 

 

 

 

と同時に、

最近は考えることも

やらないといけないこともいっぱいあって

いっぱいいっぱいになって

トゲトゲしちゃってたなあって

反省しました…☹

 

 

 

突っ走るのも大事なことではあるけれど

立ち止まってゆっくり考える時間をつくることも

忘れないでいたいです。

 

 

 

*****

 

 

あいみょんの『○○ちゃん』という歌を知っていますか。

 

 

得意なことも趣味もない

可愛くなる努力は医者に頼っちゃった

おまけに勉強もできないけど

 

 

将来はきっといい女になるから

誰かもらってねって

 

 

そんな歌です。

 

 

 

私は自分の嫌なとこばっか目についてしまって

あーあって落ち込むことがいっぱいあるのだけど

 

 

この歌みたいに開き直って生きていきたいなって

開き直って生きていこうって

 

いまはそんな気分なのでこの曲を聴いています。

 

 

 

 

そして明日は友達の初デートの日だから

台風来ないでって願いながら寝ます。

 

 

 

久しぶりに、ちょっと前向きで嬉しい気持ちを

ブログに書けてあったかい気持ちです。

 

 

 

 

皆さんにも届けられてたら嬉しいな。

 

それではまた〜☺

 

 

大人になりたくない

学生だっぴが終わった。

 

 

初めて心から楽しいと思えたイベントだった。

と同時に、こんなに疲れたイベントは初めてだった。

 

 

それは私なりに役割と責任を持って、

あれこれ悩みながらやってきたものだったから

なのかもしれない。

 

 

 

企画リーダーの"こんな空間をつくりたい"という

イメージそのままが私の目の前の景色で見られた。

 

 

 

今回のイベントは、参加者がゲストの体験談やアドバイスを聞くことで明日から1歩踏み出せる、そんなきっかけをつくるだっぴだった。

 

 

 

ゲストさんとの対話で涙を流してる子もいて

 

ファシリが無理やり話をつなげなくたって

ゲストさんが参加者の悩みや相談に耳を傾け

親身になって聞いてくれる

 

 

 

 

あーこんな社会だといいなぁって思った

イベントだった。

 

 

 

 

 

 

 

今回のイベントで初めて会った人同士が

こうして心を開いて悩みを打ち明けている。

 

 

 

言葉にも態度にも表さないけれど

みんな迷って悩んでるんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

だっぴにいるからかも知れないけれど

私の周りにいる大学生は

とってもとってもキラキラしている。

 

 

 

 

やりたいことに夢中で、夢があって、

行動にうつして実際に取り組んでいるのに

 

 

 

でも現状には全然満足してなくて、

どんどん上を目指していく人たちばかり。

 

 

 

 

 

最近、こんな思いが頭の中をぐるぐるしている。

 

 

 

早く大人になりたいけど、

でも、一生大人になりたくない。

 

 

 

 

 

"大人"に良いイメージを持てなくなったのは、

いつからだろう。

 

 

夢とか理想とか正論とか綺麗事とか

ついついそれを思い描き追求してしまう一方で

 

 

そんなのばかりじゃ生きていけないって

思うようになったのは、いつからだろう。

 

 

 

 

 

 

大人になるって、現実とうまく向き合うことなのかな。

 

 

 

 

自分の譲れない思いと

求められていることに折り合いをつけて

生きていくことなのかな。

 

 

 

 

 

 

ちょっと前、

 

諦めと折り合いの違いって何?って聞かれた。

 

 

自分が納得してるかどうかじゃない?って答えた。

 

 

納得って諦めることじゃないの?って聞かれた。

 

 

 

何もこたえられなかった。

 

 

 

"納得"って、諦めるというよりかは、

"共感する"とか"認める"というイメージ。

 

 

だけどその明確な違いを、私はまだ言葉にはできない。

 

 

 

 

 

言葉にできないことが、いっぱいありすぎる。

 

 

 

思いは言葉にしなければ伝わらないけれど、

言葉にしたから必ず伝えられるというわけでもない。

 

 

 

 

 

 

私は早く、大人になりたい。

 

 

 

 

自分なりの覚悟と正義を持って

ちょっとやそっとのことでは揺られない

そんな人になりたい。

 

 

 

社会に対する自分の中の違和感とか怒りとかを

ずっと持っていられる人間でいたい。

 

 

 

 

でも、その一方で

一生大人になりたくないとも思う。

 

 

 

キラキラもワクワクのない大人なら、

私は大人になりたくなんかない。

 

 

 

求められるものを優先しすぎて

自分の本当の気持ちすらいつの間にか感じなくなって

 

それを感じなくなってることにすら気づかなくなって

 

言われるがまま求められるがまま

自分を潰して生きていくのなら

私は大人になりたくなんかない。

 

 

 

 

キラキラもワクワクも、

持っていたら傷つくことばっかだ。

 

 

 

傷つきたくないから、

キラキラもワクワクも

どこか俯瞰的に眺めている自分がいる。

 

 

 

違和感も怒りも

一緒に怒って共感してくれる人がいなければ

私が感じてることは間違いなんじゃないかと思えてくる。

 

 

 

 

 

そんな社会で、そんな自分が、

現実と向き合うことが、とてもこわい。

 

 

でも、現実と向き合わないと生きていけない。

 

 

 

 

 

大人が何かなんて

未だに分からないし説明もできないけど

 

 

 

大人になりたくないと思う私は

まだまだ子どもなんだと思う

 

 

 

 

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矛盾だらけの世界に生きている。

 

 

 

いつかこんな矛盾も愛せるようになるのかな、

 

 

 

 

 

 

素直になりたい

 

 

 

素直になるのって、大事なことだ。

 

 


お寿司が好き。

そら豆が嫌い。

旅行に行きたい。

 

 

 

 

 


こんな気持ちは、簡単に言えるのになぁ。

 

 

 

 

 

 

私には、言えない感情がありすぎる。

 

 

 

 


悲しいとき、

 

悔しいとき、


なんでなん!って怒りたいときも

 

 

 


全然大丈夫じゃない「全然大丈夫」を、

まるでほんとにその通りかのように言ってる

自分がいる。

 

 

 

 

 

 

 


あれが好き、

これがきらい、

あれがしたい、

これがしたくない。

 

 

 

 


こんなふうに
なんでも素直に口に出して言えたらいいのに。

 

 

 

 


なりふり構わず


いっぱい笑っていっぱい泣いて


いっぱい感情表現ができたらいいのに。

 

 

 

 

 

 

 


素直な人って、愛される。

 

 

 

 

この人はこんなこと考えてるんだな、


これが好きなんだな、


あれが嫌いなんだな、って、

 

 

 


感情が分かりやすい人って、関わりやすいから。

 

 

 

 


素直になるのが大事なことだって、

ちゃんと分かっている。

 

 

 


わかっている。

 

 

 

 

だけど私は、素直になれない。

 

 

 

 


思ってること、感じてること、

思い切って言葉にできればいいのに

 

 


物心ついて何年間も、それが全然出来ないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな私は、たまに思ってしまう。

 

 

 

 

 


素直とわがままの違いって、何だろう。

 

 

 

 

 

 


相手との関係性を考えない発言って、素直なのかな。

 

 

 

 


言い方を考えない発言って、素直なのかな。

 

 

 

 

 

ぐって堪えたこの思いは、あの言葉は、

 

 

 

一体どこに行くんだろう。

 

 

 

 

その言葉が持つ意味、相手のことを思って

「言わない」ことを選んだその言葉より、

 

 

 

 

その言葉や言い方が相手にどんなふうに届くか

考えられることなく発せられたその言葉のほうが、

 

 

 

 

素直でいいねって

素直なのは大事なことだよって

 

 

 

評価されるこの世界で

 

 

 

 

 

 

 

言わなかった言葉は、どこに行くんだろう。

言えなかった思いは、どこに行くんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

消えてなくなれば、いいのかも知れない。

 

 

 

 

見えなくなって、忘れられればいいのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 


素直な人って、愛され上手。

 

 

 


いろんな人に、いっぱい愛されていいなぁって思う。

 

 

 

 


だけど、思われるんだろう。

 

 

 

 


だったら素直になればいいじゃん。

 


思いを言葉にすればいいじゃん。って。

 

 

 

 

 


そんなの自分が1番思っている。

 

 

 

 

 

 


素直になれたら、いいのになぁ。

 

 

 

 


愛してほしいって、言葉にできたらいいのになぁ。

 

 

 

 

 


どうして私は、言葉じゃなくて涙が出てくるんだろう。

 

 


伝えたいことはたくさんあるのに、
どうしてそれを的確に表現できる言葉を
見つけられないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


愛されたいって思ってる自分のことは、好きじゃない。

 

 

 


だって、いろんな人が愛してくれているのは

頭ではちゃんと分かっているから。

 

 

 

 


言葉にされんと愛されてるって実感できないのは、

言葉にされなければそう思われてると思えない、

自分の自信のなさの問題だから。

 

 

 

 

 

 

 

 


負け惜しみな悔しさだって

 

その感情をちゃんと認めて

 

 

負けたくなかった、

悔しい、悔しい、って

言えればいいのに。

 

 

 

 

 


そんなこと言ってる自分、

人にはどう見えるんだろうって
気にしてしまって言えない。

 

 

 

 

 

 


ほんとは悲しかったことも、
全然いいよって
気にせんでねって
そんな言葉しか出てこない。

 

 

 

 

 

相手を困らせたくないのもあるけど、


本当はそんなことで悲しんでる(怒ってる)人間だって

思われたくないって思っているから。

 

 

 

 

心の中ではこんなこと思っている自分。

だけど人はみんな、「優しいね」って言う。

 

 

 

 

こんなにこんなに真っ黒なのに。

 

 

 

 

泣き叫んでぶつけたくなる思いを抱えながら、

「そんなことないよ」って言ってみる。

 

 

 

 

優しいってなんなんだろう。

 

 

 

 

思いを堪えること?

 

自分を出さないこと?

 

 

 

 

優しいって言われるのが嬉しくない人がいることを

考えたことありますかって

 

 

 

喉まで出たその感情を

ゴクッて飲み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢中で取り組める趣味も

みんなに自慢できる特技も

 

 

 

なんにも取り柄がない自分だから

せめて優しい人間でありたいと思って生きてきたけれど

 

 

 

 

 

 

優しい人間になりきれなくて


こうやっていつも、自分の未熟さにぶちあたる。

 

 

 

 

 

 


自分が好きな自分に、いつになったらなれるんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

自分のことを好きになり切れない自分のことを

それでも好きだと言ってくれる人がいる。

 

 

 

 

 

 

自分のことが分からなくなりすぎて、

 

 

長所と短所を聞いた。

 

 

 

 


<長所>
・視野が広い、考え方が多様、固定観念が無さめ
・聞き上手
・人を否定しない
・落ち着いて考え行動できる
・全ての人のことを考えられる
・カッとなって感情に任されて行動しない
・客観的に物事を考えられる
・遂行力がある
・ことばが優しい
・目がきれい
・物知り、幅広い物事に興味がある
・文章力がある
・感動することができる
・せかせかしてない
・細かいことを気にせずグチグチ言わない
・わがまま言わない、ねだらない
・自分のことは自分で解決できる
・当たり前のことを当たり前にできる

 


<短所>
短所というか課題、みたいな感じね
・怒るより先に諦めてしまう(人に対して)(まあ時には必要なことでもあるけど)
・男運あんまない(びっくりする時ある笑)
・自分に自信がなさすぎ

 

 

 

 

 

長所と短所なに〜?って一言聞いただけなのに、

こんなにいっぱい答えてくれた。

 

 

 

 

 

 

涙が出るくらい、嬉しかった。

 

 

 

 

 

多分私は、みんなに愛される人間にはなれない。

 

 

 

 

だけど、自分を大切にしてくれる人を大切にすること。

 

 

 

忘れかけてたこのことを、久しぶりに思い出した。

 

 

 

 

伝わらないことに悲しくなるよりも

分かってくれる人がいることに喜びを感じ

その人に感謝できる人間でいたい。

 

 

 

 

 

すべての人に自分のことが分かられなくても

 

 

 

こんなにそばで見てくれてる人のことを

見失ってしまわないようにしたい。

 

 

 

 

 

毎日いろんなことがあるけれど

 

 

大切なことを忘れてしまわないように

また明日から生きていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢は見たもん勝ち?

 

 

「20代に伝えたい50のこと」

 

 

この本の著者、

秋元祥治さんの講演会に行ってきました。

 

 

 

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とてもとても面白い方で、
気づいたら
吸い込まれるように聞いている自分がいました。

 

 

 

この本を読んだのは1ヶ月くらい前だったけれど

その内容にはすごく納得して、

 

 

いや、もうほんとにその通りだなって思うことばかりで。

 

 

 

うだうだ言って、何もしない人たちよりも、

うだうだ言われてでも、何かしている人のほうが

ずっとずっと偉い。 

 

 

 

不満だって文句だって、言うのは簡単。

でも、自分だってそういう環境をつくっている一員。

 

 

あーだこーだグダグダ言うよりも

変えようと行動する人のほうが遥かに素晴らしいと思うし、

 

 

なにより、

いつ現れるか分からない誰かを待っているよりも

自分がやったほうが早くて確実。

 

 

 

そう考えるようになってから、

 

 

自分が所属してる大学も、サークルも、だっぴも

 

 

もっと大きく言えばこの社会だって、

 

 

変えようと思えばいくらでも変えられるんじゃないかなって思うようになりました。

 

 

 

逆に言えば、

 

現状を変えようとしてもいないのに

あーだこーだ言うだけって、

1番ダサくてかっこ悪いなぁって

 

思うようにもなってしまいました、笑

 

 

 

 

すべてのカクメイは、たった1人から始まる。

 

 

秋元さんは言っていました。

 


1人は微力だけど、無力じゃない。

 

 

何でも食べてみる(やってみる)こと。

 

 

人も物も経験も、触れれば触れるほど、

自分の好き嫌いが分かる。

 

 

 

そうして自分の価値判断を見つけていくこと。

 

 

 

本を読めば

秋元さんの仰ることがすごくよく分かるので

これ以上はここには書かないけれど、

 

 

講演会ではとにかく惹きつけられるように

秋元さんのお話を聞いていました。

 

 

 

 

最後、勇気出してサイン貰いに行きました。

 

 

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フルネームで名前を書いてくださって、

 

 

 

"どんなことに興味があるの?"って

 

気さくに話しかけてくださいました。

 

 

 

私がいま1番興味がある

『soar』というNPOのお話をしたら、

 

soarの代表(女性の方)の旦那様と

秋元さんは、まさかまさかのお知り合いで…

 

 

もの凄い衝撃を受けました、

 

 

 

東京にあるNPOだから、講演会も説明会も

ぜんぶぜんぶ東京開催で。

 

 

地方大学に通う自分にとって

かなり遠い存在に思っていたけれど

 

 

知り合いの知り合いって思ったら

なんだか急に身近に感じられて。

 

 

 

やっぱり凄い人です、、、

 

 

 

サインほしいなって思う人に出会ったのも

実際にサインを頂いたのも初めてのこと。

 

 

 

サイン頂いて終わりじゃなくて、

この気持ちをずっと忘れずに

今日をスタートラインにして

また動き出したいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

人生は、お金と時間の使い方で決まるそうです。

 

 

 

これを知ってから、お金と時間をかけるものを変えようと色々試してみました。

 

 

 

この生活は違うなぁって思ったら、辞めてもいい。

 

 

その生活が自分に合ってるか合ってないかは

やってみないと分からないことだから。

 

 

 

(成功の反対は失敗だと捉えがちだけど、

でも、失敗っていう結果が得られたのは、

行動を起こしたからであって

 

 

本当の意味での失敗って、

なんにもやらないことだなぁって最近は思います。)

 

 

 

だから最近、

"新しいものに触れる時間"を増やすように

意識し始めました。

 

 

 

興味だって、実際に触れてもないのに

勝手に"興味ない"って決めつけてしまっているものも

結構あるんだなって気づいたから

 

 

 

興味はないかも知れないけれど、

とりあえず読んでみるかーって

見てみるかーって

色々試すようになりました。

 

 

 

 

それに、自分の好きなものとか

興味のあるものだけに目は向きがちだけど、

 

 

自分が嫌いなものとか興味のないものとかを

見つけることも同じくらい大切だったんだなって

気づきました。

 

 

 

 

新聞読んでると、自分の興味のある分野とない分野が

それはもうハッキリ分かってきます。笑

 

 

 

 

国際情勢とか政治とか経済とか

知っとかんといけんなぁとは思うけど

 

 

 

無意識のうちに

そういう記事は読み飛ばしてる自分がいて。

 

 

 

逆に、国内のニュース

(特に子どもや家庭環境に関わる事件)

にはものすごく興味がわいて、

どうにかせんとなぁって思ったり、

 

 

 

社説を読んで、一般の人の意見や考え方に触れる時に

すごくワクワクしたりします。

 

 

 

 

"人"が見えてくる文章とか記事に惹かれてる自分に

最近気づきました。

 

 

 

 

こんな生活を始めて、色々変わった部分もあるけれど

でもやっぱ、周りを見て焦る時もあって。

 

 

 

このままでいいんかなって

どうしようもなく不安になる時もあります。

 

 

 


でも、周りと同じことをしたって仕方ない、

 

 

 


追いかけるんじゃなくて、自分の道を行くこと。

 

 

遠回りに見えて、それが1番の近道だって

最近学んだから、

 

 


私は私に合う方法で、

私だからできることを大切にしていきたい。

 

 

 

こんなふうに思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

あぁ私、強くなったなぁ。笑

 

 

 

 

 

 

 


夢は確かに、なくても生きていけます。

 

 

 

だけど(?)、

 

こんな言葉があります。

 

 

器の大きさは、描く夢の大きさに比例する。

 

 

 

さらにさらに、

 

想像できることは実現できる

 

って言うけれど、

 

これは逆に言ったら、

 

"想像できる(夢を描ける)だけの力がないと、

 夢は実現できない"

 

ってことなんじゃないかなって思います。

 

 

 

社会をどうしたいのか、

何を実現したいのか

 

 

これって、人間にしか考えられないことであって

 

この社会に生きている私たちにしか

思いつくことのできないことなんじゃないかな

って思います。

 

 

 

 

人に言われて何かをやる、

やりたいことすらも人に教えられてやる、

 

 

 

 

これなら機械でもできることだと思うから。

 

 

 

 

私はずっと、10年後、20年後の未来に悲観的でした。

 

 

 

AIに仕事を奪われるんじゃないかとか

ロボットが人間を超えてしまうんじゃないかとか

 

 

 

余計な恐怖と不安を抱いていました。

 

 

 

 

だけど最近、『10年後の仕事図鑑』という本を

読みました。

 

 

 

 

 

読み終わった今、

未来に悲観的になってる暇なんてないなって

思っています。

 

 

 

 

計算も分析も、確かに機械には勝てないけれど

 

 

でも、

 

 

思いを持ち、夢を描く。

 

 

 

私が私でいたら、それだけで私には

機械よりも遥かに価値があるのだと気づきました。

 

 

 

先の見えない未来に不安になるよりは、

自分が生きたいと思う未来の実現のために

いま自分ができることをやっていけたらいいんだと

思うようになりました。

 

 

 

 

夢って、描くのにお金はかからないし

想像力は豊かになるし

何よりとってもワクワクします。

 

 

 

叶えたい夢や思い描く将来が

それを話している相手と決して同じでなくても、

 

 


未来に向かってみんながワクワクできるって


すごくすごく素敵な空間だと私は思います。

 

 

 

 

 

 

私はもっと、未来にワクワクしたい。

明日にもっと、希望を馳せたい。

 

 

それも、1人じゃなくて、みんなで。

 

 

 

 

叶えられる/叶えられないは別にして、

(というか、そんなことは気にせずに)

夢や理想を誰もが語り合える

 

 

そんな社会でありたいんです。

 

 

 

 

 

秋元さんの本を読んだりお話を聞いたりしていると、

不思議と"何でもできるんじゃないか"って

思えてきます。

 

 

 

 

 

"人が人に寄り添える社会をつくりたい。"

 


この夢を叶えるために、
明日からまた少しずつ行動を起こしていこう。

 

 

 

久しぶりにワクワクする瞬間に出会った1日でした。

 

 

 

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みんなめっちゃいいえがお、笑