はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

記憶の中に

懐かしい人のことを、思い出すことがありました。

 

 

 


自分のこと。
あの時話した夢のこと。

 

 


こんな自分が話したことを
月日が経った今でも覚えてくれているのって

 

 


とてもとても嬉しくて、

なんだかじーんとしちゃいました。

 

 

 

 


だけどそれと同時に、
今の自分の"心から目を背けてる感"を

突きつけられた気がして

 

 


うまく言葉にできないけど

 

 


自分の感情を直視できないというか、
自分すら自分の感情にまっすぐ向き合えないというか

 

 


最近の自分はそんな状態がより一層強まってたなって
気付かされました。

 

 

 


いい加減こんな自分から抜け出したいのに。

 

 

 

 


私は人に本音をさらけ出すのが本当に苦手で。

 

 

 

変わろう変わろうと色々頑張ってきたけど


こういうところは全然変わってなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いつだって

本音でぶつかりたいっていう思いはあるんだけど

 

 

 


でもやっぱり傷つくのがこわくて、


裏切られるんじゃないかとか
見捨てられるんじゃないかとか
ほんとは違うこと思ってるんじゃないかとか

 

 

 


どれだけ相手と楽しい時間を過ごしたって
そんなことを思ってしまう自分がいて

 

 

 


相手のことを信じきれないそんな自分に

嫌気が差す毎日で。

 

 

 

 


それで最近はますます自分の殻に

閉じこもってしまっていました、

 

 

 

 


殻っていうのは自分がつくったものではあるけれど

 


自分を守るためにつくったものだって
そこには強さがないから

 


本当の意味では私のことを守ってくれなんかしない

 

 

 

 


だから、
ふとした時に、寂しくなります

 

 

 


なんにも気にせず素直に感情表現して

思いっきり笑ってその時その時を全力で

楽しんでる人を見ると、

 

 

 


あぁいいなぁって、
自分もあんなふうに生きたいなぁって

 

 

 


涙が出てくるんです

 

 

 

 

 


いつになったら

こんな自分から抜け出せるんだろうなぁ。

 

 

 

 


その人は、中学時代に本当の自分をさらけ出せた
数少ない存在のうちの1人でした。

 

 

 

 


6年経った今でも

私が話したことを覚えてくれていて、


ずっと連絡をとっていない私のことを

気にかけてくれていて。

 

 

 

 

 


私は心を開くのに

人よりすごく時間がかかってしまうけど、

 

 


でもそれでも、あの時あの人に本当の自分を

さらけ出していてよかったなぁって

心から思いました。

 

 

 

 

 

 


人の言葉なんて、

どこまでが本音でどこからが建前なのか
全然分からなくて

 


言葉も笑顔もなかなか信じることができなくて

 

 

 

 

疑ってばかりのそんな毎日は本当に疲れる、

 

 

 


だけど、


本音本音ってこだわっている私こそ


本当は誰よりも

 

本音でぶつかっていないのかもしれないなぁ、

 

 

 

 

 


本当の自分を知られてしまうくらいなら
取り繕った自分を見せて

 


その姿を私として見てくれてたらいいやって
投げやりになってしまってる部分もあって。

 

 

 


前までそれ(みんなに思われたい自分)は
優しい人とか笑顔な人とかで


だからよく見せようって頑張っていたけど

 

 

 


今は、強い人に見られたいというか
弱い人だと思われたくない、っていう思いが

大きくなって

 

 

 


弱い自分を知られたくないから


そういう感情に蓋をするようになってたんだなって


今日やっと気が付きました。


 

 

 


だからずっと、しんどかったんだなぁ

 

 

 

 

 

 

 


解決策は見つからないけど


でも、少しずつ乗り越えていくしかない。

 

 

 

 


こわさだって傷だって


生きていくためには

 


それも全部自分なんだって

 


受け入れていくしかないんだから。

 

 

 

 

 

*****

 

 

こんなこと言っても仕方ないけれど

 

 

 

この生き方で、いいんだろうかと思う時があります。

 

 


大学に行って、授業を受けて、だっぴに行って、

ボラに行って、バイトして。

 

 


レポートを書いて、新聞を読んで、本を読んで、

お気に入りの記事を読んで。

 

 

 

その中でいろんな人と関わって、刺激を受けて

 

毎日それなりに楽しいし充実してるなぁって思います。

 

 


それに、人生なんて、比べるものではないのかもしれない。

 

 


だけど、いろんな人の生き方に出会って、

いろんな考え方を知って。

 

 

 

 

 

 

私の目には、私以外のすべての人の生き方が、

本当に素晴らしく映る。

 

 


まがってなくて、灰色じゃなくて。

 

 

悩みや葛藤でさえも、キラキラしてるように見えて。

 

 

 

 

 

それに比べて、私は、私は、

 


って、考えてしまう。

 

 

 

 

自分の親が、やりたいことをやらせてくれて

やりたいように生きさせてくれているように

 

 

 

もしも私が将来こどもをもつ立場になったら

 

 

 

私は自分の子にも同じような満足した生活を

送らせてやることができるんだろうか。

 

 

 

考えたって仕方ないけれど。

 

 

 

そんなことを思う毎日です…

 

 

 

 

 

 

 

 

涙涙の毎日も、

何年後かには笑って語れるようになっとるんかな、

 

 

 

だけど

 

 

 

いくら不安になったって先は見えないから、

今は今やるべきことをしっかりやっていこう。

 

 

 

 

 

 

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いま無性に、京都にいる友達に会いに行きたいから

鴨川の写真でも載っけときます

 

 

 

 

 

 

いろんなこと書いちゃったけど

 

 

 

写真1枚で、いろんなことを頑張れる、

 

しあわせな環境に生きとるなぁ…って思います

 

 

 

 

 

今日も悔いなく生きてやるんだ、!

 

 

 

 

 

 

思いが言葉を超えるとき

なんだか最近、1つのテーマに絞って

 

ブログを書くのが難しくなってきて、

 

 

 

内容がほんとに個人的な日記みたいになってしまって

 

 

 


どうまとめたらいいのか分からないんだけど

 

 

 

 

 


これも私のスタイルってことで

 

 

 


今日は、

 

 


最近あった、自分の世界を広げてくれる人や

出来事との出会いを書こうと思います。

 

 

 

 


話がころころ変わりますが


広い心で読んでください、m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

この前初めて、アジトのウタゲに行ってきました。

 

 


そこで、私とほぼ年の変わらない

 

5人の旅人と出会いました。

 

 


感じたことは沢山あったけれど、1番の感想はこれ。

 

 

 


みんなとにかく面白い!

 

 

 


話の引き出しが豊富で、ずっと笑いの絶えない空間。

 


だけど、旅の目的とか旅先でのエピソードを

真剣な眼差しで語る姿に、心を掴まれました。

 

 

 


聞きたいことすべてはなかなか聞くことは

できませんでしたが、短時間の間にあんなに

ぐいぐい引き込まれたのは初めてのことでした。

 

 

 


旅人にも、いろんな旅人がいます。

 

 


ヒッチハイク、自転車、歩き…

 

 


彼らはみんな、日本一周を目指しています。

 

 

 

 


なんだろうなぁ、


みんなキラキラしていました。

 

 

 

彼らの話を聞いていると、

 


時間とかお金とか


そういう概念をぶっ壊して

 

 


やりたい時にやりたいことをやって生きてる人って

 

 

魅力的だなぁと、

 

 

人との出会いや縁というものは

何にも代えがたい宝物だなぁと

 

そんなふうに思いました。

 

 

 

 

 

 


私がした旅といえば、3月の東北ひとり旅くらい。

 


その話をすると、一人の子が教えてくれました。

 

 

 

 

"自分が被災地に行った時は、

まだまだ被害の傷跡がかなり残っていた時。

 

 


車とか家とかが街に流されてて、

そこを歩いたんです"

 

 

 


そうして彼は、こんなふうに言いました。

 

 

 

 


"歩いてて、あれほど勇気をもらった街はないですね"

 

 

 

その景色を見て、実際にそこを歩いて、

 

いろんな思いを持っただろうと思ったのだけど

 

 

 

 

その言葉が、すべてを語っている気がしました。

 

 

 

そして、

 

 

 


絶対また東北行こうって、そう心に決めました。

 

 

 

 

 

真面目モードもありつつも、


彼らがいる空間は

いつも笑いの渦に包まれていて

 


私も終始笑っていました。

 

 

 


次の日も、別の用事で誘ってくれて、

彼らに会うことができました。

 

 

 


限られた時間の中だったけれど、その時間の中で
ものすごく元気と勇気をもらいました。

 

 


旅人だから、次の目的地に行かなきゃいけない。

 

 


あっという間の別れ。

 


だけど不思議と、またどこかでひょっこり

会えそうな気がします。

 

 

 


ちゃんと元気で、無事に日本一周を

果たしてほしいなぁと思います。

 

 

 

 

*****

 

 

 

いま、だっぴで

 

 

自分が企画リーダーとなって企画している

イベントがあります。

 

 

 

今までは、"ついていく"だけだっただっぴが、

 


こうしたらいいな、

 

こうなったらいいな、って思って

 


自分から行動するようになりました。

 

 

 

"ほしい未来は自分でつくる。"

 

 


この言葉に出会って、


誰かがやってくれるのを待っているだけじゃ

なんにも変わらない、

 

気づいたことは、自分がやろうって

思うようになりました。

 

 

 


去年までとはがらっと変わっただっぴ。


土台づくりは思っていた以上に大変だけど


でも、みんなでやるから楽しいです。

 

 

1人じゃないから、頑張れます。

 

 

 


一生懸命やってるのを、見てくれている仲間がいるから
まだまだ頑張ろうって思います。

 

 

 

「いいものにしたい」っていう思いがあるからこそ、

 

チームを組んで一緒にやっていくうえで

ぶつかる時もあるけれど

 

 

 

そんな時間や経験もほぼ初めてのことで

 

すごく楽しいです。

 

 

 


自分が企画したことを、叶えたい思いを、


みんなが

 

「こうしたらいいんじゃない?」


「この案はどうですか?」って

 


時間をかけていっぱい考えてくれる


そんな姿を見ていると、

 


あぁ絶対成功させたいなぁって思うんです

 

 

 


思いがカタチになる瞬間を


こんなにすぐそばで見て感じることができるのは


だっぴの魅力だなぁって思います。

 

 

 

まだまだ始まったばかりだから、

最後まで責任を持って

必ず成功させたいです

 

 

 

 

*****

 

 

ずっと尊敬してて、話してみたかった人と
話せる機会がありました。

 

 


その人は、言葉がかなり乱暴な時もあって、
SNSの内容もめっちゃ尖ってるし、

 

 


はじめはこわいイメージを持っていた人なんだけど、

 

 


でも、実際話してみると、

びっくりするくらい優しい声の人で。

 

 

 


性格は顔に出るっていうのと同じように、

 


声にはその人の感情が宿るらしいです。

 

 

 


だから、初めてその人の声を聞いたときに、

 


あ、ほんとは優しい人なんだなぁって思いました。

 

 


声が優しい人って、いいなぁって思います。

 

 


自然と心を開いてついついいっぱい話してしまいます。

 

 


私は、「ムリだ!」って思った人には

全然話せなくなるんだけど、

 


その人と喋るのは2回目だっていうのに

全然緊張しなくて、

 

 


すっと打ち解けられて、なんというか

あったかい雰囲気の中にあっという間に

入っちゃった、みたいな感じでした。

 

 

*

 


その人にしか見えない世界の見え方に触れるとき、


ぱああって、自分の世界が広がります。

 

 

 


その人の全部をわかりたい、理解したいって思っても

 

 


その人の過去をまるごと全部背負うことなんてできなくて

 

 


どれだけ頑張ったって

 

 

 

私には分からない(分かれない)、
その人にしか見えない世界の見え方があって。

 

 

 


今まではそれをぜんぶ埋めようとしてたんだけど

 

 


でもいまは、私とその人とで、見える世界がちがって

 

当然だって思うようになりました。

 

 

 


だって同じように、


私には私にしか見えない世界の見え方があって


私にしか感じられない物事の感じ方があると思うから。

 

 


それを無理やり分かられようとするのって
とてもしんどいなって気付かされることがあって。

 

 

だから、

 


私は私にしか見えない世界の見え方を大事にしたいし、

 

 

その人に見えてる景色を知った時、


あぁこの人にはこんなふうに見えてるのかーって

 

 


そのちがいを楽しむことができたら


とっても楽だししんどくなることもないし、


そんなふうに思えるようになりたいなと思います。

 


 

*****

 

 

*****

 

人と話している時、相手に対して


たぶんしんどい状況にいるんだろうなぁって感じても、

 

 

簡単に言葉をかけてしまったために


本当に伝えたいこととは違う捉え方を

されるかもしれない、

 

 

ということを極端におそれてしまって  

 

 

 

 

自分にとってその人が大事だから

相手のことを不必要に傷つけたくなくて、

 

 

 

言葉を選んで言い方を考えているうちに

 

 

結局なんにも伝えられることなく終わってしまって

 

 


あー自分は、人1人も慰めることができんのだなぁって

 


せっかく本音を話してくれたのになぁって

 

 


今日はそんなふうに思うことがありました。

 

 

 

*


相手のことをすべて理解するなんてできないこと

 

ちゃんと分かっているし

 

 


自分のことをすべてわかってほしいとも思わないけど

 

 

 


推し量れない気持ちの部分を


分かろうとされることなく


ぐしゃってされる時もあって

 

 


ちょっと考えたら分かるじゃんって

 

 

そんなふうに、

 


無意識のうちに、「伝わらない」ことが

相手のせいだと思いこんでいる自分に気づいて

 

 


反省しました。

 

 

 


おんなじ1日の間に、いろんな感情がわいてきます。

 

 

 


人とかかわるって、難しい。

 

 

 


だけどその分、

人とかかわることの喜びも知っているから

 


人と居るからこそ生まれる感情を


大事にしたいなと思います。

 

 

 

 


"わかってほしい"とか"気づいてほしい"とかいう感情は

 


繊細センサーがついてるのかってくらい

心が敏感になって

 

 


ついつい乱暴に、大胆に表現してしまいがちだけど

 

 

 

そういう時こそ

 


相手に対して、自分はどうかなって考えたら


ちょっとだけぐっと、堪えられそうです

 

 

 

 

 

 

 

今日のブログは、ものすごく壮大なタイトルを

つけたんですが、閃いちゃったから仕方ない、。笑

 

 

私は、自分の気持ちをなかなか

納得できる言葉で表すことができなくて、

 

 

自分の思いを明確に表せる言葉を見つけるのに

ものすごく時間がかかります。

 

 

 

 

 

だけど、自分を表現できる

上手な言葉はみつからなくても、

 

「伝えたい」という思いがあります。

 

 

 

だから結局、今日のブログみたいに、

ぜんぶ中途半端に伝えることになってしまいます

 

 

 

とてももどかしいけれど、でもそのもどかしさに

ネガティブになりたくはないから

 

 

 

そんな時は、"思いが言葉を超えているんだ…!!"

 

と、思うようにしています。

 

 

(ただ語彙力が無いだけなんですけどね…!笑)

 

 

 

振り返ってみると、今日ここに書いた出来事は全部、

思いが言葉を超えた瞬間たちでした。

 

 

 

 

だから、ブログ初めて以来、最高にグダグダで

伝えたいことがよくわからん内容になってしまいました。

 

 

 

 

「書かない」っていう選択もできたけど

 

 

でも、今の自分の気持ちが

「書きたい」だったから書きました。

 

 

 

 

 

飽きずに読んでくれた人がいたら、感謝感激です、

 

 

 

 

 

 

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この前、空を見上げると


久しぶりに心惹かれる景色が広がっていました。

 

 

 

 

 

考え込んでしまうこともあるけれど

 

こんな景色を見たら、また頑張れそうだなって思って。

 

 

 

 

私は言葉で励ますのが下手くそだから…

 

 

 

 

私がこの景色を見てちょっとだけ元気になれたように

 

 

この景色をお届けすることで

 

"また頑張ろう"って思ってもらえたら嬉しいなって。

 

 

 

ここまで読んでくれた皆さんにお裾分けです、☺

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

また読みに来てくれたら嬉しいな、

それではまた☺

 

 



 

 

 

 

 

 

 

「合わない」を「面白い」に変えていく

最近、大好きな友達と、ご飯に行きました。

 

 

 

 

その子は私に会うと、分かりやすいくらい

嬉しそうな反応をしてくれます。

 

 

 

 

だから、私まで嬉しくなっちゃいます。

 

 

 

 

"北行ってから、はるちゃんめっちゃ変わったよねぇ"

 

 

 

"え、それはいい意味で?悪い意味で!?"

 

 

 

 

"なんて言うんかなぁ、

 

強くなったよね!

 

 

 

前のはるちゃんは、私がどんな話をしても

目をうるうるさせとったのに、それがなくなった"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しくなくなった、ってことなのかな…

 

 

 

前までは、言われる言葉もされる行動も

100%そのままに受けとっていました。

 

 

 

私自身は、それをなくす

(何でもかんでも吸収し過ぎない)ことで

すごく生きやすくなったのだけど

 

 

 

それは周りから見たら

 

 

前のほうが良かったとか、

今のほうが良いとか

 

 

 

気になるところではあったけれど

 

 

 

"それがはるちゃんだから

どっちが良いとか悪いとかじゃない"

 

 

 

って言われてから、

 

 

そんなの気にしてしまった自分、

なんて小さいんだと

 

はっとさせられました、笑

 

 

 

 

 

良く言えば、

はねとばす力と、

折り合いをつける力がついたのかな、

と自分では思います

 

 

 

 

 

(内容が良いことでもそうじゃないことでも

 

 

 思っていることを素直に伝えてくれるのって

 すごく嬉しいなぁと思います。)

 

 

 

 

 

 

 

さて、前置きが長くなっちゃいましたが

 

 

その子と話をしていると、

「魅力的な人って、どんな人かね?」っていう

話になりました。

 

 

 

 

 

 

その子はこんなふうに言いました。

 

 

 

"例えばはるちゃんと話しとって、

「はるちゃんだなぁ〜」って感じる時に

面白いなぁって思う。"

 

 

 

 

その人らしさを感じる時に、

その人に魅力を感じる、ということです。

 

 

 

 

 

素晴らしいことだけど、

なんだかちょっと実感がわかなかったのも

ほんとです。

 

 

 

 

「自分とは合わないなぁ」って人のことでも、

その人らしさを感じることがあったら

ワクワクするってことじゃないですか。

 

 

 

 

そんなことあるの…?

 

 

 

 

その子は言いました。

 

 

 

"自分と合わなければ合わない程に

「この人何言っとるんやろう」って面白くなる!"

 

 

って。

 

 

 

 

その日はほんとにいろんな話をしたのだけど

これが1番ハッとさせられたというか、

なんだかその子っぽいなぁと思ったのです。

 

 

 

 

 

「その人らしさ」というのは、

言い方を変えれば「違い」にもなります。

 

 

 

 

それを「楽しめる」、「楽しみにしてる」って

なんだか素敵な発想だなぁと思いました。

 

 

 

 

 

世の中には、いろんな人がいるわけで。

逆に言ったら、同じ人なんて1人もいなくて。

 

 

 

違いって、亀裂とか対立を生んでしまうことも

あるような気がするのだけど

 

 

 

その子の「違い」に対する考え方を知って、

深く納得してしまいました。

 

 

 

 

 

「違い」は、勿論受け入れられれば最高だけど

 

 

でも、受け入れるまではいかなくても

 

 

 

「否定しない」だけで充分だなぁと

思ったのです。

 

 

 

 

 

そのことがよく表れてたのが、

「共有はするけど強要はしない」

という言葉です。

 

 

 

 

(その日その子は名言を連発させてました、笑)

 

 

 

 

 

これらは、自分に余裕がないと

できないことだなと思います。

 

 

 

 

自分の意見というのは、

人には分かってほしいし認めてほしいものです。

 

 

 

 

これはきっと、誰もが思うことなんじゃないかな、

 

 

 

 

だけど、ぜんぶの意見を受け入れるのって

とても大変なことだとも思います。

 

 

 

 

そこにはどうしても、

"価値観の違い"や"経験の違い"があるから。

 

 

 

 

だから、「受け入れる」ことは難しくても

 

 

自分の意見を押しつけない(強要しない)、

=自分とは考え方の違う相手を「否定しない」

 

ということを

 

 

意識していたいなと思います。

 

 

 

 

 

ちょっと1歩引いて見て、考えてみる。

 

そんな余裕のある生き方をしたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、自分の世界を広げてくれる人に

とても魅力を感じます。

 

 

(まぁ、根底には「やさしさがある」のが

大条件なのだけど) 

 

 

 

 

そういった意味では、その子はとっても

私の世界を広げてくれる人です。

 

 

 

 

その子と話すと必ず、

「うちらって、ほんま色々真逆よねぇ」

という話をします。

 

 

 

 

 

なんだろうなぁ、

 

不思議なくらい、

生き方も考え方も

ほんとに真逆なのです。

 

 

 

 

だからこそなのかも知れないけれど、

そういう子と居たら新しい発見が沢山あります。

 

 

 

 

 

勿論、その「新しい発見」の全部が

自分に合うかって言われたら

そうではない時もあります。

 

 

 

 

だけど、違いを楽しむことを学んだので

また1つ、柔軟な考え方ができるようになったなぁと

思うようにしています。

 

 

 

 

 

 

その日はまた、自分の世界が広がった日でした。

 

 

同時に、この子と友達になれてよかったなぁと

心から思ったわけであります、へへ

 

 

 

 

 

違いを否定しないこと。

「合わない」を「面白い」に変えていくこと。

 

 

 

 

これができたら、

 

なんだか少しだけ

 

窮屈な世界から抜け出せるような

 

そんな気がします☺

 

 

 

*****

 

 

 

今の私は、

とてつもなくアトピーに苦しめられています。

 

 

 

 

かゆいかゆいかゆいかゆい…!!!(泣)

 

 

 

 

かゆすぎて夜何度も目覚めます。

 

 

かゆすぎてぐっすり眠れないのです。

 

 

 

 

ついでにアトピーは顔にまで進出してきて

 

 

 

こんな顔じゃ

人に会うのもいやだなぁと思ってしまうくらいです

 

 

 

 

私は掻くことに際限がない、というか

痒ければ痒いだけむさぼるように掻いてしまいます。

 

 

 

ずっとそうしてきたから、肌は傷だらけです

 

 

 

そしてステロイドを塗り続けてきたから

肌は黒くなっていきます

 

 

 

 

 

白くて綺麗な肌のひとが、

すごく羨ましいです。

 

 

 

 

こんなこと言ったって、何にもならないけど。

 

 

 

「じゃあ掻くのやめれば」って

思われるかもしれないけど。

 

 

 

掻くこと我慢したら

ストレスでおかしくなりそうなのです

 

 

 

 

 

 

まぁ、これも含めて自分だと

受け入れて生きていくしかないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

アトピーの治療法、

早く出てくれんかなぁ。

 

 

 

*****

 

本音をぶつけた先にあるものって、

強くて深くてあたたかいものだなって

最近よく思います。

 

 

 

 


ぶつけた思いがどんな感情であっても、

不思議と「きらい」になることはありません。

 

 

 

 

むしろ、本音をぶつけられる関係性に、

ありがとうって思います。

 

 

 

 

 

まっすぐな思いを届けてくれる存在が

自分のすぐ近くにいるのだと思うと

 

 

なんだか心があったかくなります。

 

 

 


だいすきだ、ってなります。

 

 

 

 

 

アトピーはとっても辛いけど

 

 

そんなことを感じられる日々。

 

 

 

 

今日もわたしは

幸せな空間に生きています☺

 

 

 

 

 

 

 

 

人を変えるということ

人を変えるのって、難しい。

 

 

 

こんなことを思うことが続いていたので

今日はこのことについて書こうと思います。

 

 

 

 

 

私の友達に、こんな人がいます。

 


普段はとっても明るく振る舞ってくれるのだけど


実はかなりの根暗で


これでもかってくらい人生において悲観的で


私の言葉や行動じゃ
ちっとも救えないくらいに
人生に絶望している

 

 


そんな子です

 

 

 


ちょっと前まで
私もそんなだったから

 

 


その子の気持ちは痛いくらいにわかるし
私もその子の存在に救われていました

 

 

 

 


だけど、今の私は違います

 

 


その子と話すたびに、
あぁ自分だいぶ変わったなぁって思うようになりました

 

 


同時に、

人を変えるのって

とても難しいなぁと思います。

 

 

 


ちょうど1ヶ月くらい前、


「自分が変わるのは

 自分が頑張ればいいだけだから簡単だけど、

 人を変えるのって難しいよね」

 

という話をしたことがあり、

 

 


いまそれを、身をもって感じています。

 

 

 

 


人を変えるのって、

何をどこまでどうやって頑張ったらいいのか

分からなくて、

 

 

 


こちらがアクションした分だけのことが
全部必ず相手に届くことなんてほとんどなくて、

 


なんかもうすごく大変だなって思います、

 

 

 

 

 


今までの私は、

力になりたいと思う
その人の思いも考えも全部背負って

それで結局自分がしんどくなってしまう、

 

ということを何度も繰り返していました。

 

 

 


はじめは、心から本当に思うんです。

 

 


だけど、

その子のことをどうにかよくしたいって

思っているうちに

 

いつの間にかその悩みにのめり込んでしまっていて

 


悩みや不安がぜんぶ自分事として

降りかかってくるために

 

 


日が経つにつれて
苦しくなってしんどくなって

 

 

何もできない自分に悲しくなっていました。

 

 


相手の状況がよくなってくれれば救われるのだけど
そんなことばかりではなくて

 

 


あれしてもだめ、
これしてもだめ、
じゃあ私はどうしたらいいんじゃろう、って

 

 

 


"これだけのことしたのに"って
結局見返りを求めてしまっている自分に気づいて
そんな自分にうんざりする、

 


そんなことを続けていました。

 

 

 


だけどそんなある日、
「他人の課題は他人の課題として切り捨てる」

ということも大事なのだと学ぶことがありました。

 

 

 


だって、その子の人生を生きるのは、その子だから。

 

 

逆に言えば、私はその子のために生きるわけではない。

 

 

 


偉そうなことは何も言えないけれど

 

 


その子の悩みにのめり込んでしまったために


しんどくなって

 

いっぱいいっぱいになってしまうんじゃなくて

 

 


今の自分にできる範囲のことでしていけたら

いいのかなと思えたのです

 

 

 


今回私は、

 


その子の思いや考えが痛いくらいにわかってしまう分、

その子の悩みをどうにかしたくて 

 


その子とほぼ同じ心境だった私が今、

楽しさを感じられるようになったのと同じように、
その子にも同じ思いを持ってほしいなって思って

 

 


幸せとか生きがいとか人生の意味とか


そんなようなことに関することを

自分なりに勉強もしてみました

 

 

 

(その分野には自分も興味があったので

とても楽しい勉強でした)

 

 


アドラーとかラッセルとか神谷美恵子とか
頭がおかしくなるくらい
「幸せ」について考えていました

 

 


だけど、どれだけ私が頑張ったって

 


その子に「変わりたい」という思いがなければ
全然響いてもらえなくて。

 

 


伝えたい思いも伝わらなくて。

 

 

 

 

 


いろんな哲学者の考えを知っていくうちに、


自分の欠点にしか目がいかない

(=自分のことでネガティブになりすぎる)って、

 

自分の世界に閉じこもっていて、

 

実はとっても小さなことだったんだなって気づきました。

 

 

 


だけどこれって

悩んで悩んで悩んでる人に向かっては

なかなか言えなくて。

 

 

 

 


その子は私に、

ただ話を聞いてほしい関係を

求めているだけなのかも知れない。

 

 


それは同時に、

聞く相手は私じゃなくてもいいってことなのかも知れない。

 

 

けれど

 


普段人に見せない弱い部分を

私に見せてくれようと思ったその子の気持ちを考えたら

 

 

 


とてもじゃないけど

 

 

 


そんなことを言える勇気を持てないのです

 

 

 


自分が何日も何年もかけて悩んできたことを

簡単に分かられてたまるか!

っていう悔しい思いもわかるから

 

 


無理に励まそうと、簡単に言葉をかけたくもないし、

 

 


その子が私に何を求めて悩みを打ち明け

弱い自分を見せてくれているのかによって

 

 


私がすべきことは変わってくるのかなって思います

 

 

 

 

(これは私だけなのかも知れないけど

人と向き合う時、

あれこれ想像し過ぎて

脳みそがたりない、😣ってなります)

 

 

 

何をするのが

その子のためになるのか分からないけれど

 

 

分からないからこそ

ちょっとずつ模索しながら

その子と接していけたらなと思います。

 

 

 

(人を変えるのは難しいし

なかなか上手くはいかないけれど

 

 

私もその子から教えてもらったり

気付かされたりすることはたくさんあり、

 

 

「互いに影響し合える関係にいる」という意味では

 

この悩みをもてることも

実は幸せなことなのかなとも思います)

 

 

 

***

 

 

 

ブログを書かなかった(書けなかった)

およそ1ヶ月、こんな自分に気づきました。

 

 

 

 

それは、


落ち込むことも凹むこともあるけれど

 

 


でも、だからって

 

 


ずどーんって悲しみだけが襲ってくる、
なんてことがなくなったということ。

 

 

 

それはきっと、心のどこかで

"そんな自分でもいいや"って

思えるようになったから。

 

 

 


自分で自分を認めるって
こんなにも大切で大きなことだったんだなって
実感しています

 

 

 

 


今はまた、将来について悩み始めています。

 


だけどもう、悲しくなったりはしません。

 

 

 


どっちがいいとか、正解とかじゃなくて、

いろんなものに沢山触れて、考えて、悩んで、

それで決めたらいいやって思うのです。

 

 

 

 


大切なことは、

自分で選んだ道に

納得して生きていけるかどうかであって、

 

 

 

そこに「人はどうか」ってことは全然関係なくて。

 


 

 

 

 

こんなこと言ったら

理想論に聞こえるかもしれないけど

 


だけどほんとに、そう思っているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

"これからの時代に安定なんてないよ"

 

 

"今ある仕事の半分はロボットがやってる未来だよ"

 

 


将来を考える時に必ず言われるこれらの言葉。

 

 

 

 


ゆとり世代と言われ

少子高齢化地球温暖化は小学生の頃から

耳にたこができるくらい聞かされてきた

 

 

 


年金だって保険だって

難しいことはよく分からないけど

 

 

 


でも、みんなで生きていくためには

働く期間が増えるのも

年金が減るのも仕方のないことで

 

 

 

 


変わらない、変えられない事実に文句を言うよりかは

 

 


変わらない、変えられない事実のなかで

 

 

 

果たして自分ができることとはなんだろうって

そのなかで自分がやりたいことってなんだろうって

 


考えていくしかなくて。

 

 

 

 

 

 

 


平成だって、もうすぐ終わる。

 

 

 

 

 

 


今の子どもたちは、スマホの電話のマークが

何を表してるか分からないらしいです。

 

 

 

 

 

 

 


固定電話を見たことがないから。

 

 

 

 

 

 

 

そう考えたら、

 

 

 

今ある常識だって

数年後には常識じゃなくなってるんだろうな、

 

 

 

 

 

 

そんな時代に生きているからこそ、

誰もが想像するような

"絶対的な幸せ"なんてきっとなくて

 

 

 

自分が思う幸せに向かって生きていけたら

それだけでもう充分だなぁって思います

 

 

 

 


その幸せに向かうためには

自分の中に

しっかりした判断基準を持っていないといけなくて

 

 

そのためにはいろんなこと経験して

いろんなもの吸収して

 

 

 

ちょっとやそっとのことでは

へこたれんような人間にならんとなぁと

 

 

 

 


最近はそんなことばっか

考えてます、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、いろんなことに対する優先順位が変わってきて

 


ブログ書く頻度もかなり下がってきちゃったのだけど

 

 

 

 


書きたいことを

書きたい時に

書きたいように書けるようになっているから

 

 

 

 


これからもこんな感じで書けていけたらなと思います

 

 

 

 

 


5月はなんとなく憂鬱だけど

頑張りましょう、!

 

 

 

 

お久しぶりでしたが

読んで頂きありがとうございました

 

 

 

 

あ、私が行動することから逃げようとしてたら

誰か止めてください、笑

 

 

 

 

 


それではまた☺

 

 

 

本音で話せる勇気と時間を-part2-

ずっとずっと、将来が見えなかった。

 

 

だけど、最近になって、とんとんとんって


少しずつではあるけれど、将来が見えてきました。

 

 


(どういう流れでどんな思いを持って

どんな夢を見ているのか


本当はぜんぶ言葉にしてここに書きたいのだけど、
あまりにも長くなりすぎるので、今の私の思いを

ここには記したいなと思います。)

 

 

 


私にはずっと、

「居場所をつくる人になりたい」という思いがありました。

 

 

 


けれど、その対象者は誰なのか、


どういう方法で居場所をつくっていくのか、

 

 

 


それらのことは自分でも全然分かっていなくて、
ただ漠然と、居場所をつくる人になりたいと
そんなふうに考えていました。

 

 

 

 


今の私が描いている未来は、


精神的にしんどい思いを抱えて生きている人たちの
心の拠り所となる場所をつくりたい、


そんなようなことです。

 

 

 


具体的には、

 


社会的にはあまり認知されていない
心や病気の悩みを抱えた人たちがいること、


マイノリティの立場にいる人たちのこと、


そしてその人たちの思いを


自分自身も勉強しながら発信していきたいなと

思っています。

 

 

 

 


素敵な出会いもたくさんあったけれど、
私にとって高校時代はとても辛いものでした。

 

 

 


こんなこと書いたら

家族を悲しませてしまいそうだけど

 

 


どうやったら、楽に、綺麗に、

迷惑かけずに死ねるかなぁって


毎晩そんなことばかりを考えていました。

 

 


生きる意味も目的も
何のために生きて
何のために頑張ったらいいのかわからなくて

 


生き方も頑張り方も、全然分かりませんでした。

 

 


自分の存在価値が分からなくて、
ずっとずっと自己否定を続けていました。

 

 

 


だけど、そんな私でも、
大学に入って、だっぴに入って、

私は私でいいやって思えるようになりました。

 

 

 

普通であることの勇気をもつこと。

特別良く(悪く)あろうとする必要はない、

そのままの自分を認めること。

 

 

 

人間は、自分自身の声を1番聞いている。

人から言われた言葉だって、

それを脳内で何度も再生しているのは自分。

 

 

これと同じように

人生を意味づけしているのは自分自身であって、

そこに他者は関係ない。

 

 

 

トラウマだって、考え方を変えれば、

"自分の人生を大きく変えたもの"として

捉えることもできる。

 

 


だったら同じ人生、

 


自分で自分を認めて生きていきたいし、

誰になんて言われたって

私は私なんだと胸を張って生きていきたい。

 

 

 

 

 

簡単に言えば、こんなふうに思うようになりました。

 


(もちろんこう思えるまでには、

すごくしんどいこともたくさんあったけれど…)

 

 

 

 


私は、私と同じように、

その時はしんどい思いを抱えて生きていても、


その人が輝ける場所というのが

絶対にあると思うんです。

 

 

 


今はしんどい環境にいる人たちにも、
生きるのが辛くて仕方ない人たちにも、

 

 


誰にでも同じように"居場所"があるということを、


自分の生き方で証明したいんです。

 

 

 


病名をもらっている人たちは、病名をもらう程の

すごくしんどい状況にいるのだろうなと、思います。

 

 


けれど、「病院」という、いわば

助けてくれる環境に身を置けているということは、

 

 

見方を変えたら

 


支援・応援してくれる環境がある、
ということでもあるのかなと思います。

 

 

 


だから私は、将来的には、


病名をもらうまでにはいかない、いけない人たち


(病院に行く勇気がない、

病院に行っていいのか分からないけど、

でもすごくしんどい環境にいる人たち)


の力になりたいなと思っています。

 

 


すごくすごく、難しいことであると思うけれど…

 

 

 


私は、大学で心理学を学んでいるわけでも

そういう系の免許を持っているわけでもありません。

 

 


だから、専門知識が必要な職業には

就くことができません。

 

 

 


これからやりたいと思っていることも、

もしかしたら、叶わぬ夢となるかもしれません。

 

 

 


それでも、頭の良さが足りなくても、

専門知識が足りなくても、

 


その人たちに、そしてこの社会に、


届けたい思いがあるのです。

 

 

 


いま、その夢に向けて、

ちょっとだけ行動を起こしています。

 


届くかは分からないけど、

やってみて無駄なことはないと思うから、

全力で自分をぶつけにいきたいなと思っています。

 

 

 

 

 


毎日死にたいと思っていた私が、


将来を夢見て、そしてその夢を語っている。

 


自分で自分に、びっくりしています。

 

 


今日は、だっぴの新歓があったのだけど


新歓が終わったあと、メンバー2人と、職員さんと
なぜだかそういう話になって。

 

 


私の話を、みんながうんうんって

聞いてくれる時間がありました。

 

 


私は話すのが下手くそで、


話が前後したり、

うまい言葉が見つからなかったりで


話してて、

自分で自分に悲しくなってくるくらいなのだけど

 

 

 


私の話を聞いてくれていた子が、


涙を流しながら言ってくれた言葉がありました。

 


"今までのどんな話よりも感動した"って。

 

 

 


私を慕ってくれる後輩の子が、


目をうるうるさせて言ってくれた言葉がありました。

 


"新歓に新入生がいっぱい来てくれただけで

嬉しかったのに、はるさんの話を聞けて、

今日来て本当によかったです"、って。

 

 


2人がそんなふうに思ってくれるとは思ってもなくて、
びっくりしてその時は言葉が出ませんでした。

 

 


だけど、家に帰ってから、
その時の感情がじわじわ湧いてきて

 

 


こんな私の人生が、誰かの心に響いてくれている、


それってすごくありがたいことだなって
とてもあたたかい気持ちになりました。

 

 

 


自分の夢の話をする前は、


上手に話せるかな、
私の夢、ちゃんと夢になってるかな、って


ほんの少しのためらいがあったのだけれど

 

 


"本音で話す"って、やっぱりすごく

大切なことだなって改めて感じました。

 

 


"1番だっぴしてるやん"


"はるさんどうしたんですか!変わりすぎ…!"


"すごい、この言葉しか出てこない…"

 

 

 


私の話を聞いて、

こんなふうに言ってくれる人たちがいて

 

 


私はもっともっと


私の生きたいように生きていいんだと

 

 


そんなふうに思いました。

 

 

 

 


"思いが人の心を動かすこと"

 

 


こんな私にでもできるんだなぁって


なんだかじーんときちゃいました。

 

 

 


***

 


"新歓は帰り道が勝負だ"って、


私は割とまじで本気で思っています。

 

 


だから私は、


新歓の帰り道、めちゃめちゃ頑張ります。

 

 

 


自分は性格的に、


1対大勢よりも1対1のほうが話しやすくて、
じっくりその子の話に耳を傾けることができる

その時間に、

 

 


その子の考えてる大学生活と


自分が所属しているサークルとかだっぴが
どんなふうにフィットできるかなぁって


頭をフル回転させて、一生懸命考えます。

 

 

 


帰り道なんて、あっという間に終わってしまうから。

 

 


たとえその子が、ボラサとかだっぴに

入ってくれなかったとしても、それでも、

新歓のあの数時間、このサークルに時間を

捧げてよかったと、思ってほしいんです。

 

 

 


"数ある新歓の中で、今日この新歓に来てよかった"

って、少しでも思ってほしいんです。

 

 

 

 


大げさかも知れないけど、「時間をもらう」

というのは、そういうことだと思うから。

 

 

 


だっぴの新歓が終わった後、

みんなが口をそろえて言ってくれる言葉があります。

 

 

 

"普段は、夢の話とか真面目な話をする機会って

ほとんど無くて、でも、実は自分はそういう話に

結構興味があるんです。

 


だっぴは、他のサークルとは違って、

そういう真面目な話でも、
誰も笑わずに真剣に聞いてくれる、

そんな雰囲気がすごく良いなって思いました。"

 

 

 

 


その子によって言い方は異なるけれど、
だっぴに来てくれたみんなが、

こんなようなことを言ってくれます。

 

 


てことは、つまり、

 

 


私たちには、本音で話せる時間というのが
あまり足りてないんじゃないかなって、思います。

 

 

 

 


ある社会学の本に、こんなことが書いてありました。

 

 

いま、この時代を生きる私たちに足りていないのは
"対話"だ。

 

 

って。

 

 

 

 

***

 

 


明日からも、生きたいように生きていこう。

 


そして、弱音も悩みも葛藤も


本音で話せる勇気と時間を

これからもずっと持ち続けたい。

 

 


そんなふうに思えた今日はとっても、

幸せな1日でした。

 

 

 

本音で話せる勇気と時間を、いつまでも持ち続けたい。

3年生になりました。

 

1年、2年と比べて、コマ数はかなり減って

「これが大学生か…」と、実感しています。

 

 

私の学科は、卒業したからといって

何か特別な免許を取得できるわけでもないし、

(任用資格とかはあるけど)

 

 

「自由な時間が増える」ということは同時に、

その分自分で何かをやらないと、

有意義な時間は過ごせない、ということでもあり、

焦りの気持ちもあります。

 

 

とは言っても、

やっぱり自分が「楽しい」と感じることを

やっていたいと思うから、

最近になってやっと見つけた(気づけた)

自分のやりたいことに、しっかり時間を

使っていきたいなと思います。

 

 

 

私は地域学部という、センター受けるまで

全然聞いたこともなかったような学部に

入っています。

 

 

そしてその地域学部の中でも、

地域政策学科という、これまた何勉強しとるんか

分かりづらい学科に所属しています。

 

 

 

一般入試で入ってきた人の中に、

"この学科が第一志望だったー!!!"

みたいな人に、全然出会ったことがありません。

 

 

 

 

まぁ、そういう学科です…笑

 

 

 

「地域を学際的に学ぶ」という、

それだけ聞いたら確かに、

なんかどことなく良さそうな、

これからの時代に必要そうな、

そんなイメージを持ちますが、

 

 

 

取得しなければならない単位数と、

自分が本当に興味のある専門科目の数を比べた時、

圧倒的に前者のほうが数が多く、

「興味はないけど、単位はもらえるけんとっとくかー」

みたいな授業も、割とあります。

 

 

 

 

そういう時に、自分が大学にいる意味を

見失いそうになります。

 

 

 

小学校から12年間勉強を頑張り、

親には高い学費を払ってもらい、

地元を離れてひとり暮らしまでさせてもらい、

そこまでして通っている大学。

 

 

 

 

先輩に、こんな人がいます。

 

 

来る日も来る日も、バイトに暮れる。そんな人です。

 

 

一体何のためにそんなにバイトをしてるのか、

なんでそんなにバイトのために生きれるのか、

ずっと疑問に思っていたある日、聞いたんです。

 

なんでそんなにバイトばっかしてるんですか、って。

 

 

 

その人はいつもおちゃらけた人だから、

テキトーな答えが返ってくるのかなって思ってました。

 

 

だけど、返ってきた答えは、

 

 

"大学院で勉強するために、バイトしてきた。

俺は大学生活の4年間をかけて、

大学院っていう2年間を買ったんや。"

 

 

 

家のこと、大学のこと、夢のこと。

まっすぐな目で、話してくださいました。

 

 

思えば、その先輩と真面目な話をしたのは、

その日が初めてでした。

 

 

勉強するために、自分の身を削ってお金を稼いでいる人がいることを、その時に初めて身を以って感じました。

 

 

こんな人が身近にいると、ますます自分が大学にいる意味を考え直し、もっと頑張らなきゃ、と思わされます、

 

 

 

 

ここまで、色々書いたけれど、

 

 

私は地域学部に入ったこと、後悔はしていません。

 

 

確かに、

「なんじゃこの授業」みたいな授業も沢山あるし、

教授と教授の派閥を見た時には、

こんな大人になってまでそんなことしとるんか、って、

こちらが情けなくなるようなこともあるんだけど、

 

 

 

でも、

 

 

自分の生き方、考え方をまるごと変えられた

学問にも出会ったし、

心から尊敬する教授、講師の先生にも出会いました。

 

 

数は少ないけれど、自分の弱さをさらけ出せる

友人にも出会いました。

 

 

 

(楽しみも誇りも、自分が見つけるものですしね☺)

 

 

 

誰かと一緒にいてこれ以上傷つけられるくらいなら

1人でいることのほうが平気だった、

 

 

なんかもう色々と、うんざりだった、

 

 

そんなふうに思っていた私でも、

 

 

モヤモヤすることがあれば「聞いてほしい!」

って素直に言える存在ができ、

 

 

悩んでいると知れば、「力になりたい」と

心から思える存在ができました。

 

 

 

 

悩みを話すことは同時に

自分の弱さを見せることでもあり、

それは誰でもにできることではありません。

 

 

 

だけど、「本音で話す」って、すごくすごく

大切なことだなぁと常日頃感じています。

 

 

 

夢とか現実とか、社会のこととか

私は自分の好きな人たちと、そういう話をする時間に

すごく幸せを感じます。

 

 

たとえ内容がネガティブなことであっても、

そういうことを話せる空間に、すごく意義を感じます。

 

 

 

目の前の世界だけで終わってない感じというか、

終われない想像力というか。

 

 

 

同じ時代に生まれ、同じ時代を生きる人たちと

そういう話をしていると

自分の世界がどんどん広がっていく感じがするんです。

 

 

 

 

 

目の前のことに追われて、

何をすればいいのか分からなくなった時も、

 

将来が見えなくて焦りと不安で覆われた時も、

 

 

自分の素直な心の声を伝えられる相手がいたから

そんな日々もなんとか乗り越えてこれました。

 

 

 

 

 

今、ちょっとだけ、将来が見えてきたんです。

 

 

 

ほんとにちょっとだけだけど。

 

 

 

具体的で大きな夢を描けなかった私は、

目の前のことをやり続けることでしか

未来は見えてこなくて、

 

どんなに小さなことでも、

自分がやりたいと思ったことをやることでしか

その先が見えなくて。

 

 

 

 

だけど、ちょっとだけ未来が見えてきた今、

 

 

 

そういう時間がすごく大切だったんだと気づきました。

 

 

 

心の声を、自分だけの心の中にしまっておくと、

それはいつの間にか消えてしまうことがあります。

 

 

なにかと理由をつけて、やろうとしなかったり

自分なんかじゃだめだって、

自分で自分の可能性を潰してしまったりするから。

 

 

 

だから、私が今、

ちょっとだけ未来が見えてきた秘訣(?)としては、

 

 

「心の声を素直に話す」ことだったんだなって

思っています。

 

 

 

後ろ向きな内容のことって、どうしても

「話さないほうがいいかも」とか、

「弱い部分を出すことになる」とか思ってしまって

 

 

胸に秘めときたくなります。

 

 

 

殻が向けるまでの過程を見せるのはすごく

かっこ悪いことだし、できることなら

「変わりきった自分」だけを見られたい、

って思います。

 

 

 

 

だけど、いきなり変わることなんてできなくて、

 

 

かっこ悪くても、

なかなか上手くはいかなくても、それでも、

 

 

 

それがその時の自分の精一杯であり、

その時の自分の全力をぶつけることが、

きっとすごく大切なのだと思っています。

 

 

 

この半年くらい、私の中に猛烈に

「変わりたい」という思いがありました。

 

 

 

私にとって「変わる」とは、

「ありのままの自分を好きになる」

ということだったのかな、と思います。

 

 

今は、「変わりたい」というよりかは、

 

「ありのままの自分ができること、

 自分だからできることを見つけていきたい」

 

という思いのほうが強く、

 

「変わる」ことよりも、

「自分であること」へのこだわりを

持つようになりました。

 

 

 

そんなふうに気づけた時に、ちょうど、

こんな言葉に出会ったんです。

 

 

 

自分を変えようとする努力を辞めたときに

変われている

 

 

 

まぁ、まだまだ全然、変わりきれてはいないけど

それでも、ちょっとだけでも、

この言葉が言いたいことに

なんとなく近づけているのかな…と思います。

 

 

 

 

嫌われる勇気と、幸せになる勇気って、

おんなじらしいです。

 

 

 

幸せになるのには、それなりの勇気と覚悟が

必要ってことなんだろうなぁ。

 

 


自分を嫌う人がいるというのは、

自分が自由に生きている証なんだって。

 

 

 

だから、私はもう、「嫌われること」について

怯えなくなりました。

 

 

(嫌われる勇気っていうのは、

わがままになるとか、そういうことじゃなくて、

 

周りの目を気にして、

言いたいことも言えなくなってしまったり、

やりたいこともできなくなってしまったりする

そんな状態から脱し、

自分は自分だと、

胸を張って生きていくということです)

 

 

 

(向こう側にあるものを予想しないで発言や行動をする

ことは、暴力を振りかざすことにもなり得るから。)

 

 

 

伝えたいことはできるだけ伝えるようにしているし、

それで嫌われてしまったら仕方ない、

 

 

その人と私が「あわなかった」ってことだと思うから。

 

 

 

 

 

1番こわいのは、自分の好きな人たちに

嫌われる、というか、突き放される、というか

そんなようなことだなって、最近は思います。

 

 

 

自分がその人にどれだけ心を開いていても、

どれだけその人があたたかい言葉をくれる人でも、

 

 

「本音をさらけ出す」ことには、

ためらいが生じてしまいます。

 

 

 

こんなに弱い自分でも、

受け入れてくれるんかな、って、

不安になってしまうから。

 

 

 

だけど、本音で話せない関係に、

そもそも「好き」という感情は

わいてこないと思うから。

 

 

 

 

いつもいつもおちゃらけたようなことしか

言ってこない先輩とあんな話ができたのも、

 

 

良いこともそうじゃないことも

素直に「話したい」と思える友人ができたのも、

 

 

ぜんぶぜんぶ、本音で話せた時間があったからで。

 

 

 

 

最近、こんなことを言ってもらいました。

 

 

"何やっとるかよく分からんような学科に入って、

でも、はるちゃんがおってくれたけん、

政策学科でよかったと思うんよ"

 

 

 

 

 

 

自分の弱さも何もかも、隠すことなく

本音で話してきてよかったって、

その時心から思いました。

 

 

 

 

自分の好きな人たちだからこそ、

ちゃんと本音でぶつかっていきたいなと思います。

 

 

 

 

とってもとっても、勇気のいることではあるけれど…

 

 

 

 

 

生きるのって難しい

最近になって、やっと、本格的に、
「期待しない自分」から卒業できた気がします。

 

 

時間はかかったけれど、毎日の中で
喜怒哀楽を心から感じられるようになりました。

 

 

 

 

以前の私は、傷つくことが本当にこわくて、

 

「悲しみ」を感じないようにしよう、

何にも期待しないようにしよう、

 

 

そんなふうな思い込みを繰り返しているうちに

感情がなくなってしまって、

何をされても悲しくないし、

逆に、何をされても喜べなくなっていました。

 

 


だけど大学に入って、

いっぱい月日はかかったけど、

完全にではないのかも知れないけれど、

感情を取り戻すことができました。

 

 


私を受け入れてくれ、守ってくれる存在に出会い、

傷つくこわさを克服し、人を信じる強さを

持てるようになりました。

 

 


人だけじゃなく、自分を信じられる喜び、

信じたからこそ広がった世界がありました。

 

 

 

あぁ自分生きてるなぁって、

感じられるようになりました。

 

 

 

だけど、

 


感情を取り戻してしまったからこそ、
ほんの小さなことで悲しくなって、

不安になってしまって。

 

 

 

 

毎日死にたかった生活から、


死でも生でもどっちでもいい(どうでもいい)

"明日"を待つ生活に変わり、


将来を夢見る生活に変わった。

 

 


だけど今は、その"夢見る将来"に不安になりすぎて

余裕がなくなってしまって。

 

 


前までの自分だったら

腹が立つことがあったとしても、

「そういう人もおる」とか、

「いつか困るのは向こう」とか思って

イライラを抑えられてたのに、

 

 


最近は、小さなことでも気にかかってしまって、

いつもなら気にならないようなことも

引っかかってしまって。

 

 

 


こんなこと思うのはおかしいのかもしれないけど

怒るなら、泣くなら、

周りも見えなくなるくらい

全力で怒ること、泣くことに集中したいのに、

 

 

怒ってる(泣いてる)自分を客観的に見てる

もう一人の自分がいて、

自分で自分を冷静に眺めてて、

 

 

そんなことで気分を害して落ち込んでる

未熟な自分に悲しくなって、

なんかもう人間やめたいとすら感じる時もあって。

 

 

 

ずっと望んでたことだったのに。
やっと取り戻せたものなのに。

 

 

 


落ち込むことがあっても、怒りたいことがあっても、
向こうには悪気がないこと、ちゃんとわかってるし、

わかってるから、頭ごなしには怒れないし、

否定もできなくて。

 

 


でも、最近思ったんです。

 

向こうに悪気がないにしても、ないとしてもだよ、

 

その悲しみを我慢するのは、こっちだけなの?
傷つけられた痛みを耐えるのは、こっちだけなの?って。

 


そりゃあこちらがぜんぶ我慢して、ぐって堪えられたなら、世界はそのまま回るんだろうけど、

 


でもそれってすごく悲しくて寂しい世界だなって…

 

 

こんなことを思ってしまう、

私はそういう人間です、

 

 


でも、生きてきた背景は人それぞれだから、

人によって言葉や態度の受け取り方が違うのも

当然のことなのかも知れません。

 

 


だから大事なのは、そこで自分が感じた違和感とか、「あなたの言葉は、私にはこういうニュアンスで届きましたよ」とかってことを、相手にきちんと伝えることだなって、思います。

 


頭ではわかってるんです。

 


でも、私はそれが、

一定の信頼関係がないとなかなかできなくて、
いつもぐっと堪えてしまう癖があって、

 

でもそれって相手のためにも自分のためにもならなくて。

 

 

 

伝える勇気を、きちんと持ちたいなと思う、

思うんだけど

 

 


いざ伝えようとしてみたら
伝えることに精一杯になってしまって

 

 

あとから振り返って、

 

"あぁもっと別の言い方ができたかもしれんなぁ"、
"私の伝え方が、相手を傷つけたり不快にさせたりしてしまったかもしれんなぁ"って、

 

そう思いだしたら、そのことをずっと考えてしまって😞

 

 


いつまでもずっと穏やかにいたいと思うけど
でもそれって多分人間じゃないよなぁ、

 

 


いっそ修行僧になろうかなとすら

思うようになりました、

 

 

 


抱いちゃいけない感情はないって分かってても、
否定的な感情を抱いてる自分を
どうしても"小さな人間"って思ってしまって、

 

 


はーあってなってます、

 

 

 


でも、生きることを投げ出さないって決めたから、
どんだけ自分のことが嫌になっても
それが私なわけだから
不器用なりに生きていきたいと思います、

 

 

 


生きるのって、難しいなぁ…