はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

人を変えるということ

人を変えるのって、難しい。

 

 

 

こんなことを思うことが続いていたので

今日はこのことについて書こうと思います。

 

 

 

 

 

私の友達に、こんな人がいます。

 


普段はとっても明るく振る舞ってくれるのだけど


実はかなりの根暗で


これでもかってくらい人生において悲観的で


私の言葉や行動じゃ
ちっとも救えないくらいに
人生に絶望している

 

 


そんな子です

 

 

 


ちょっと前まで
私もそんなだったから

 

 


その子の気持ちは痛いくらいにわかるし
私もその子の存在に救われていました

 

 

 

 


だけど、今の私は違います

 

 


その子と話すたびに、
あぁ自分だいぶ変わったなぁって思うようになりました

 

 


同時に、

人を変えるのって

とても難しいなぁと思います。

 

 

 


ちょうど1ヶ月くらい前、


「自分が変わるのは

 自分が頑張ればいいだけだから簡単だけど、

 人を変えるのって難しいよね」

 

という話をしたことがあり、

 

 


いまそれを、身をもって感じています。

 

 

 

 


人を変えるのって、

何をどこまでどうやって頑張ったらいいのか

分からなくて、

 

 

 


こちらがアクションした分だけのことが
全部必ず相手に届くことなんてほとんどなくて、

 


なんかもうすごく大変だなって思います、

 

 

 

 

 


今までの私は、

力になりたいと思う
その人の思いも考えも全部背負って

それで結局自分がしんどくなってしまう、

 

ということを何度も繰り返していました。

 

 

 


はじめは、心から本当に思うんです。

 

 


だけど、

その子のことをどうにかよくしたいって

思っているうちに

 

いつの間にかその悩みにのめり込んでしまっていて

 


悩みや不安がぜんぶ自分事として

降りかかってくるために

 

 


日が経つにつれて
苦しくなってしんどくなって

 

 

何もできない自分に悲しくなっていました。

 

 


相手の状況がよくなってくれれば救われるのだけど
そんなことばかりではなくて

 

 


あれしてもだめ、
これしてもだめ、
じゃあ私はどうしたらいいんじゃろう、って

 

 

 


"これだけのことしたのに"って
結局見返りを求めてしまっている自分に気づいて
そんな自分にうんざりする、

 


そんなことを続けていました。

 

 

 


だけどそんなある日、
「他人の課題は他人の課題として切り捨てる」

ということも大事なのだと学ぶことがありました。

 

 

 


だって、その子の人生を生きるのは、その子だから。

 

 

逆に言えば、私はその子のために生きるわけではない。

 

 

 


偉そうなことは何も言えないけれど

 

 


その子の悩みにのめり込んでしまったために


しんどくなって

 

いっぱいいっぱいになってしまうんじゃなくて

 

 


今の自分にできる範囲のことでしていけたら

いいのかなと思えたのです

 

 

 


今回私は、

 


その子の思いや考えが痛いくらいにわかってしまう分、

その子の悩みをどうにかしたくて 

 


その子とほぼ同じ心境だった私が今、

楽しさを感じられるようになったのと同じように、
その子にも同じ思いを持ってほしいなって思って

 

 


幸せとか生きがいとか人生の意味とか


そんなようなことに関することを

自分なりに勉強もしてみました

 

 

 

(その分野には自分も興味があったので

とても楽しい勉強でした)

 

 


アドラーとかラッセルとか神谷美恵子とか
頭がおかしくなるくらい
「幸せ」について考えていました

 

 


だけど、どれだけ私が頑張ったって

 


その子に「変わりたい」という思いがなければ
全然響いてもらえなくて。

 

 


伝えたい思いも伝わらなくて。

 

 

 

 

 


いろんな哲学者の考えを知っていくうちに、


自分の欠点にしか目がいかない

(=自分のことでネガティブになりすぎる)って、

 

自分の世界に閉じこもっていて、

 

実はとっても小さなことだったんだなって気づきました。

 

 

 


だけどこれって

悩んで悩んで悩んでる人に向かっては

なかなか言えなくて。

 

 

 

 


その子は私に、

ただ話を聞いてほしい関係を

求めているだけなのかも知れない。

 

 


それは同時に、

聞く相手は私じゃなくてもいいってことなのかも知れない。

 

 

けれど

 


普段人に見せない弱い部分を

私に見せてくれようと思ったその子の気持ちを考えたら

 

 

 


とてもじゃないけど

 

 

 


そんなことを言える勇気を持てないのです

 

 

 


自分が何日も何年もかけて悩んできたことを

簡単に分かられてたまるか!

っていう悔しい思いもわかるから

 

 


無理に励まそうと、簡単に言葉をかけたくもないし、

 

 


その子が私に何を求めて悩みを打ち明け

弱い自分を見せてくれているのかによって

 

 


私がすべきことは変わってくるのかなって思います

 

 

 

 

(これは私だけなのかも知れないけど

人と向き合う時、

あれこれ想像し過ぎて

脳みそがたりない、😣ってなります)

 

 

 

何をするのが

その子のためになるのか分からないけれど

 

 

分からないからこそ

ちょっとずつ模索しながら

その子と接していけたらなと思います。

 

 

 

(人を変えるのは難しいし

なかなか上手くはいかないけれど

 

 

私もその子から教えてもらったり

気付かされたりすることはたくさんあり、

 

 

「互いに影響し合える関係にいる」という意味では

 

この悩みをもてることも

実は幸せなことなのかなとも思います)

 

 

 

***

 

 

 

ブログを書かなかった(書けなかった)

およそ1ヶ月、こんな自分に気づきました。

 

 

 

 

それは、


落ち込むことも凹むこともあるけれど

 

 


でも、だからって

 

 


ずどーんって悲しみだけが襲ってくる、
なんてことがなくなったということ。

 

 

 

それはきっと、心のどこかで

"そんな自分でもいいや"って

思えるようになったから。

 

 

 


自分で自分を認めるって
こんなにも大切で大きなことだったんだなって
実感しています

 

 

 

 


今はまた、将来について悩み始めています。

 


だけどもう、悲しくなったりはしません。

 

 

 


どっちがいいとか、正解とかじゃなくて、

いろんなものに沢山触れて、考えて、悩んで、

それで決めたらいいやって思うのです。

 

 

 

 


大切なことは、

自分で選んだ道に

納得して生きていけるかどうかであって、

 

 

 

そこに「人はどうか」ってことは全然関係なくて。

 


 

 

 

 

こんなこと言ったら

理想論に聞こえるかもしれないけど

 


だけどほんとに、そう思っているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

"これからの時代に安定なんてないよ"

 

 

"今ある仕事の半分はロボットがやってる未来だよ"

 

 


将来を考える時に必ず言われるこれらの言葉。

 

 

 

 


ゆとり世代と言われ

少子高齢化地球温暖化は小学生の頃から

耳にたこができるくらい聞かされてきた

 

 

 


年金だって保険だって

難しいことはよく分からないけど

 

 

 


でも、みんなで生きていくためには

働く期間が増えるのも

年金が減るのも仕方のないことで

 

 

 

 


変わらない、変えられない事実に文句を言うよりかは

 

 


変わらない、変えられない事実のなかで

 

 

 

果たして自分ができることとはなんだろうって

そのなかで自分がやりたいことってなんだろうって

 


考えていくしかなくて。

 

 

 

 

 

 

 


平成だって、もうすぐ終わる。

 

 

 

 

 

 


今の子どもたちは、スマホの電話のマークが

何を表してるか分からないらしいです。

 

 

 

 

 

 

 


固定電話を見たことがないから。

 

 

 

 

 

 

 

そう考えたら、

 

 

 

今ある常識だって

数年後には常識じゃなくなってるんだろうな、

 

 

 

 

 

 

そんな時代に生きているからこそ、

誰もが想像するような

"絶対的な幸せ"なんてきっとなくて

 

 

 

自分が思う幸せに向かって生きていけたら

それだけでもう充分だなぁって思います

 

 

 

 


その幸せに向かうためには

自分の中に

しっかりした判断基準を持っていないといけなくて

 

 

そのためにはいろんなこと経験して

いろんなもの吸収して

 

 

 

ちょっとやそっとのことでは

へこたれんような人間にならんとなぁと

 

 

 

 


最近はそんなことばっか

考えてます、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、いろんなことに対する優先順位が変わってきて

 


ブログ書く頻度もかなり下がってきちゃったのだけど

 

 

 

 


書きたいことを

書きたい時に

書きたいように書けるようになっているから

 

 

 

 


これからもこんな感じで書けていけたらなと思います

 

 

 

 

 


5月はなんとなく憂鬱だけど

頑張りましょう、!

 

 

 

 

お久しぶりでしたが

読んで頂きありがとうございました

 

 

 

 

あ、私が行動することから逃げようとしてたら

誰か止めてください、笑

 

 

 

 

 


それではまた☺

 

 

 

本音で話せる勇気と時間を-part2-

ずっとずっと、将来が見えなかった。

 

 

だけど、最近になって、とんとんとんって


少しずつではあるけれど、将来が見えてきました。

 

 


(どういう流れでどんな思いを持って

どんな夢を見ているのか


本当はぜんぶ言葉にしてここに書きたいのだけど、
あまりにも長くなりすぎるので、今の私の思いを

ここには記したいなと思います。)

 

 

 


私にはずっと、

「居場所をつくる人になりたい」という思いがありました。

 

 

 


けれど、その対象者は誰なのか、


どういう方法で居場所をつくっていくのか、

 

 

 


それらのことは自分でも全然分かっていなくて、
ただ漠然と、居場所をつくる人になりたいと
そんなふうに考えていました。

 

 

 

 


今の私が描いている未来は、


精神的にしんどい思いを抱えて生きている人たちの
心の拠り所となる場所をつくりたい、


そんなようなことです。

 

 

 


具体的には、

 


社会的にはあまり認知されていない
心や病気の悩みを抱えた人たちがいること、


マイノリティの立場にいる人たちのこと、


そしてその人たちの思いを


自分自身も勉強しながら発信していきたいなと

思っています。

 

 

 

 


素敵な出会いもたくさんあったけれど、
私にとって高校時代はとても辛いものでした。

 

 

 


こんなこと書いたら

家族を悲しませてしまいそうだけど

 

 


どうやったら、楽に、綺麗に、

迷惑かけずに死ねるかなぁって


毎晩そんなことばかりを考えていました。

 

 


生きる意味も目的も
何のために生きて
何のために頑張ったらいいのかわからなくて

 


生き方も頑張り方も、全然分かりませんでした。

 

 


自分の存在価値が分からなくて、
ずっとずっと自己否定を続けていました。

 

 

 


だけど、そんな私でも、
大学に入って、だっぴに入って、

私は私でいいやって思えるようになりました。

 

 

 

普通であることの勇気をもつこと。

特別良く(悪く)あろうとする必要はない、

そのままの自分を認めること。

 

 

 

人間は、自分自身の声を1番聞いている。

人から言われた言葉だって、

それを脳内で何度も再生しているのは自分。

 

 

これと同じように

人生を意味づけしているのは自分自身であって、

そこに他者は関係ない。

 

 

 

トラウマだって、考え方を変えれば、

"自分の人生を大きく変えたもの"として

捉えることもできる。

 

 


だったら同じ人生、

 


自分で自分を認めて生きていきたいし、

誰になんて言われたって

私は私なんだと胸を張って生きていきたい。

 

 

 

 

 

簡単に言えば、こんなふうに思うようになりました。

 


(もちろんこう思えるまでには、

すごくしんどいこともたくさんあったけれど…)

 

 

 

 


私は、私と同じように、

その時はしんどい思いを抱えて生きていても、


その人が輝ける場所というのが

絶対にあると思うんです。

 

 

 


今はしんどい環境にいる人たちにも、
生きるのが辛くて仕方ない人たちにも、

 

 


誰にでも同じように"居場所"があるということを、


自分の生き方で証明したいんです。

 

 

 


病名をもらっている人たちは、病名をもらう程の

すごくしんどい状況にいるのだろうなと、思います。

 

 


けれど、「病院」という、いわば

助けてくれる環境に身を置けているということは、

 

 

見方を変えたら

 


支援・応援してくれる環境がある、
ということでもあるのかなと思います。

 

 

 


だから私は、将来的には、


病名をもらうまでにはいかない、いけない人たち


(病院に行く勇気がない、

病院に行っていいのか分からないけど、

でもすごくしんどい環境にいる人たち)


の力になりたいなと思っています。

 

 


すごくすごく、難しいことであると思うけれど…

 

 

 


私は、大学で心理学を学んでいるわけでも

そういう系の免許を持っているわけでもありません。

 

 


だから、専門知識が必要な職業には

就くことができません。

 

 

 


これからやりたいと思っていることも、

もしかしたら、叶わぬ夢となるかもしれません。

 

 

 


それでも、頭の良さが足りなくても、

専門知識が足りなくても、

 


その人たちに、そしてこの社会に、


届けたい思いがあるのです。

 

 

 


いま、その夢に向けて、

ちょっとだけ行動を起こしています。

 


届くかは分からないけど、

やってみて無駄なことはないと思うから、

全力で自分をぶつけにいきたいなと思っています。

 

 

 

 

 


毎日死にたいと思っていた私が、


将来を夢見て、そしてその夢を語っている。

 


自分で自分に、びっくりしています。

 

 


今日は、だっぴの新歓があったのだけど


新歓が終わったあと、メンバー2人と、職員さんと
なぜだかそういう話になって。

 

 


私の話を、みんながうんうんって

聞いてくれる時間がありました。

 

 


私は話すのが下手くそで、


話が前後したり、

うまい言葉が見つからなかったりで


話してて、

自分で自分に悲しくなってくるくらいなのだけど

 

 

 


私の話を聞いてくれていた子が、


涙を流しながら言ってくれた言葉がありました。

 


"今までのどんな話よりも感動した"って。

 

 

 


私を慕ってくれる後輩の子が、


目をうるうるさせて言ってくれた言葉がありました。

 


"新歓に新入生がいっぱい来てくれただけで

嬉しかったのに、はるさんの話を聞けて、

今日来て本当によかったです"、って。

 

 


2人がそんなふうに思ってくれるとは思ってもなくて、
びっくりしてその時は言葉が出ませんでした。

 

 


だけど、家に帰ってから、
その時の感情がじわじわ湧いてきて

 

 


こんな私の人生が、誰かの心に響いてくれている、


それってすごくありがたいことだなって
とてもあたたかい気持ちになりました。

 

 

 


自分の夢の話をする前は、


上手に話せるかな、
私の夢、ちゃんと夢になってるかな、って


ほんの少しのためらいがあったのだけれど

 

 


"本音で話す"って、やっぱりすごく

大切なことだなって改めて感じました。

 

 


"1番だっぴしてるやん"


"はるさんどうしたんですか!変わりすぎ…!"


"すごい、この言葉しか出てこない…"

 

 

 


私の話を聞いて、

こんなふうに言ってくれる人たちがいて

 

 


私はもっともっと


私の生きたいように生きていいんだと

 

 


そんなふうに思いました。

 

 

 

 


"思いが人の心を動かすこと"

 

 


こんな私にでもできるんだなぁって


なんだかじーんときちゃいました。

 

 

 


***

 


"新歓は帰り道が勝負だ"って、


私は割とまじで本気で思っています。

 

 


だから私は、


新歓の帰り道、めちゃめちゃ頑張ります。

 

 

 


自分は性格的に、


1対大勢よりも1対1のほうが話しやすくて、
じっくりその子の話に耳を傾けることができる

その時間に、

 

 


その子の考えてる大学生活と


自分が所属しているサークルとかだっぴが
どんなふうにフィットできるかなぁって


頭をフル回転させて、一生懸命考えます。

 

 

 


帰り道なんて、あっという間に終わってしまうから。

 

 


たとえその子が、ボラサとかだっぴに

入ってくれなかったとしても、それでも、

新歓のあの数時間、このサークルに時間を

捧げてよかったと、思ってほしいんです。

 

 

 


"数ある新歓の中で、今日この新歓に来てよかった"

って、少しでも思ってほしいんです。

 

 

 

 


大げさかも知れないけど、「時間をもらう」

というのは、そういうことだと思うから。

 

 

 


だっぴの新歓が終わった後、

みんなが口をそろえて言ってくれる言葉があります。

 

 

 

"普段は、夢の話とか真面目な話をする機会って

ほとんど無くて、でも、実は自分はそういう話に

結構興味があるんです。

 


だっぴは、他のサークルとは違って、

そういう真面目な話でも、
誰も笑わずに真剣に聞いてくれる、

そんな雰囲気がすごく良いなって思いました。"

 

 

 

 


その子によって言い方は異なるけれど、
だっぴに来てくれたみんなが、

こんなようなことを言ってくれます。

 

 


てことは、つまり、

 

 


私たちには、本音で話せる時間というのが
あまり足りてないんじゃないかなって、思います。

 

 

 

 


ある社会学の本に、こんなことが書いてありました。

 

 

いま、この時代を生きる私たちに足りていないのは
"対話"だ。

 

 

って。

 

 

 

 

***

 

 


明日からも、生きたいように生きていこう。

 


そして、弱音も悩みも葛藤も


本音で話せる勇気と時間を

これからもずっと持ち続けたい。

 

 


そんなふうに思えた今日はとっても、

幸せな1日でした。

 

 

 

本音で話せる勇気と時間を、いつまでも持ち続けたい。

3年生になりました。

 

1年、2年と比べて、コマ数はかなり減って

「これが大学生か…」と、実感しています。

 

 

私の学科は、卒業したからといって

何か特別な免許を取得できるわけでもないし、

(任用資格とかはあるけど)

 

 

「自由な時間が増える」ということは同時に、

その分自分で何かをやらないと、

有意義な時間は過ごせない、ということでもあり、

焦りの気持ちもあります。

 

 

とは言っても、

やっぱり自分が「楽しい」と感じることを

やっていたいと思うから、

最近になってやっと見つけた(気づけた)

自分のやりたいことに、しっかり時間を

使っていきたいなと思います。

 

 

 

私は地域学部という、センター受けるまで

全然聞いたこともなかったような学部に

入っています。

 

 

そしてその地域学部の中でも、

地域政策学科という、これまた何勉強しとるんか

分かりづらい学科に所属しています。

 

 

 

一般入試で入ってきた人の中に、

"この学科が第一志望だったー!!!"

みたいな人に、全然出会ったことがありません。

 

 

 

 

まぁ、そういう学科です…笑

 

 

 

「地域を学際的に学ぶ」という、

それだけ聞いたら確かに、

なんかどことなく良さそうな、

これからの時代に必要そうな、

そんなイメージを持ちますが、

 

 

 

取得しなければならない単位数と、

自分が本当に興味のある専門科目の数を比べた時、

圧倒的に前者のほうが数が多く、

「興味はないけど、単位はもらえるけんとっとくかー」

みたいな授業も、割とあります。

 

 

 

 

そういう時に、自分が大学にいる意味を

見失いそうになります。

 

 

 

小学校から12年間勉強を頑張り、

親には高い学費を払ってもらい、

地元を離れてひとり暮らしまでさせてもらい、

そこまでして通っている大学。

 

 

 

 

先輩に、こんな人がいます。

 

 

来る日も来る日も、バイトに暮れる。そんな人です。

 

 

一体何のためにそんなにバイトをしてるのか、

なんでそんなにバイトのために生きれるのか、

ずっと疑問に思っていたある日、聞いたんです。

 

なんでそんなにバイトばっかしてるんですか、って。

 

 

 

その人はいつもおちゃらけた人だから、

テキトーな答えが返ってくるのかなって思ってました。

 

 

だけど、返ってきた答えは、

 

 

"大学院で勉強するために、バイトしてきた。

俺は大学生活の4年間をかけて、

大学院っていう2年間を買ったんや。"

 

 

 

家のこと、大学のこと、夢のこと。

まっすぐな目で、話してくださいました。

 

 

思えば、その先輩と真面目な話をしたのは、

その日が初めてでした。

 

 

勉強するために、自分の身を削ってお金を稼いでいる人がいることを、その時に初めて身を以って感じました。

 

 

こんな人が身近にいると、ますます自分が大学にいる意味を考え直し、もっと頑張らなきゃ、と思わされます、

 

 

 

 

ここまで、色々書いたけれど、

 

 

私は地域学部に入ったこと、後悔はしていません。

 

 

確かに、

「なんじゃこの授業」みたいな授業も沢山あるし、

教授と教授の派閥を見た時には、

こんな大人になってまでそんなことしとるんか、って、

こちらが情けなくなるようなこともあるんだけど、

 

 

 

でも、

 

 

自分の生き方、考え方をまるごと変えられた

学問にも出会ったし、

心から尊敬する教授、講師の先生にも出会いました。

 

 

数は少ないけれど、自分の弱さをさらけ出せる

友人にも出会いました。

 

 

 

(楽しみも誇りも、自分が見つけるものですしね☺)

 

 

 

誰かと一緒にいてこれ以上傷つけられるくらいなら

1人でいることのほうが平気だった、

 

 

なんかもう色々と、うんざりだった、

 

 

そんなふうに思っていた私でも、

 

 

モヤモヤすることがあれば「聞いてほしい!」

って素直に言える存在ができ、

 

 

悩んでいると知れば、「力になりたい」と

心から思える存在ができました。

 

 

 

 

悩みを話すことは同時に

自分の弱さを見せることでもあり、

それは誰でもにできることではありません。

 

 

 

だけど、「本音で話す」って、すごくすごく

大切なことだなぁと常日頃感じています。

 

 

 

夢とか現実とか、社会のこととか

私は自分の好きな人たちと、そういう話をする時間に

すごく幸せを感じます。

 

 

たとえ内容がネガティブなことであっても、

そういうことを話せる空間に、すごく意義を感じます。

 

 

 

目の前の世界だけで終わってない感じというか、

終われない想像力というか。

 

 

 

同じ時代に生まれ、同じ時代を生きる人たちと

そういう話をしていると

自分の世界がどんどん広がっていく感じがするんです。

 

 

 

 

 

目の前のことに追われて、

何をすればいいのか分からなくなった時も、

 

将来が見えなくて焦りと不安で覆われた時も、

 

 

自分の素直な心の声を伝えられる相手がいたから

そんな日々もなんとか乗り越えてこれました。

 

 

 

 

 

今、ちょっとだけ、将来が見えてきたんです。

 

 

 

ほんとにちょっとだけだけど。

 

 

 

具体的で大きな夢を描けなかった私は、

目の前のことをやり続けることでしか

未来は見えてこなくて、

 

どんなに小さなことでも、

自分がやりたいと思ったことをやることでしか

その先が見えなくて。

 

 

 

 

だけど、ちょっとだけ未来が見えてきた今、

 

 

 

そういう時間がすごく大切だったんだと気づきました。

 

 

 

心の声を、自分だけの心の中にしまっておくと、

それはいつの間にか消えてしまうことがあります。

 

 

なにかと理由をつけて、やろうとしなかったり

自分なんかじゃだめだって、

自分で自分の可能性を潰してしまったりするから。

 

 

 

だから、私が今、

ちょっとだけ未来が見えてきた秘訣(?)としては、

 

 

「心の声を素直に話す」ことだったんだなって

思っています。

 

 

 

後ろ向きな内容のことって、どうしても

「話さないほうがいいかも」とか、

「弱い部分を出すことになる」とか思ってしまって

 

 

胸に秘めときたくなります。

 

 

 

殻が向けるまでの過程を見せるのはすごく

かっこ悪いことだし、できることなら

「変わりきった自分」だけを見られたい、

って思います。

 

 

 

 

だけど、いきなり変わることなんてできなくて、

 

 

かっこ悪くても、

なかなか上手くはいかなくても、それでも、

 

 

 

それがその時の自分の精一杯であり、

その時の自分の全力をぶつけることが、

きっとすごく大切なのだと思っています。

 

 

 

この半年くらい、私の中に猛烈に

「変わりたい」という思いがありました。

 

 

 

私にとって「変わる」とは、

「ありのままの自分を好きになる」

ということだったのかな、と思います。

 

 

今は、「変わりたい」というよりかは、

 

「ありのままの自分ができること、

 自分だからできることを見つけていきたい」

 

という思いのほうが強く、

 

「変わる」ことよりも、

「自分であること」へのこだわりを

持つようになりました。

 

 

 

そんなふうに気づけた時に、ちょうど、

こんな言葉に出会ったんです。

 

 

 

自分を変えようとする努力を辞めたときに

変われている

 

 

 

まぁ、まだまだ全然、変わりきれてはいないけど

それでも、ちょっとだけでも、

この言葉が言いたいことに

なんとなく近づけているのかな…と思います。

 

 

 

 

嫌われる勇気と、幸せになる勇気って、

おんなじらしいです。

 

 

 

幸せになるのには、それなりの勇気と覚悟が

必要ってことなんだろうなぁ。

 

 


自分を嫌う人がいるというのは、

自分が自由に生きている証なんだって。

 

 

 

だから、私はもう、「嫌われること」について

怯えなくなりました。

 

 

(嫌われる勇気っていうのは、

わがままになるとか、そういうことじゃなくて、

 

周りの目を気にして、

言いたいことも言えなくなってしまったり、

やりたいこともできなくなってしまったりする

そんな状態から脱し、

自分は自分だと、

胸を張って生きていくということです)

 

 

 

(向こう側にあるものを予想しないで発言や行動をする

ことは、暴力を振りかざすことにもなり得るから。)

 

 

 

伝えたいことはできるだけ伝えるようにしているし、

それで嫌われてしまったら仕方ない、

 

 

その人と私が「あわなかった」ってことだと思うから。

 

 

 

 

 

1番こわいのは、自分の好きな人たちに

嫌われる、というか、突き放される、というか

そんなようなことだなって、最近は思います。

 

 

 

自分がその人にどれだけ心を開いていても、

どれだけその人があたたかい言葉をくれる人でも、

 

 

「本音をさらけ出す」ことには、

ためらいが生じてしまいます。

 

 

 

こんなに弱い自分でも、

受け入れてくれるんかな、って、

不安になってしまうから。

 

 

 

だけど、本音で話せない関係に、

そもそも「好き」という感情は

わいてこないと思うから。

 

 

 

 

いつもいつもおちゃらけたようなことしか

言ってこない先輩とあんな話ができたのも、

 

 

良いこともそうじゃないことも

素直に「話したい」と思える友人ができたのも、

 

 

ぜんぶぜんぶ、本音で話せた時間があったからで。

 

 

 

 

最近、こんなことを言ってもらいました。

 

 

"何やっとるかよく分からんような学科に入って、

でも、はるちゃんがおってくれたけん、

政策学科でよかったと思うんよ"

 

 

 

 

 

 

自分の弱さも何もかも、隠すことなく

本音で話してきてよかったって、

その時心から思いました。

 

 

 

 

自分の好きな人たちだからこそ、

ちゃんと本音でぶつかっていきたいなと思います。

 

 

 

 

とってもとっても、勇気のいることではあるけれど…

 

 

 

 

 

生きるのって難しい

最近になって、やっと、本格的に、
「期待しない自分」から卒業できた気がします。

 

 

時間はかかったけれど、毎日の中で
喜怒哀楽を心から感じられるようになりました。

 

 

 

 

以前の私は、傷つくことが本当にこわくて、

 

「悲しみ」を感じないようにしよう、

何にも期待しないようにしよう、

 

 

そんなふうな思い込みを繰り返しているうちに

感情がなくなってしまって、

何をされても悲しくないし、

逆に、何をされても喜べなくなっていました。

 

 


だけど大学に入って、

いっぱい月日はかかったけど、

完全にではないのかも知れないけれど、

感情を取り戻すことができました。

 

 


私を受け入れてくれ、守ってくれる存在に出会い、

傷つくこわさを克服し、人を信じる強さを

持てるようになりました。

 

 


人だけじゃなく、自分を信じられる喜び、

信じたからこそ広がった世界がありました。

 

 

 

あぁ自分生きてるなぁって、

感じられるようになりました。

 

 

 

だけど、

 


感情を取り戻してしまったからこそ、
ほんの小さなことで悲しくなって、

不安になってしまって。

 

 

 

 

毎日死にたかった生活から、


死でも生でもどっちでもいい(どうでもいい)

"明日"を待つ生活に変わり、


将来を夢見る生活に変わった。

 

 


だけど今は、その"夢見る将来"に不安になりすぎて

余裕がなくなってしまって。

 

 


前までの自分だったら

腹が立つことがあったとしても、

「そういう人もおる」とか、

「いつか困るのは向こう」とか思って

イライラを抑えられてたのに、

 

 


最近は、小さなことでも気にかかってしまって、

いつもなら気にならないようなことも

引っかかってしまって。

 

 

 


こんなこと思うのはおかしいのかもしれないけど

怒るなら、泣くなら、

周りも見えなくなるくらい

全力で怒ること、泣くことに集中したいのに、

 

 

怒ってる(泣いてる)自分を客観的に見てる

もう一人の自分がいて、

自分で自分を冷静に眺めてて、

 

 

そんなことで気分を害して落ち込んでる

未熟な自分に悲しくなって、

なんかもう人間やめたいとすら感じる時もあって。

 

 

 

ずっと望んでたことだったのに。
やっと取り戻せたものなのに。

 

 

 


落ち込むことがあっても、怒りたいことがあっても、
向こうには悪気がないこと、ちゃんとわかってるし、

わかってるから、頭ごなしには怒れないし、

否定もできなくて。

 

 


でも、最近思ったんです。

 

向こうに悪気がないにしても、ないとしてもだよ、

 

その悲しみを我慢するのは、こっちだけなの?
傷つけられた痛みを耐えるのは、こっちだけなの?って。

 


そりゃあこちらがぜんぶ我慢して、ぐって堪えられたなら、世界はそのまま回るんだろうけど、

 


でもそれってすごく悲しくて寂しい世界だなって…

 

 

こんなことを思ってしまう、

私はそういう人間です、

 

 


でも、生きてきた背景は人それぞれだから、

人によって言葉や態度の受け取り方が違うのも

当然のことなのかも知れません。

 

 


だから大事なのは、そこで自分が感じた違和感とか、「あなたの言葉は、私にはこういうニュアンスで届きましたよ」とかってことを、相手にきちんと伝えることだなって、思います。

 


頭ではわかってるんです。

 


でも、私はそれが、

一定の信頼関係がないとなかなかできなくて、
いつもぐっと堪えてしまう癖があって、

 

でもそれって相手のためにも自分のためにもならなくて。

 

 

 

伝える勇気を、きちんと持ちたいなと思う、

思うんだけど

 

 


いざ伝えようとしてみたら
伝えることに精一杯になってしまって

 

 

あとから振り返って、

 

"あぁもっと別の言い方ができたかもしれんなぁ"、
"私の伝え方が、相手を傷つけたり不快にさせたりしてしまったかもしれんなぁ"って、

 

そう思いだしたら、そのことをずっと考えてしまって😞

 

 


いつまでもずっと穏やかにいたいと思うけど
でもそれって多分人間じゃないよなぁ、

 

 


いっそ修行僧になろうかなとすら

思うようになりました、

 

 

 


抱いちゃいけない感情はないって分かってても、
否定的な感情を抱いてる自分を
どうしても"小さな人間"って思ってしまって、

 

 


はーあってなってます、

 

 

 


でも、生きることを投げ出さないって決めたから、
どんだけ自分のことが嫌になっても
それが私なわけだから
不器用なりに生きていきたいと思います、

 

 

 


生きるのって、難しいなぁ…

 

 

旅を終えて-車窓の旅編-

鳥取から東北の旅。

青春18きっぷ、鈍行の旅。

 

 

ここに書くのは、完全に自己満足。

だから、はじめに言っておくと、

伝えたいことは特にないです。

 

 

だけど、初めてのひとり旅。初めての鈍行の旅。

忘れたくないこと、景色が沢山あったから

ここに残しとこうと思います。

 

 

 

(めちゃめちゃ日記チックです、。)

 

 

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2018.3.26 6:14

 

まだ夜が明け切らない、肌寒い朝

鳥取を出発!

 

 

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鳥取から浜坂方面の電車に乗るのは初めてのことで、

ワクワクしました。

 

 

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私は山に囲まれて育ったから、

辺り一面海の景色を見ると、わー!!ってなります。

 

 

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福知山駅は、とっても都会でした…😳

 

 

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京都はもう、桜が咲いていました。

 

 

(焦って撮ったから窓がうつっちゃった、

 写真撮るの上手になりたい、)

 

 

(今年は桜が咲くのが早いなぁ、 

 どうせなら、今年初の桜は鳥取で見たかったなぁ、

 

 だってあんなに寒い冬を乗り越えて、

 こんなに春を待ちわびてたのに、

 ちょっと西へ行くともう桜が咲いてて。

 

 

 なんだかフライングされた気分でした、笑)

 

 

 

 

鈍行の旅は、とっても楽しい。

 

 

移り変わる景色を見ながら、

 

畦道の途中でおばあちゃんたちが立ち止まって

お話しているのを見たり、

これが埼玉スーパーアリーナかー!と感心したり。

 

 

自分が思っていた以上に、あっという間でした。

 

 

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関ヶ原駅

 

関ヶ原とか多賀城とか、日本史で出てきた地名の駅を見ると、感動しちゃいました。

 

 

電車乗りながら窓の外の景色をパシャパシャ撮ってるのなんて私くらいだったけど、なんでも初めての景色だから、興奮しちゃって。

 

周りの目なんて気にせず、スマホでパシャパシャ撮りまくりました。笑

 

 

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東京に着いたのは、22時頃。

 

 

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都会の中に夜桜。

 

 

1本でも乗り換えを失敗するとホテルに着けるか分からないくらい余裕のない旅だったので、無事東京に着けた時はホッとしました。

 

 

その日は安いカプセルホテルに泊まったのだけど

 

荷物取られないか心配になりすぎて人間不信になりそうで、

 

仕切りがカーテン1枚だったから

音を立てないように意識しすぎて全然寝られない、

 

もう二度とカプセルホテルには泊まらない!

と決意しました、

(そう思えたことも勉強!と思いたい)

 

 

 

次の日。

 

始発で東京駅を出発し、宇都宮、黒磯へと向かいます。

 

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黒磯から新白河、郡山へと乗り継ぎ、やっと東北地方へと入りました。

 

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どこで撮ったかは忘れちゃったけど、

これ奥羽山脈!?と思いながら写真撮りました。

 

奥羽山脈であってほしい、)

 

 

 

昼の2時頃に仙台に着きました。

 

仙台駅の中は、お土産屋さん、ご飯屋さんが建ち並び、なんだかとっても都会でびっくりしました。

 


(東京駅でさえ迷子にならなかったのに
 仙台駅では迷子になりました、)

 

 

 

 

次の日。

 

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朝5時半頃の仙台駅。

 

(始発に乗るために、毎朝4時起き、5時起きの旅でした…)

 

 

 

 

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花巻駅で乗り換え。

 

 

このあたりになると、駅の名前が書かれたプレート(?)みたいなのが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ver.になって、とってもかわいくなるんです。

 

 

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こんなのが、ずっと続いてました!

 

オリジナリティと、郷土愛にあふれる駅って

めっちゃいい…!!

 

 

 

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釜石に着いてから、三陸鉄道に乗りました。

 

 

三陸鉄道は、震災の津波でかなり大きな被害を受けたのだけど、3/16には一部区間で運行を開始し、住民たちの希望の光となった鉄道です。

 

 

 

授業でJRの人や若桜鉄道の元社長さんの講演を聞くことが何回かあったため、地域のために一生懸命頑張ってくれているローカル鉄道を見ると、ついつい応援したくなります。

 

 

 

電車1つ運行するだけでも、これだけの熱い思いを持って、そしてその地域のために、住民のために、人生をかけて運営してくれている人がいるんだなぁって、お話を聞く度に毎回感動するんです。

 

 

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本数が少なすぎて、待合室で1時間45分待つことになったんだけど、そんなの吹き飛ばしてくれるくらいに素敵な景色でした。

 

 

 

 

***

 

今度は、鳥取に戻ります。

 

 

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熱海駅でパシャリ。

桜が咲き誇ってました…!!

綺麗だなぁ。

 

 

鳥取にいると、全然違う所で知り合った人と人が思わぬ所でつながってたりすることが本当によくあって、世界せまいなぁって、それがちょっと嫌になる時もあって、

 

 

 

もちろんそれが田舎のいいところでもあるんだけど、

そういう環境にいると、ふとした時に出たくなるんです、

 

 

 

一時的ではあるけれど、現実を忘れられることも

旅の1つの魅力だなと感じました。

 

 

 

 

豊橋から名古屋に向かう電車の中。

 


隣に座ったおばあさんに、話しかけられました。 

 


私が東京駅で買ったお土産の袋を持っていたからか、
「東京に行ってきたの?」と。

 

おばあさんは、岩手県出身の方でした。

 


(おばあさんは東北なまりの話し方をされていましたが、東北弁があまり分からないので、ここでは標準語に変換して書きます)

 

 

私が被災地に行ってきた話をすると、

「私は一ノ関の者で、釜石の方にはなかなか行けないんだ。私みたいな老人が、役に立ちたくて行ったところで、老人にできることは何もないから。だから、一ノ関で元気に過ごす。これが1番いいことなんだ」って、教えてくれました。

 

 

「震災が起こってすぐの頃、息子が被災地に行ってきたことがあってね。

 

その時はなんにもなかったんだけど、日が経って足を見てみると、黒いぷつぷつの発疹ができていたの。他の人はみんな、お医者に行けと言うけれど、私は"これは釜石の人たちの声だ"と思って、線香とお供えするお菓子を持ってもう一度釜石へ行ってきなさい、って言ったの。

 

震災で亡くなったのには、小さな赤ちゃんからあなたみたいな大学生、障がいをもっている人、私みたいな老人、本当に色んな人がいる。息子は優しいから、そんな人たちがきっと息子に助けを求めているんだって思ったのね、

 

 

息子がもう一度釜石に行って戻ってきた頃には、もうその発疹は引いていた。他の人に言ってみると、そんなのあるわけないって、信じてくれない人もいる。

 

だけどね、ないと思ってたことが、起こることがある。よく覚えときなね。」

 

 

 

「昔はみんなガスを使って生活していたけど、ガスは危ないからっていう理由で、ほとんどの家が電気に変わったね。

そしたら、震災の時、電気は止まるでしょう。

 

どうなるか分かる?

 

寒さも凌げない、お湯は出ない、ご飯も炊けない。

 

ガスだったら、電気が止まっても関係なく使える。

 

ガスストーブをつければ、部屋は温まる。ストーブの上に鍋を置けば、おでんでも何でもつくれる。

 

便利なものが、そうではなくなることがある。震災以降は、各家庭に1つは、ガスコンロを置く取り組みが行われていたんだよ。」

 

 

そのおばあさんは、他にも、

こんな男には気をつけろ、手相、統計学など、いろんなお話をしてくださいました。

 

 

その時初めて出会った、見ず知らずの人だったけれど

おばあさんとはすんなり打ち解けて、仲良くなりました。

 

 

そして、話しているうちになんだか、生きる知恵を教えてもらっているような気分になりました。

 

 

 

全然知らない人と、1時間くらい喋ってる。

こんなことって、あるんだなぁ。

 

 

 

何十年も前、おばあさんが一ノ関に生まれ、月日が経って震災が起こり、そのタイミングで息子さんが被災地に行って、そんなようなことがあって、その何年後かに、縁もゆかりもない私のような人間に届いてくれて。

 

 

物凄い偶然が重なって、その出会いもその言葉もあったってことだから。

 

 

 

不思議な気持ちになりました。

 

 

 

 

"人は出会うべくして出会う"

 

 

この言葉は、実感がわかなくて、

ずっとよく分からなかったんだけど

 

最近になって、"ほんとにその通りだ!"って、思うようになることが続いてて。

 

 

 

ほんの一瞬の出会いだったけれど

おばあさんもきっと、

出会うべくして出会った存在なのだと思っています。

 

 

 

どこかで聞いた言葉が、その時ではなくても、

時間が経ってからでも、自分の経験と結びついて、

スッと胸の中に落ちていく感覚、

 

 

 

今の私の毎日は、そんな感覚の連続です。

 

 


滞在時間よりも、移動時間のほうが圧倒的に長いこの旅で
様々な葛藤や不安と向き合い、消化するのには
これくらいの時間があってちょうど良かったのかも知れないなと思っています。

 

 

流れてゆく街並みを眺め、

いろんな思いを馳せながらの車窓の旅は
何時間経っても嫌にはなりませんでした。

 

 

むしろ、ずっと電車に乗っていられるんじゃないかと思うくらい、私には鈍行の旅が合っている気がしました。

 

 

 

 

 

この春休み、熊本、福岡、山口、東京、宮城、岩手と上陸しましたが、
電車を使えば、日本全国、案外どこにでもすぐ行けるんだなと感じました。

 

 

 

 

行こうと思えば、ひょいっと行けてしまう。

 

 

距離なんて、行けない理由にはならないなぁって、強く思いました。

 

 

この感覚を、忘れないでいたいです。

 

 

 

 

あー、楽しかったなぁ…!!

 

 

 

 

 

新歓の準備に追われてたら、
車窓の旅編書くのがこんな時期になっちゃった、

 

 

帰ってきて1週間も経っていないのに

なんだかすごい前のことように感じます…

 

 

 

それくらい、今が充実してるんだと思いたい!

 

 

 

明日からも新歓頑張ろうっと、

 

 

 

 

将来が見えない

帰省すれば、会う大人会う大人に、

「将来どうするか決まった?」って、聞かれます。

 

 

全然わかんないよ。

 

 

どんな職業勧められても腑に落ちなくて、

やっていける自信もなくて、

心から「やってみたい!」って思えなくて。


なんでそうなのかも、全然分からなくて。

 

 


だけど、東北から帰ってきて、自分が将来何がやりたいか見えない理由って、ここにあるんだろうなって、なんとなく気づけた気がします、

 

 

「ブログ読んで、泣いちゃったよ。あの文章を読んだだけ、(現地に行ったわけでもなにか聞いて自分でなにか感じたわけでもない人間)なのに、涙が出てきた。上手く言えれんけど、ずーんってきた。


ありがとう、この言葉が合っとるんかわからんけどね。でも、ありがとう…自分なりに考えたいし、まだ教師になってもないけど、けど生徒になにか伝えられる人になりたい、被災者の方に思いを馳せたり、自分のこととして痛みや苦しみを考えてみたりできる人間を育てたい、そう思ったよ」

 

 

自分が被災地で感じたことについては、

SNSにシェアするかすごい迷ってて。

 

それは、簡単にシェアできるような内容ではないし、簡単に取り扱っていいものでもないと思うから…

 


でも、それでも、自分が発信するからこそ届けられる存在がいるなら、シェアしたいと思って。

 

 

だから、この連絡が来たときに、

書いてよかった、シェアしてよかったって

心から思いました。

 

 

そして、そんな気持ちを伝えようと

文章を考えてるうちに、気づきました。

 


 
自分は社会の一員として生きていけるほどの知識、教養、道徳心、社会性が身についた人間じゃない。

自分が子どもすぎて、幼すぎて、社会を構成する1人として働ける存在に思えなくて、だから、この世に溢れてるいろんな仕事に対して、胸張って「やりたい」って言うこともできなくて、

どんな職業も、「興味はあるけど…」みたいなのばっかりで、好きなことも、やりたいことも、熱意を持って貫けるものではなくて、自分みたいな人間がやっていける自信もない、自分みたいなのがやってしまっていいんだろうかっていう思いもあって、

 

 

「働く」とかいう以前に、自分が知らない世界のことをもっとちゃんと知りたいし、知ろうとする人間でありたい。

自分が「知ってる」って思ってることも、果たしてそれは本当に「知って」いるのか確かめたい、

 

自分が思ってる事実が、他の視点から考えたら全然違った、みたいなことっていっぱいあります

 

 

社会全体をそんなふうにいろんな面から見て、社会のことをちゃんと知って、ちゃんと考えられる人間になってから、そこから、じゃあ自分はどうしたいのか、どうやって生きていくべきなのかを考えたいなって、気づきました…

 

 

 

私はきっと、社会のことを、知らなすぎる。


社会のことを、もっとちゃんと、

自分のこととして捉えたい、

 

 

実際に被災地に足を運んでみたからこそ、

震災について、ほんの少しではあるけれど

自分のこととして捉えることができるようになりました。

 

自分の目で見たからこそ、肌で感じたからこそ、

社会のことをもっとちゃんと知らなければならないと

感じるようになりました。

 

 

 

 


でも、これに気づいたのって、

遅すぎたのかな。

 


大学生活だって、もう2年しかない。3年生になったら、きっと、もう、就活は始まってしまう。既に始めてる人だっているのに。

 

 

 

今、やっと、スタートラインに立ったような、

そんな感覚、

 

 

 

私は、これまでの人生で、
土台すら築けていなかった。

 

 

これに気づいた瞬間、

自分の今までの人生はなんだったんだ、

自分今まで何しとったんじゃろ、って、

情けなくなりました

 

 

 

きっと、「社会をちゃんと知る」ことに、

終わりはありません。

 

現状起こってることだけでも、いろんな分野があって、いろんな人がいて、いろんな考え方があります。

 

それに、社会を知るためには、歴史だって知っておかなきゃいけない。「今」は、歴史から離して考えられないと思うから。

 

 

けれど、今起こってることも、歴史も、今からぜんぶ知ろうと思ったら、時間が足りない。足りなさすぎる。

 

 

でも、時間に縛られた中で、将来を決めたくない。

とりあえず、って、これでもいっか、って、

妥協して将来を決めたくない。

 

 

 

日本史だって、世界史だって、

試験で点をとるために勉強してきた。

 

センター試験で世界史を選択しないと決めた瞬間、

世界史を勉強するのをやめた。

 

 

 

そんな私だけど、今からでも、

できることをやっていきたい。

 

 

 

だけど、

 

 

新聞を読もう、本を読もう、

 

 

情けないけれど

こんなことくらいしか、思いつかない。

 

 

 

正直、将来をどうしたらいいのか分からなすぎて、涙で前が見えなくなって、不安で押しつぶされそうです。

 

 

 

 

だっぴに入って、これだけいろんな人の生き方に出会って、考え方に触れてきたのに。

 

 

同い年のみんなが今頃考えてることはきっと、将来やりたいこととか、将来をどうするか、っていう、夢に満ちた、けれども現実的なことなのに。

 

 

 

私が東北に行って得たものは、

将来が見えない理由だった。

 

 

 

 

 

自分の将来が見えない理由が、やっとわかった。

やっと分かったけど、分かってしまったからこそ、

そんな自分と向き合うのが辛い、

 

 

辛くて惨めで、将来を考えるのが、

こわくて仕方ありません、

 

 

 

みんな一体、将来をどうやって決めてるの…

私はこれから、どうしていけばいいんだろう…

 

 

 

だけど、誰に相談したらいいか分かりません。
誰なら、笑わずに、私と同じ目線で一緒に考えてくれるのか、分かりません。

 

本当はこんな弱いところ、誰にも見られたくないです。


だけど、いつまでも逃げ続けるわけにもいかなくて、


将来はすぐそこまで迫ってきていて、

本当にどうしたらいいのか分かりません…

 

 

東北の旅を終えて

ずっと生きたかった東北の旅。

そんな旅も、ついに終わりを迎えます。

 

 

 

本当は

感じたことを

感じた通りに言葉にしたいのだけれど

今の私は、なかなかそれが出来ないでいます

 

 

 

今回のブログは特にそれが強くて

何度も何度も推敲して時間をかけて書いてはみたけれど

吸収した分だけのことは

なかなか言葉にできませんでした、

 

 

だけど時間が空いてしまうと

書きたいことや伝えたい思いが

薄れてしまうこともあり

今の私に書ける範囲で書いています、

 

 

 

私は今回

被災された方のお話を直接聞いたわけでもなければ

復興のための活動をしたわけでもありません。

 

 

被災地を完全にソトから見ただけです。

 

だから、本当の意味では私だって

何も分かっちゃいないのかも知れません。

 

でも、それでも、

 

言葉も全然足らないけれど

せめて写真からだけでも皆さんに何かを

お届けできるかも知れないと思い書きました。

 

 

 

内容もてんこ盛りで

書きたいこと、届けたいことを厳選し

いきなり被災地に到着したところから始まります、

 

 

展開もぐちゃぐちゃですが、お許しください、

 

 

 

 

出発して2日目の午後2時頃

やっとこさ仙台駅に着きました。

 

 

地下鉄とバスを乗り継ぎ、荒浜小学校に到着。

 

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バスを降り、この横断幕の文字を見た瞬間

言葉より先に、涙が出てきました。

 

 

 

そして周りを見て、ハッとしました。

 


小学校以外、なんにもない…

 

 

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こんな景色が、ただずっと並んでいるだけでした。

 

 

 

人もほとんどおらず

時折通るのは、数台の車のみ。

 

街には、静寂な時間が流れていました。

 

 

 

 

人がいないと、建物がないと、

街はこんなにも静かなのか。

 

 

 

この静けさを、異様さを、写真に収めたい。

その一心で、写真を撮り続けました。

 

 

 

 

大きなリュックを背負って
写真を撮りながら街を歩く私の姿は
現地の人々に、どう見えているのだろう。

 

 

 

車の中から、物珍しそうに覗き込んでくるその目を

私は見返すことができませんでした、

 

 

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荒浜小学校は

館内を自由に見学することができ

地震発生から避難、津波の襲来、救助までの経過や

荒浜地区の歴史などを写真や映像などで

振り返ることができる震災遺構です。

 

 

 

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ここはかつて教室でした。

 

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津波で歪んだ柵(2階)

 

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卒業式、タイムカプセル、宿題…

 

すぐそこに日常を思い出させるような言葉たち

 

 

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訴えかけるようなこの言葉を、文章を

溢れてくる涙を懸命に堪えながら胸に刻みつけました

 

 

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「失われた街」模型復元プロジェクト

 

 

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1軒1軒の家の主の名前や、そこでの思い出が

プレートに書かれていました。

 

 

 

そんな、思い出に包まれたこの街は

津波ですべて流されました。

 

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屋上からの景色。

 

 

 

何にもないのが、わかりますか

 

 

 

 

本当は施設の内部をすべて紹介したいのだけど

かなり長くなるので省略します…

 

 

 

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小学校を見学できるのは、午後4時まで。

時間の関係で、館内をあまりじっくりとは

見ることができませんでした、

 

 

 

それでも、この校舎が、この街が訴えかけていることを

全身で受け止めたい。

 

 

そんな思いで、1歩1歩踏みしめるように見学しました。

 

 

 

帰り際、小学校の門の扉を閉める職員さんに、

 


「ありがとうございました。
 バスまで少し時間がありますが、どうか気をつけて
 帰ってくださいね」と、眩しい笑顔で言われました。

 

 

 

現地の方と、初めて言葉を交わした瞬間でした。

 

 

 

そのあたたかな笑顔を向けられた瞬間、

東北への旅を決めて以来、心の中にずっとあった

「私なんかが被災地に行ってもよいのだろうか」


という不安が、少しではあるけれどスッと消えた気がしました。

 

 

 

 

小学校を出て、バスが来るまでの間、

周辺を歩きました。

 

 

 

歩いても歩いても、人も建物も、

何にもないのだけれど…

 

 

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晴れた青空にぽつんと建つその小学校は、

空が澄んでいるほどに

私の目にはもの悲しく映りました

 

 

 

 

震災前、人々の活気に包まれていたこの街は、
津波に飲み込まれ、建物も人も何もかも流され、

何にもなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

生きたかっただろう、
生き延びたかっただろう、

 

 

 

 


街が元気だった頃も、人がいなくなってしまってからも、

そんな景色をずっと見てきたこの校舎は今、

何を思うのだろう、

 

 

 

 

 

 

 

 

旅が終われば、私は帰ることができる。
私には、笑顔で帰れる場所がある。

 

けれど、ここに生まれここに育った人たちは
建物も何もかも本当にすべて流されてしまった人たちは

 

ここが故郷であり、

何にもなくなってしまったこの場所が、帰る場所なんだ、

 

 

 

思い出がつまったこの校舎に、この街に

私は今何を思い、何を言うことができるだろうか、

 

 

 

簡単に理解できるようなものではない、

してはいけないような現実の重みと、

 

 

それをまっすぐには受け止めきれない自分を重ね

そんな感情を表す的確な言葉を見つけられないまま

私は仙台市内へと戻りました。

 

 

 

 

次の日。

 

 

 

岩手県大槌町という所へ向かいました。

そこでは2時間程、町歩きをしました。

 


移動手段が、公共交通機関と徒歩だと
行動範囲がかなり絞られてしまいます、

 

 

たとえば車で20分、30分の所も
バスが通っていなければ、徒歩で2時間…

 

 

 

それならば徒歩でしか感じられないことを、
と思い、町を歩こうと決めました。

 

 

 

この日向かったのは、
震災遺構として一部保存がされている旧大槌町役場。
電車は震災の影響で運行を休止しているので
バスで向かいます。

 


最寄りのバス停で降りたところは、

綺麗な道が敷かれていました。

 

 


荒浜地区は、小学校以外は何にもない地域だったけれど、大槌町は、新しい町が作られてる途中段階のようであり、

 

町全体が、プールが完成した時のような
そんなにおいがしました。

 


まっすぐ歩いていくと、役場が見えてきました。

 

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周りが新しい町に生まれ変わろうとしている分、
大槌町役場の周りだけが、時が止まっているような印象を受けました。

 


津波が起こった時、ここの屋上に職員の方々が避難しようとしてたのだけど、全員が避難する前に津波がやってきて、沢山の人の命が奪われた所です。

 

 


役場で働く娘に、「早く逃げなよ」とだけ告げて
1人で高台へと避難したある女性。
その娘が、役場が、津波に襲われてしまった。

 

 

 

こんな時、公務員の立場と、自分、家族の命

どちらを優先すべきなのか

 

 


いざという時の判断は、自分しかできない。

 

 

 

色々と、考えさせられました

 

 

 

玄関前には祭壇があり、
折り鶴や花、水がお供えしてありました。

 


この建物は外から見ることしかできず、
また、柵のようなもので囲まれているため、

全体を見ることはできませんでした。

 

 


けれど、外観だけでも、7年前の津波が残した爪痕は
はっきりと頭の中に焼きつかれるくらい迫力のあるものでした。

 

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役場跡から5分くらい海の方に歩いて行くと、途切れた線路がありました。

 

大槌町は、運行を休止している、JR山田線の区間です。

 

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これまでまっすぐにのびていた線路が、

ここでぷつんと途切れています

 

 

 

今度は海と反対側、急勾配な坂道をのぼって

津波避難場所に向かいました。

 

 

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避難場所から眺めた町の様子。

 

 

 

町全体を見下ろしていて、気づきました。

先程まで自分が歩いてた場所、見渡していた場所一帯が、津波に襲われ飲み込まれてしまったのだということに。

 

 

写真の真ん中にある、平たい屋根の大きな建物の左斜め奥にあるのが役場だと、後から気づきました

 


あんな所まで、津波は来たんだ、

 

 

 

この世に生まれたことも、今ここに生きていることも
それは本当に奇跡のようなことで、

同じ命をもらうにしても、同じ家族でいられ、無事に暮らせていることも、自然の中では、何もかもが、奇跡の連続で。

 

 


それは自然だけではなくて
生まれた場所が、たまたま日本だっただけで。

 

 

 

もしも生まれた土地が、

夜も銃声が鳴り響くような地域だったら。
内戦・紛争が当たり前のような社会だったら。

 

 

 

生きている時代が、80年前だったら。

 

 

 

私は彼ら彼女らと同じように

絶望の中に希望を見つけ、強く生きていけるだろうか。

 


平穏な生活を送っている自分のような存在がいるなかで

 

親を失い、子を失い、大切な人たちを失ってしまった

たまたまひどい被害に遭った方々がいて

 

 

 

生きる希望も持てないそんな絶望の中

けれども何とか希望を持ち、

復興を願い必死で生きている人がいるということを

私たちは無関心で済ませてしまってはいないだろうか、

 

 

 

 

私は今ここに書いたことを、

皆さんに強要したいわけでも
押し付けたいわけでもありません。

 

 


ただ、事実を事実として、胸に落とし込んでほしい。

 


こんなことがあったんだってことを、

一緒に考え振り返り、未来に向けて共に生きていきたい。

 

 

 

 

確かに私たちは、

どれだけ心を通わせ寄り添おうとしたところで
被災者の方たちになり切れるわけではありません。

 

 

 

そして、人1人が、被災地のために出来ることも
微力で限られたものなのかもしれません。

 

 

 

 


けれど、考え続けることはできます。
祈り続けることはできます。

 

 

 


心に負った傷も、これからずっとその傷とともに

生きていかなければならないその覚悟も、

私たちには想像し得ないものかもしれない。

 

 

 

 

それでも、分かりきれないそんな心の内を、


分からないよ、

私には関係ないから、って突き放すんじゃなくて、

 

 

 

分からなくても、分かりきれなくても、

 


せめて分かり合おうとする社会でありたい。

 

 

 

 


そんなふうに、思います。

 

 

 

 

 

あの地震で、津波で、

大切な人たちを亡くした人がいる。

 

 

震災から7年経った今も

やりようのない悔しさを抱え

ぶつけようのない悲しみを叫びながら

懸命に生きている人たちがいる。

 

 

 

 

 

同じ日本に住み、地球上に住んでいる私たちは、

「私」と「他者」を、決して切り離して考えることなどできないのではないかと思うから…

 

 

 

 

 

 

移動距離と時間の関係で、ほんの一部の被災地しか

まわることができませんでしたが、それでも、

行ってよかったと心から思える旅でした。

 


もっと大人になった時には、

必ずもう一度来たいなと思います。

 

 

 

ヘビーな内容、いつもより長めのブログでしたが、
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

生きている奇跡と感謝を噛みしめて
鳥取へ戻ります。