はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

あの後ろ姿に思うこと

実家に戻って、

じいちゃんばあちゃんと一緒に過ごしている。

 

3歳から、中学校卒業まで、住んでた場所。

 

 

この町が好きだ。

 

嫌いなところもいっぱいあるけど、

それでもこの町のことが私は好き。

 

 

ここで育ってなかったら、きっとこの町のことなんて

知ることも名前を聞くこともなかったと思うくらい

世間から全然注目されないような田舎町だけど

 

 

静かで人が居なくて

田畑が広がってるこの景色を見ると

あー、帰ってきたなぁ…と思う。

 

 

実家なのに、帰っても今は

じいちゃんとばあちゃんしか居ない。

 

 

小学校から帰って裏山に行くと

2人並んで作業していたあの後ろ姿を見られることは、

恐らくもうない。

 

 

じいちゃんは車椅子に乗って

ばあちゃんは杖をつきながら歩くようになった。

 

(別に、最近のことでもないんだけど。)

 

 

それでも、畑仕事を続けるばあちゃんが居ること

町の文化や歴史に詳しいじいちゃんが居ること

それらに何も変わりはない。

 

 

いろんなことがあって

高校生になって大学生になっても

私はこの町に帰ることが、ずっと苦だった。

 

 

『あの家の息子は○○高校に行くらしい』

『あそこの家の△△ちゃんは、⭐︎⭐︎になるんだって』

 

口にはされないが表情が物語るその後の言葉と

驚くような早さで回る町民の噂と家庭内の事情に

いつも嫌気が差していた。

 

 

誰がどこの学校に行こうが、

何になろうが、

別居しようが離婚しようが、

どうだって良いじゃないか。

 

 

心の中でそう思っていた反面、

聞こえてくる全ての言葉がプレッシャーとなって

自分を押し潰していた。

 

 

私は、自慢できる娘でいなきゃ。

それがじいちゃん孝行であり、ばあちゃん孝行なんだ。

 

 

脳内でそう信じ込んでいたから、

歳をとるにつれてそうではなくなっていく自分を

認めることができないでいた。

 

 

ずっとずっと、家族不孝だと思っていた。

 

 

 

***

この家に帰ってきた時、

どうして私はあの後ろ姿をいつも思い出すんだろう。

 

 

そう思って、色々と考えていた。

 

 

それはきっと、

農作業と家の仕事に向き合う2人の姿が、

かっこよかったから。

 

 

学校から帰れば、

「おかえり」と迎えてくれるあの時間が、

「幸せとは何か」なんて考えたこともない

あの頃の自分にとって、とても幸せだったから

なのだと思う。

 

 

何でもできて

何を聞いても答えてくれる

かっこよくて物知りな2人が

 

 

自分も大きくなって

1人の人間として対等に話ができるようになると

これまで疑いもしなかった2人の言葉と

自分の考え方や意見が脳内で衝突してしまう。

 

 

 

介護される側なのに、どうしてそんな

上から目線な物言いなの?

 

なんでそれが「幸せ」って決めつけるの?

 

私が結婚しなかったら、

子どもを産まなかったら、

同じようにこうして影で言われるんだろうか。

 

遠回しに何度もあれこれ言ってくるなら

はっきり伝えてくればいいのに。

 

 

そう思うと悲しくなって、

涙がぽろぽろ零れることも日常茶飯事だ。

 

私が思ってることも伝えたいことも

きっと1割くらいしか理解されてなくて

生きてきた時代が違いすぎるから

もう自分のことをわかってほしいなんて思わないけど

 

時々、限界が来るときがある。

 

 

料理と洗濯と家の手伝いで1日が終わっていく

そんな生活が一週間続くことは、

自分が思ってた以上に大変なことだった。

 

メニューを決めるのもご飯の用意をするのも

自分1人の時とは違いすぎて

落ち込むことも沢山ある。

 

 

あんなにかっこよかった2人に

頼られる毎日がやってきて

ちょっとだけ疲れている。

 

 

もしかすると、あの後ろ姿を知っているからこそ、

そうではない姿を受け入れなきゃいけないこと自体が

私の中では大きなことなのかも知れない。

 

 

それでも、毎日「ただいま」を言って

その日あったことを逐一報告できる存在が居たことが

22歳になった今の私を支えてくれていることも、事実だ。

 

 

それがあったから、

仕事で忙しくて一対一の時間なんて

全然とってもらえなかった両親の元で育っても

寂しく感じることなく育つことができたのだとも思う。

 

 

 

 

家族の形も力関係も

自分が歳を重ねるにつれて

複雑に変化していく。

 

 

見たくなかったもの、聞きたくなかった言葉を

目にし耳にする日も増えた。

 

 

 

そんな時こそ、あの日々を思い出したい。

 

 

私を育ててくれた2人に、

恩返しをする番がやっと来たんだから。