体験したことと、見た景色と、聞いた話。
(聞いた話は、聞いた通りに
聞いた言葉のまま書いています)
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川からは水が溢れ、山からは水が吹き出してきていたそう。行く道行く道通行止め、その日は車内泊。トイレと飲み物が確保できるコンビニの近くに避難。
(その後すぐトイレは使えなくなったそう)
心細い中助けられたのは近くの住人からの声掛け。
「あっちの道はもう通れんよ」
「私の弟の家の方は通れるみたいじゃけぇあっちに行きんさい」
そうして次の日の昼前になんとか家に到着。
家族は車で迎えに行こうとしていたが、渋滞と通行止めで迎えに行けず。
バッテリー減るから電話、メールするなと言われてただただ心配することしかできなかった。
その日通った道すべてが、通った何時間後かには土砂崩れや道路陥没を起こしていたと判明、まさに危機一髪。
それらの道は暫くは通れなかったが、1ヶ月後には通れるように。
歩道には大量の土が残ったまま。
崩れた斜面
歩道に倒れたままの道路標識。(手前)
土の塊を置いて、グランドの土が崩れないように。(奥)
柵の向こうは、川なんだけど
石やら岩やらで埋まってる
上流の大きな岩が家に流れ込んでいる
崩れた1階。
今にも崩れそうな道路。
実家の近く。道路陥没してた
普段は小石しかない川。
こんなおっきな岩、どこから来たんだろう
道の至る所に土砂と流木が積み上げられている。
鳥取から帰る道も至る所で土砂崩れの痕が見られた。
崩れた斜面を整備している途中
給水所にて、殆どの人は順番に並ぶ。
100人に1人くらい、順番を守らなかったり
無理なお願いをしてくる人がいるそう。
"自分がよければそれでいい"という発想は、結果的には自分にも不利益を齎す。
災害時だからこそ規則は守りたい。
無駄な衝突は避けたい。
誰かが我慢すれば済む社会ではなくて、
みんなが気持ち良く生きていける社会にしていきたい。
その一方で、温かい話も耳にした。
その人の家は被災し断水していたが昼間は仕事に行くため給水にも行けずにいた。
どうしようかと困っていたところ、仕事が終わって夜家に着くと隣の人が水を届けてくれていたそう。
「あんたんとこは仕事があるじゃろうしおばあさんも歩けんじゃろう、水もらってきといたけん」
水だけでなく野菜やら他の食べ物やらも。
ニュースにならないだけで
あちこちで土砂崩れが起こっていた。
おばあちゃんが住んでいる熊野町。
いつもなら20分で行けるところも、大渋滞で2時間かかる。熊野道路は2車線あるけれど殆どの車が左側のみ通行。
料金所で通れるゲートが1番左側の1箇所だけだから。(料金は現在無料)
右側車線は緊急車両の駐車スペース的役割を担っているそう。
県民グランドは、流木や土の運搬場に。
暫定的に作られた道
その道の周り。
なんとか土砂崩れを避けられた家
道の至る所に。
全壊したのは、団地の中の1軒。
家が建ち並ぶ中、その空間だけぽっかり空いていた
天災で家や車が壊れても
ローンが残っていれば返済しなければならない。
新築だろうが新車だろうが関係ない。
(東日本大震災の時もそんな報道を見たな…)
そこに「住む」とはそういうこと。
物を「買う」とはそういうこと。
土砂崩れが発生した直後を思えば、。
帰省したら、大好きな街が壊れていた。
新聞で見た、住民助けの帰り道の途中に殉職された警察官の方が、知り合いの知り合いの方だったと知った。
街も、人も、もう完全には元の状態に
綺麗に戻ることなどないのだろう。
それでも、自衛隊の人たち、ボランティアの人たちが沢山頑張ってくれている姿にとても励まされた。
復旧に1年はかかると言われたJRも
まだ完全には復旧していないけれど
予定の何日も何ヶ月も早く動き出した路線がいくつもある。
戦争も、数年前の土砂災害も、今回の災害も
幾つもの困難から何度も立ち上がってきたこの街。
街が壊れても、大好きな街だということに変わりはない。
だから、本当の闘いはここからだということを
ずっとずっと忘れたくない。
救われた命の裏に、奪われた命がある。
何から手をつけたらいいのか分からないほど
あちこちに散乱し積み重なった瓦礫や土木。
これから先の人生、失った悲しみとともに生きて
いかなければならないその覚悟を背負った人々。
豪雨が止んだから終わり、じゃない。
震動がなくなったから終わり、じゃない。
テレビで見なくなった=復旧した、わけじゃない。
いつどこで
自分がその身になるかも分からない。
見知らぬ誰かであっても、
そんな人たちと
ともに生きていこうとする社会でありたい。
もっともっと、人が人に寄り添える社会でありたい。
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こんな記事を見つけた。
戦争の跡地をインスタ映えに利用して
その建物や自然の中でポーズを決めて写真を撮る若者が多くいるんだって。
そこで起こったことやその地での時の流れを知ろうともせず、「今」その時その一瞬だけの幸せや楽しさを求めることは、本当に幸せなことなんだろうか。
「今」ができるまでに、どんな人がいて
どんな出来事があってどんな歴史があったかを知り
未来を考えていくことが「生きる」ということなのではないだろうか。
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大好きな広島が舞台になっている、
『この世界の片隅に』。
私がこの作品を好きな理由は、
登場人物のキャラクターや配役など色々あるけれど
でも1番は、
日常とか当たり前にあるものを描いているところ。
普通そういうのって
わざわざ描こうと思わないじゃないですか。
でもそんな日常を描くことで、
ほんとはすぐ目の前にあるものとか
すぐそばにいる人とか広がる世界が
すごく大事なんだなって気づけるし、
大切にせんとって思わされる。
どこにでもあるような、いつでも見れるような、
そばにありすぎて大切なものだと気づくのが
案外とっても難しいものを
さりげなく描いてくれてるところがとてつもなく好き。
そんなかけがえのない日常も、
戦争の激化と原爆投下で奪われてしまうのだけれど…。
戦争も災害も、日常を奪います。
普通に生きていけることが、
どれだけ有難くて幸せなことか。
「今あるに感謝」だなぁ