はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

本音で話せる勇気と時間を、いつまでも持ち続けたい。

3年生になりました。

 

1年、2年と比べて、コマ数はかなり減って

「これが大学生か…」と、実感しています。

 

 

私の学科は、卒業したからといって

何か特別な免許を取得できるわけでもないし、

(任用資格とかはあるけど)

 

 

「自由な時間が増える」ということは同時に、

その分自分で何かをやらないと、

有意義な時間は過ごせない、ということでもあり、

焦りの気持ちもあります。

 

 

とは言っても、

やっぱり自分が「楽しい」と感じることを

やっていたいと思うから、

最近になってやっと見つけた(気づけた)

自分のやりたいことに、しっかり時間を

使っていきたいなと思います。

 

 

 

私は地域学部という、センター受けるまで

全然聞いたこともなかったような学部に

入っています。

 

 

そしてその地域学部の中でも、

地域政策学科という、これまた何勉強しとるんか

分かりづらい学科に所属しています。

 

 

 

一般入試で入ってきた人の中に、

"この学科が第一志望だったー!!!"

みたいな人に、全然出会ったことがありません。

 

 

 

 

まぁ、そういう学科です…笑

 

 

 

「地域を学際的に学ぶ」という、

それだけ聞いたら確かに、

なんかどことなく良さそうな、

これからの時代に必要そうな、

そんなイメージを持ちますが、

 

 

 

取得しなければならない単位数と、

自分が本当に興味のある専門科目の数を比べた時、

圧倒的に前者のほうが数が多く、

「興味はないけど、単位はもらえるけんとっとくかー」

みたいな授業も、割とあります。

 

 

 

 

そういう時に、自分が大学にいる意味を

見失いそうになります。

 

 

 

小学校から12年間勉強を頑張り、

親には高い学費を払ってもらい、

地元を離れてひとり暮らしまでさせてもらい、

そこまでして通っている大学。

 

 

 

 

先輩に、こんな人がいます。

 

 

来る日も来る日も、バイトに暮れる。そんな人です。

 

 

一体何のためにそんなにバイトをしてるのか、

なんでそんなにバイトのために生きれるのか、

ずっと疑問に思っていたある日、聞いたんです。

 

なんでそんなにバイトばっかしてるんですか、って。

 

 

 

その人はいつもおちゃらけた人だから、

テキトーな答えが返ってくるのかなって思ってました。

 

 

だけど、返ってきた答えは、

 

 

"大学院で勉強するために、バイトしてきた。

俺は大学生活の4年間をかけて、

大学院っていう2年間を買ったんや。"

 

 

 

家のこと、大学のこと、夢のこと。

まっすぐな目で、話してくださいました。

 

 

思えば、その先輩と真面目な話をしたのは、

その日が初めてでした。

 

 

勉強するために、自分の身を削ってお金を稼いでいる人がいることを、その時に初めて身を以って感じました。

 

 

こんな人が身近にいると、ますます自分が大学にいる意味を考え直し、もっと頑張らなきゃ、と思わされます、

 

 

 

 

ここまで、色々書いたけれど、

 

 

私は地域学部に入ったこと、後悔はしていません。

 

 

確かに、

「なんじゃこの授業」みたいな授業も沢山あるし、

教授と教授の派閥を見た時には、

こんな大人になってまでそんなことしとるんか、って、

こちらが情けなくなるようなこともあるんだけど、

 

 

 

でも、

 

 

自分の生き方、考え方をまるごと変えられた

学問にも出会ったし、

心から尊敬する教授、講師の先生にも出会いました。

 

 

数は少ないけれど、自分の弱さをさらけ出せる

友人にも出会いました。

 

 

 

(楽しみも誇りも、自分が見つけるものですしね☺)

 

 

 

誰かと一緒にいてこれ以上傷つけられるくらいなら

1人でいることのほうが平気だった、

 

 

なんかもう色々と、うんざりだった、

 

 

そんなふうに思っていた私でも、

 

 

モヤモヤすることがあれば「聞いてほしい!」

って素直に言える存在ができ、

 

 

悩んでいると知れば、「力になりたい」と

心から思える存在ができました。

 

 

 

 

悩みを話すことは同時に

自分の弱さを見せることでもあり、

それは誰でもにできることではありません。

 

 

 

だけど、「本音で話す」って、すごくすごく

大切なことだなぁと常日頃感じています。

 

 

 

夢とか現実とか、社会のこととか

私は自分の好きな人たちと、そういう話をする時間に

すごく幸せを感じます。

 

 

たとえ内容がネガティブなことであっても、

そういうことを話せる空間に、すごく意義を感じます。

 

 

 

目の前の世界だけで終わってない感じというか、

終われない想像力というか。

 

 

 

同じ時代に生まれ、同じ時代を生きる人たちと

そういう話をしていると

自分の世界がどんどん広がっていく感じがするんです。

 

 

 

 

 

目の前のことに追われて、

何をすればいいのか分からなくなった時も、

 

将来が見えなくて焦りと不安で覆われた時も、

 

 

自分の素直な心の声を伝えられる相手がいたから

そんな日々もなんとか乗り越えてこれました。

 

 

 

 

 

今、ちょっとだけ、将来が見えてきたんです。

 

 

 

ほんとにちょっとだけだけど。

 

 

 

具体的で大きな夢を描けなかった私は、

目の前のことをやり続けることでしか

未来は見えてこなくて、

 

どんなに小さなことでも、

自分がやりたいと思ったことをやることでしか

その先が見えなくて。

 

 

 

 

だけど、ちょっとだけ未来が見えてきた今、

 

 

 

そういう時間がすごく大切だったんだと気づきました。

 

 

 

心の声を、自分だけの心の中にしまっておくと、

それはいつの間にか消えてしまうことがあります。

 

 

なにかと理由をつけて、やろうとしなかったり

自分なんかじゃだめだって、

自分で自分の可能性を潰してしまったりするから。

 

 

 

だから、私が今、

ちょっとだけ未来が見えてきた秘訣(?)としては、

 

 

「心の声を素直に話す」ことだったんだなって

思っています。

 

 

 

後ろ向きな内容のことって、どうしても

「話さないほうがいいかも」とか、

「弱い部分を出すことになる」とか思ってしまって

 

 

胸に秘めときたくなります。

 

 

 

殻が向けるまでの過程を見せるのはすごく

かっこ悪いことだし、できることなら

「変わりきった自分」だけを見られたい、

って思います。

 

 

 

 

だけど、いきなり変わることなんてできなくて、

 

 

かっこ悪くても、

なかなか上手くはいかなくても、それでも、

 

 

 

それがその時の自分の精一杯であり、

その時の自分の全力をぶつけることが、

きっとすごく大切なのだと思っています。

 

 

 

この半年くらい、私の中に猛烈に

「変わりたい」という思いがありました。

 

 

 

私にとって「変わる」とは、

「ありのままの自分を好きになる」

ということだったのかな、と思います。

 

 

今は、「変わりたい」というよりかは、

 

「ありのままの自分ができること、

 自分だからできることを見つけていきたい」

 

という思いのほうが強く、

 

「変わる」ことよりも、

「自分であること」へのこだわりを

持つようになりました。

 

 

 

そんなふうに気づけた時に、ちょうど、

こんな言葉に出会ったんです。

 

 

 

自分を変えようとする努力を辞めたときに

変われている

 

 

 

まぁ、まだまだ全然、変わりきれてはいないけど

それでも、ちょっとだけでも、

この言葉が言いたいことに

なんとなく近づけているのかな…と思います。

 

 

 

 

嫌われる勇気と、幸せになる勇気って、

おんなじらしいです。

 

 

 

幸せになるのには、それなりの勇気と覚悟が

必要ってことなんだろうなぁ。

 

 


自分を嫌う人がいるというのは、

自分が自由に生きている証なんだって。

 

 

 

だから、私はもう、「嫌われること」について

怯えなくなりました。

 

 

(嫌われる勇気っていうのは、

わがままになるとか、そういうことじゃなくて、

 

周りの目を気にして、

言いたいことも言えなくなってしまったり、

やりたいこともできなくなってしまったりする

そんな状態から脱し、

自分は自分だと、

胸を張って生きていくということです)

 

 

 

(向こう側にあるものを予想しないで発言や行動をする

ことは、暴力を振りかざすことにもなり得るから。)

 

 

 

伝えたいことはできるだけ伝えるようにしているし、

それで嫌われてしまったら仕方ない、

 

 

その人と私が「あわなかった」ってことだと思うから。

 

 

 

 

 

1番こわいのは、自分の好きな人たちに

嫌われる、というか、突き放される、というか

そんなようなことだなって、最近は思います。

 

 

 

自分がその人にどれだけ心を開いていても、

どれだけその人があたたかい言葉をくれる人でも、

 

 

「本音をさらけ出す」ことには、

ためらいが生じてしまいます。

 

 

 

こんなに弱い自分でも、

受け入れてくれるんかな、って、

不安になってしまうから。

 

 

 

だけど、本音で話せない関係に、

そもそも「好き」という感情は

わいてこないと思うから。

 

 

 

 

いつもいつもおちゃらけたようなことしか

言ってこない先輩とあんな話ができたのも、

 

 

良いこともそうじゃないことも

素直に「話したい」と思える友人ができたのも、

 

 

ぜんぶぜんぶ、本音で話せた時間があったからで。

 

 

 

 

最近、こんなことを言ってもらいました。

 

 

"何やっとるかよく分からんような学科に入って、

でも、はるちゃんがおってくれたけん、

政策学科でよかったと思うんよ"

 

 

 

 

 

 

自分の弱さも何もかも、隠すことなく

本音で話してきてよかったって、

その時心から思いました。

 

 

 

 

自分の好きな人たちだからこそ、

ちゃんと本音でぶつかっていきたいなと思います。

 

 

 

 

とってもとっても、勇気のいることではあるけれど…