はるちんのひとりごと。

自分の思いを自分の言葉で。楽しみも喜びも悩みも不安も悲しみもぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、共有すれば希望になる"

おじちゃんありがと

久しぶりに落ち込むことがあった。

 

最近なんでも記録したくなるなぁ、

 

 

 


ミスしたのは自分の確認不足だし

全面的に自分が悪かったし

ここに書くのは全部言い訳だ、

 

 


作業の0から100までを教えてもらえるわけではなくて

すべての工程とか仕組みを理解しとるわけでもなくて

前提を知らんからミスしてしまうことがいっぱいあって。

 

 

悪びれる様子がないと、

こっちへの敬意がないなって感じると、

何十回も続くと、

その人の背景にあるものとか想像する気持ち

なくなっちゃうなぁ。

 

 

あーまたか。って

思っちゃうなぁ。




予想外のことが起こると

すぐパニックになってしまうの

どうしたら治るかなぁ。

 

後から考えたら普通にわかることも、

頭の中が真っ白になって、どうしたらいいんか

分からんくなるの、どうにかならんかなぁ。

 


強い言い方されたら、すぐ涙が零れてくるの、

どうやったら治せるかなぁ。

 

絶対泣きたくないのに、溢れてきちゃうんよね、


「すぐ泣くやん」って思われるやんね。

 

 


でもね、それ見てたんかな?

あるお客さんに、「元気な顔しとかなあかんで〜」

って優しく笑いながら言われて。

 

 

あー、頑張ろー、って、思ったんよ。

 

 


接客態度なんて、どんだけ良くすることも、

サボることもできるわけで。自分次第で。

 

 

スピードだって、自分の疲労度とかで、

ゆっくりやろーとかってできるけどさ、

でもね、頑張りたいんよね、

自分ができる精一杯のレベルのとこでやりたいんよね、

 

 

今日は散々な1日だったけど、

最後にここに寄ってよかったなって

明日もなんとか乗り越えれるかなって

思いながら帰ってほしいんよね、

 

 

 

自分の都合で不機嫌になる人が嫌いだから、

自分はそうはならんぞって、決めとるんよね、

 

 


普段から笑顔ない人やったら、

その人が元気あるかどうかって、分からんやん。

 

でも、普段笑顔で頑張っとったから、

励ましのつもりでおじちゃん声かけてくれたんかなって。

 

 


勝手な思い込みかもしれんけど、

思い込むのは自由やんな、

 

 


そういうことが、あった1日でした。

 

 

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今年になって初めて

冬っぽい写真が撮れた

 

 

泣きながら歩く帰り道

もうやめたいなぁ、

 

涙腺ちょんぎりたいなぁ、

 

 

 

 

究極の開き直り

最近アトピーが酷すぎて、

「逃げられないもの」について考えている。

 

昔からずーっとアトピーに苦しめられてきた

人前で肌を見せるとギョッとされることが多かった。

 

それで直接何か言われたりしたことはないけど

プールとかで肌を見せなきゃいけない場面になると

こんな汚い肌をさらして

なんだか申し訳ない気持ちになった。

 

 

小学生の頃は、喘息と頭痛持ちだった。

 

喘息で声が出なくなった時もあったし、

晦日の夜に発作が出て

救急医に行ったこともあった。

 

 

眠れない程の痒みや発作が続いても

こんなもんかな〜って冷静に思ってた自分がいて

特にそんなにしんどかった記憶はないけど、

喘息で寝れなくて、喘息は座った状態になったほうが

発作が落ち着きやすいと先生に教えてもらってから

ぜーぜー言ってる私の隣で

眠い目をこすりながら

時にはウトウトしながら

眠れない私の背中をさすってくれた母さんがいた。

 

 

 

アトピー持ちだろうが喘息があろうが頭痛持ちだろうが

その症状自体で苦しんだことはあっても、

それらを抱えた自分のことを悔やんだことはない

(まぁ皮膚移植はずっとしたかったけど)

のは、自分にとって一番大事で信頼してて

一番大好きな母親という存在に

そのことで拒否されたことが一度もなかったから。

というか、そういう自分をいつも受け入れて

どうやったら治るか一生懸命考えてくれていたから

なのかなとふと思った。

 

 

 

 

生理前になると、必ずニキビができる。

今まではそれを隠そうと必死だったけど、

最近はなんかもう別にいいかな、と思っている。

 

 

もちろんニキビができるのはすごい嫌だし

何より痛いし早く治ってほしいけど

でもなんか、これって自分が生きとる証でもあるしな…

という感じである。

 

 

楽観的すぎって?

でも、生理中って別人なんじゃないかってくらい

自分が変わるから

今月もよく頑張ってるな、って

このニキビくんも、自分が一生懸命生きとる証なんよな、って。

 

 

 

掻いても掻いてもずっと痒いこの肌も、

20年以上共にしてきたわけであって

君のその能力、もっと他のことで生かせやしないのかい?

という感じである。

 

 

病院に行けば全く(と言ってもいいくらい)

効果のない薬を何千円も出して買わされて

 

 

こんだけお金かけても治らんなんて、

あー早く医学が進歩して

アトピーの特効薬できんかなぁ、、、。

 

 

 

アトピーが辛すぎて、こんなブログを書いてしまった。

 

 

 

 

でも今日は卒論提出したし

最近毎日バイト楽しいし

幸せな気分思い出して

この厄介なアトピー

乗り越えていきたい、な!

 

 

 

 

 

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2年かけてやってきたことが一冊になるのは

なんだか感慨深いなぁ

 

 

 

 

 

 

わかりやすさの裏側で

1年以上ぶり(?)に、懐かしいメンバーで揃って

ご飯を食べた。

 

久しぶりだったはずなのに、全然久しぶり感がなかった。

 

(結構会っとるのに久しぶり感強い人と

 全然会ってないのに久しぶり感ない人の違いって

 なんなんだろ…)

 

 

チーズタッカルビを作って食べた。

初めての経験だった。☺︎

 

 

何かに縛られてた人がそれから解放されて

スカッと笑ってるの見ると

なんだかすごく幸せな気分になった。

 

 

みんなおんなじように見えてきっと全然違う道を

辿ってきた

でも、いろんな柵から解かれて今にいることは

みんな同じような気がした。

 

 

「その人に問うてみたいことがある」というのは

「誰でも」じゃない、

「その人」に会いに行く原動力になる。

 

その人にしかない答えを

「あなたに聞いてみたくて」と言われるのは

すごく嬉しいこと。

 

「会いたい人になる」って

すごく大切なことなのかも。

 

 

 

お互いの第一印象を振り返った。

第一印象と今の印象の違いが一番大きい人を聞いた時、

3人が3人、私だと言った。

 

 

「こんなに明るい人だと思わんかった」

 

「何か抱えとるけど、その闇を自分からは

 絶対話さん人だと思った」

 

いつも笑顔でいなきゃって思ってたけど

笑顔でいたところで

内側にあるものって

結構人に伝わってるんだな。

 

頑張るところが違ってたな、って

あの時をちょっと振り返ってみたりした。

 

 

でも、あの時の自分なりに一生懸命生きてた結果だから

あの時の自分を否定することはしたくない。

 

 

今ならもっと、自由に楽に生きられるなって

そう思えてたらいいかなって思ってる。

 

 


わかりやすさの話とか

言葉にできてしまうことの絶望とか

触れてしまったらそれ以上触れられないこととか

フィクションだからこそ本音が書けることとか

 

普段自分が考えてることが人の口から流れてきて

普段人と話さないような内容だからこそ

あー自分が感じてたことは全然間違ってなんかなかったんだな、と思った。

 

 

わかりやすいものばかりに触れていたら、

自分の頭で考えることがなくなってしまう。

 

ストレートに伝えられたものだけを受け取っていたら

そうじゃないものに出会った時

受け取ることを拒否することでしか

そのことと向き合えなくなってしまう。

 

 

私は、そうはなりたくないんだよなって

いつも思う。

 

 

わかりやすいっていうのは

ひとつの優しさの結果かもしれないけど

与えられたものの中でしか動けなくなる

窮屈で退屈なものにもなる。

 

 

やわらかく、柔軟に、しなやかに生きていたいから

ちょっと複雑で難しくて

すぐには答えが出ないような

そういうものを大切にしていきたい。

 

解を探すな、問いを持て

と、尊敬する人が言っていたような

そんな生き方をしたい。

 

 

 

 

過去を振り返った時、

今思えば申し訳なかったなと思うこともある反面で

今思っても納得いかんことも結構あって、

 

そういうのを考えてたら生まれてくるモヤモヤを

一つ一つ解消してくれるのが

その時とは全然関係ない場所で

関係ない人とやりとりをしてる

その中の言葉だったり行動だったりする。

 

 

あの時のあれは、ああいうことだったのかって

自分なりの答えを見つけられた時、

ごめんなさいと感謝の気持ちを持ちつつも

これだけ時間をかけなきゃ分からなかったことに

ぶつかってた自分、そりゃあーなるよなって

変なとこで納得したりもする。

 

 

 

何かに反抗したり抵抗したり

そういう時期の自分ってすごい汚くて嫉妬に塗れてて

ダサかったなって思う時もあるけど

でもなんか、そういう時のことを、

ずっと忘れたくないなって、忘れないぞ、

って思いながら生きてるなーって

みんなと話しながら

そういうことを考えていた

 

 

 

 

また会いたいな☺︎

 

言葉のしおり

すんごく嬉しい言葉をもらったから記録。☺︎

 

「想いが溢れる」ってよく言ってたように、高い感受性と、それに負けずに文章にしている姿は尊敬しかない。本当にすごいと思いました。最初に話したときは考え方が似ているなって思ったのだけど、ブログを読むうちに全然違う考え方だと気がついてより知りたくて読むようになったよ

たぶん自分は病気以外にそこそこ経験したり本を読んだ末に読んだり書いたりできなくなってしまったのだと思う。

周りの多くの人も日々をやりすごして書き留めることはすくないんじゃないかな。だから誰かの想いや助けてほしい声に気がつけなかったり、自分の感性が鈍ったり。
そんな中でちゃんとかけるのはまっとうなことだと思います!大袈裟じゃなく!この時代でまともにいられることだと思います。尊敬する社会学者も述べていますが、それはすごいことです。尊敬👏。元気になったら読みます。それまで無理がなかったら続けていてほしいです。

 

卒論終わったかな??
寝れなくてはーちゃんのブログ読みあさって。そしたらLINEしたくなって、、卒業するまでに会える日あるかな

 

 

こんなにひっそりと続けているブログを

読んでくれてる人がいて

私のブログで元気になってくれる人がいるなんて

とってもとっても、言葉にできないくらい嬉しい。

 

 

 

 

孤独と向き合っている人の表現がすきだ。

孤独と向き合っている人の心に、触れていたいと思う。

 

 

それは、自分の孤独を殺してくれるから。

 

 

だから、孤独は時に辛いけど

自分にとってのそういう時間が

そういう日々の中にいるかも知れない

これからの自分や

光の当たらないどこかで苦しんでいる誰かのことを

照らしてくれる時が

いつか来てくれるんだとも思っている。

 

 

私は自分のペースで

コツコツ積み上げていくのは好きだけど、

マルチタスクが苦手で

一度に多くのことをすることができなくて

自分で優先順位をつけられなくて

つまり、効率が悪い。

 

 

でも、弱さってのはいいもんだよって

ドラマの中の

優しい人が言っていた。

 

弱さはつまり、同じ(または、違う)弱さを

持った人に

気付く力にもなるから。

 

 

わざわざここに書くまでもない

当たり前のようなことを言ってるかも知れないけど

日常の節々でそれを感じるから、

この感覚を忘れていたくないのだ。

 

 

自分にとって強みの部分が通じない相手と出会った時、

その人にレッテルを貼ったり

ラベリングしたりするんじゃなくて

 

おや?と一瞬考える時間があるだけで

それは弱さと強さを繋いでくれるものになるかも

しれないと、私はそう信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の心が動かなくなって、

なんにも書けなくなる時がある。

 

そんな時は、新しい音楽を聴いたり、

本屋に行ったりする。

 

 

読みたい文章を書けばいいんだよと言われても

なんにも書けなくなる時期がやってくるんだよ

 

 

でも、そんな時にこそ、

「こんな文章を書きたい」と思える文章に

出会えるのは嬉しいことで、

その度に、人の心を救うのは、

芸術や文学なんだなと思う。

 

 

 

いつか、私が書く文章も、誰かの心を

ホッとさせられるようなものになれたら嬉しいな

 

なーんて夢みたいなことを、思っている。

 

 

 

(と言っても、「誰かのために」が一番にくる

生き方は、もうやめた。

 

私は誰かが思う「いい人」じゃなくて

自分が思う「いい生き方」をしたい。

 

私が生きているのも何かをするのも、

今は完全に自分のためだと言い切れる。

 

だから、私が私のためにしていたことが、

結果的に誰かの背中を押すことに繋がれていたら、

それが一番嬉しいことなんだ。)

 

 

 

絶望の淵に立たされた時、祈りが報われなかった時、

かけてもらった言葉や気遣いがある。

 

 

日常の片隅に落ちている

ささやかな失敗や苦しい傷みを感じた時、

不思議と「あの時かけてもらった言葉」や

「あの時自分を救ってくれた言葉」を

思い出すことがある。

 

 

私は、自分の人生を振り返る時、

出来事というより、人からもらった言葉で

自分が受けた影響の振り幅の大きさで

過去を振り返ることが多い。

 

 

 

つまり、私にとって言葉とは、

人生を本だとした時の

ストーリーを思い出させてくれる栞なんだな、

 

 

嬉しい言葉をたくさんもらって

こんなことをふと思ったのでした。

 

 

言葉の栞、増えれば増えるほど

その先もっと強く生きていけるのかなって思うし

私も誰かの言葉の栞を届けられる人になりたいな🔖

 

 

 

 

 

 

***

夜なのに明るい空が撮れた

 

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心の、中心点からの絶対値

スマホを変えた。

 

6000枚近くあった写真の整理をして

必要か不必要か1枚1枚選別しようかと思ったけど、

なんだかそれは、別にいいかなと思った。

 


美味しいものを食べたり誰かと出かけたり

美しい景色に出会ったり

その度に写真を、沢山撮るほうだと思う。

 


でも、写真に残したいと思うその瞬間は

自分が心から楽しくて思いっきり笑ってる時か

悔しくてやり切れなくて

やり場のない気持ちの行き場になってくれた景色と出会えた時か

どちらにしても自分の心が揺さぶられたり

強く動かされたりした時だなって気づいた。

 


日常を

自分が見せたいように

魅せたいように

残したいように切り取った瞬間に

それは日常じゃなくなって


だから写真を撮る瞬間というのは

自分の中では色々考えた結果のものだったりもする。

 

 


4年間使ったスマホにはそれなりの景色が残っていて、

自分の心境を的確に表してくれた本の中の文章も

大好きな先生の講義で聞こえてきた文字を

拾うように聞いてとった板書も

何気なく行ったごはんの後に食べたパフェも

 

こんな自分を励まそうと

画面いっぱいの長文を送ってくれたそのスクショも

 

爆笑しとるとこ撮りたくて

何テイクも撮るの付き合ってくれたツーショットも

 

初めてのドライブで連れて行ってもらえた夜の海も

まっすぐな地平線と真夏の夕焼けも

歩道橋の上から一緒に見た寒空の下のストロベリームーンも

 


写真を振り返なければ

思い出すことなくうっかり忘れてしまうところ

だった瞬間が沢山あった。

 


あの時には

もらう言葉全てがキラキラで

lineの通知が来るたびに心踊った

自分にとってあんなに特別で大事だった人も

 


過ぎてしまえばこんなにあっさりと忘れてしまうんだと

人間の脳が単純なのか

自分の性格が淡白なのか分かんないけど

いろんな日々を乗り越えて

4年前には全く想像してなかった今を生きている自分に

自分で少し驚いている。

 

 


何かを言われて

何かが起こる度に頭をフルに使って

その度にいっぱい落ち込んでいっぱい嬉しくなって

昔はこんな性格がすごく嫌だったけど

 


これからの人生も、こうだといいなと

今ならそう思う。

 


自分1人だと何も動かない心も

誰かが交われば想定外の化学反応が起こって

自分の中の予定調和が壊されていく。

 

 


私の大好きなタレントさん、滝沢カレンが言っていた。

 

楽しさ、嬉しさ、辛さ、苦さ、優しさ、

全部のことを味あわせてくれるのが恋愛だ、って。

 


確かにそうだ。

 


こんなに自分のタイプに合った人は

他にいないんじゃないかと思ってた人のこと

好きと言われて初めて

自分は恋愛として好きなわけじゃなかったんだと

気づいたこともあった。

 


人として好きと思ってた部分も

向こうが恋愛感情を抱いていたから成り立っていた

関係性だったのかもしれないと思い始めたら

なんだか何を信じたらいいのか分かんなくなって

自分の中の判断材料がなくなって

頭が混乱して


想ってくれる誰かがいることは幸せなことで

恐れ多いとも思ってるくせに

その裏でこんなことを考えている、

私はそういう人間です。

 


泣いてるのは君のせいじゃないからと言われたって

その涙を作ったのは自分なんだと思っちゃうのさ

二つはほぼ同義なんだよ

 

 


噛み合っていないとこも愛しあえれば

分かり合えないとこも笑い合えれば

こんなに素晴らしいことはないよなぁって

そんな変化をもたらしてくれる誰かと出会えて

関係を続けていけますように。

 


嫉妬はダサいことだと思ってたけど

いっぱい嫉妬する人生もいいかなって

今ならそう思っていたりもする。

 

 


全てを言葉で説明しようとすること

すべての物事に意味を見出そうとすること

そんな貧しいことはやめよう。

 


言葉にできない感情も大切にしていこう。

理性じゃ抑えられない感情もちゃんと大切にしよう。

 

 


なんだか今は、そういう気持ち。

 

 

 

***

 

 

 

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はるいろ

 

 

恥ずかしいから小説風に。

こんなに大好きだと思える人にはもうきっと出会えない

と思うくらい、大好きだった。

 

 

でも、関係が終わった後、いろんなことがあって、

本当の意味で新しい一歩を踏み出し始めたから

やっっと公開する。

(名前のとこだけちょっとフィクション。)

 

 

 

 

*****

 

 

笑うと、くしゃっとなる笑顔が大好きだった。

怒りも悲しみも、最後には笑いに変えてくれた。

 

 

いつも一生懸命話を聞いてくれて

どんな感情も受け止めてくれた。

 

 

涙が溢れて止まらない時は

だまってそばにいてくれた。

 

 

心が傷ついた時は、私の代わりに怒ってくれた。

 

 

 

 

 

 


風になびいた髪の毛が、さらさら揺れる。

曇天続きの空模様。

君と出会ったのは、ある春の日のことだった。

 

 

 

 

 「ナツ。良い名前だな!」

 

決して綺麗とは言えない字でプリントに書かれた

私の名前。

 

初めて会ったとは思えないくらい親しげな笑顔で、

君はそう言った。

 

 

「ナツって呼んでもいい?」

 

 

自分が人見知りだからか、

こっちのペースを気にせずに

初対面でグイグイ来る人は苦手だ。

 

 

どうせこの人も、自分を飾る存在として

人間関係を築きたいだけ。

 

過去の経験から、そんな諦観を持ちながら

目の前の男の人を眺めている自分がいた。

 

 

 

「ありがと。夏生まれだから。単純でしょ?」

 

 

夏は苦手だ。

キラキラな世界は、私には眩しすぎて

直視できない。

 

 

心の中ではそう思いながらも

バレないように

笑顔を向けた。

 

 

「単純!

 でもその名前、ナツの雰囲気にほんと合ってる!」

 

 

 雰囲気…?

 


 「思ってること、言えないでいるんでしょ。

 でも、その"言えない部分"が、

 黒いものじゃないってことがわかる。

 

 

 腹黒さとか嫉妬とか

 そんなものを抱えてるんじゃなくて、

 "言わないでいること"が、ナツの心の中の

  優しさと悲しさを表してる。」

 

 

 

そんなことを言われたのは、初めてだった。

 

ドキッとした。

 

 と同時に、ムッとした。


初対面で、なにを根拠に、

そんな分かったようなこと言ってるんだ。

 


 

 「名前、なんて言うの。」


これ以上自分のことを触れられませんように。

心の中でそう願いながら、質問してみた。

 

 

 「サク。」

 

「ふーん。かわいい名前…」

 

「ほんとは咲也。サクでいいよ」

 

「サク。」

 

「なに」

 

「呼んでみただけ。良い名前!」

 

「思ってないって、顔に書いてあるよ。」

 


サクは笑いながらそう言った。

 

会話のリズムが、心地よかった。

 

 

人と一緒に居るのは、そんなに好きじゃない。

いろいろ感じてしまうから。

 

でも、サクは違った。

 

 

周りに何も纏っていない

自然で飾り気のない純真なオーラ。

 

 

サクの口から出てくるのはいつも

身体の中心から出てきてストン、と耳に入ってくる

真っ直ぐな言葉だった。

 

 

他の何も寄せ付けない。

サクだけの言葉。

 

 

 

サクは私と違って、

自分をよく見せようとはしなかった。

 

自分の欲に素直で、正直者で、やさしかった。

 

嘘でコーティングしたバウムクーヘンが私だとすると、

ほんのり甘いマスクの下に本当に大切な何かを

隠し持ってるシュークリームがサク。

 

剥けば剥くほど何もなくなっていく自分とは、

反対の生き物。

 

 


 

サクはよく、私の頭を撫でながら

「ナツの髪、さらさら。」

そう言って笑った。

 

 

「男の人は、ショートとロング、どっちが好きなの?」

 

私がそう聞くと、

 

「俺はショートより、ロングのほうが好きだなぁ。」 

 

「ナツに似合ってるから。」

 

 私の目をじっと見つめて、そう答えた。

 

恥ずかしくてその目を見返すことは

できなかったけれど、

とても澄んだその瞳に、出来るだけ長く

自分のことが映っていればいいな、そう思った。

 

 

 

サクはいつも、愛情を素直に言葉にしてくれた。

 

きっとそうやって、沢山の愛に囲まれて

育てられてきたんだね。

 


自分も愛を伝えたいと思いながらも

私のほうは、いつまで経っても甘えるのが苦手だった。

 

どうやって甘えたらいいのか、分からなかった。

 

 

自分の弱いところを見せて

それでも好きでいてもらえる自信もなかった。

 

 

 だから…

 

 「サクちゃん。」

 

私がそう呼ぶと、サクは必ず来てくれた。

 

 

言いたいこと言えないこと、

伝えたいこと知られたくないこと。

 

すべてがごちゃごちゃになって

頭の中がぐるぐるして

とりあえずぎゅってしてほしい時、

私は必ず「サクちゃん」と呼んだ。

 


いろんな言葉と、顔と、思いがこんがらがって

言葉じゃ説明できなくて。

 


そんな感情を、まるっと抱え込むように

サクはよく私を抱き寄せた。

 

 

 

 

帰り道は、いつも家の近くまで送ってくれた。

 

「女の子に優しくするのは恥ずかしいから」

 

そう言って、わざといつもおどけて見せた。

 

笑い方もカッコつけ方も何一つ変わらないまま、

月日が経った。

 

 

 

 

「ナツはいつも、目の前にはないものを考えてる」

 


愛とか欲とか思いとか

夢とか理想とか正義とか

形のないものについて何日も思考を巡らせてる私に

サクはよくそう言った。

 

 

目の前にあるから、愛について考えてたんだよ。

 

 

そう思いながらも、そんなことは恥ずかしくて

なかなか言葉にできなかった。

 

 

多分、きっと、サクが思ってるよりずっと

私はサクのことが好きだったんだ。

 

 

 

言葉で埋めようとしなくてもいい関係に

気づけば私のほうがハマっていった。

 

 

 

言葉にされない思いを汲み取ることのできる、

本当は誰よりも脆くて繊細で透明な心を持っていたサク。

 

 

いつしかその心は、私とは違う方を向くようになった。

 


ねぇサクちゃん。

今何してるの。

どこにいるの。


今日は何食べた?

明日はどこか出かけようよ。

 


そんな言葉を発することすら、憚られた。

 

 

サクは優しいから。

私のことを傷つけないように、けれど確実に、

私から離れていった。

 


サクの目に自分が映っていないことを、

私はちゃんと分かっていたんだ。

 

 

自分のことを話さなくなった時、人はその心に

どこか警戒心や嫌悪感を隠し持っている。

 


恐らくもう、私のことなんて好きじゃなくなって

新しい、綺麗な女の人を追いかけ始めていた君を

なんとか引き留めようと、必死だった。

 


「ごめん。終わらせよう。

 

 ナツはもう、俺の好きなナツじゃない。」

 

 


同じ季節がもう一度回ってきて

年の瀬にかかった初雪が舞う頃、

サクは静かにそう言った。

 

 

やっと言ってくれたその言葉に

心はぱりんと砕けながらも

やっと終わるんだ、と

どこか救われる思いがした。

 

 

何が変わってしまったんだろう。

私の何が、サクを苦しめていたんだろう。

 

 

 

サクに触れてほしくて一生懸命のばした髪の毛が

急に虚しく馬鹿馬鹿しく思えた。

 

 

大好きでいることが、

相手の心を苦しめてしまうなんて。

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、今年が終わる。

 

 

去年の冬、年が変わる瞬間に

優しい声で名前を呼んでくれたサクは、もういない。


サク、ごめんね。

 

今はまだ、キラキラな思い出を

手放すことはできなくて。

 

 

いつも送ってくれた分かれ道を通る度に、

胸がきゅっとなる。

 

髪の毛が風になびく度に、

サクのことを思い出す。

 

 


新しい道を歩き始めた2人の思いが

それぞれの心の中で

宝の屑みたいに輝けるようになったら、

ちゃんと前を向いて生きていくから。

 

 


それまでもう少し、あなたへの思いに浸らせてね。

 

 


恥ずかしそうな顔を隠すように撫でてくれた

この髪とあなたのやさしい声を想いながら

君と出会った、季節を待つ。

 

 

 

 

 

Fin.

 

今年の漢字

餅つきや墓掃除やらなんやらしてたら

いつの間にか年を越してしまった。

 

 

今年の漢字と題して

 去年にとっての今年の漢字を書いてる私は

 2020年も自分のペースで歩んでいこうと

 とろくてとろいこの性格を

 びっくりするくらい前向きに捉えております、。)

 

 

 

我が家では大晦日の夜に

1人ずつ、今年の漢字を発表する。

 

(まぁ、一昨年から始まったんだけど。笑)

 

 

 

じいちゃん 幸

ばあちゃん 快

父さん わすれた

母さん 楽

兄ちゃん 土

義姉 悩

姉 変

自分 貫

 

 

数年前に片足を切断して

車椅子生活になったじいちゃん。

 

家のこと全部しながら

じいちゃんの介護をするばあちゃん。

 

 

自分の足で歩けない、

思うように動けないストレスと

見ているこちらが泣きたくなるほどの痛みを

伴ってやってくる幻肢痛

毎日耐えながら生きるじいちゃんが

『幸』と言うとは予想もしてなかった。

 

 

今年89歳になるじいちゃん。

周りの同級生はどんどん亡くなっていき、

小学校の同級生はあと1人しかいないんだって。

 

そんな中で、片足はないけど

自分で自分のことを考えて

意思を持って人に思いを伝えることができる

 

そんな自分は幸せなんだと

じいちゃんはそう話してくれた。

 

 

 

いつもじいちゃんの怒りとストレスの矛先

自分も足腰悪くて入院と通院繰り返しとるのに

弱音なんて一切吐かずに全てをこなすばあちゃん。

 

そんなばあちゃんが『快』を今年の漢字に選ぶなんて。

 

 

年末に入院しかけたじいちゃんの不調が

快復したことを理由に挙げとって、

どこまでもじいちゃん思いなばあちゃんに、

言葉だけ、偽善、なんかじゃない

「人に尽くす」ということについて考えさせられた。

 

 

ちなみに一昨年の漢字は、

じいちゃんもばあちゃんも『謝』だった。

(2人とも合わせたわけじゃないのに合っとってすごい、)

 

車椅子でお店に行った時、こちらが何も言わなくても

店員さんもお客さんも気を配って

席を譲ってくれたエピソードを

じいちゃんが泣きながら話してくれた時、

涙が止まらなかった。

 

 

ほんの小さな思いやりが、その人にとっては

涙が出るくらいの手助けになることもあるんだって思って、

それから街で人を見る時の見方も変わった。

 

(目に見えて分かるものはいいけど、

 そうじゃないものの時はなかなか難しいなって

 思ったり。)

 

 

 

逃げられなくて時に厄介、

昔の自分を知られているからこそ

成長の過程を見られているのは小恥ずかしくて

だけど会えば元気を貰えて

みんなの幸せを心から祝福し合える

 

 

それが私にとっての家族。

 

 

 

(変わらない関係性に安心しながらも

取り巻く環境の変化に心が追いつかない時もある。

 

 

 

兄ちゃんが結婚して

従姉妹がお母さんになった。

変わっていく家族の形を受け入れていくのは

自分が思っていた以上に難しいんだな。)

 

 

 

 

 

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ちょっと前に鬼リピした曲。

大好きな曲が増えていくのは嬉しいな。

 

 

 

自分のペースでまっすぐに。

夢と理想を持ったまま

今年も駆け抜けるぞ、

 

本年もよろしくお願いいたします。☺︎