はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

命の会話の場所

2020.2.29

宮城3日目。

 

石巻ニューゼ

壁新聞の見学

 

 

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元々地震が多い地域

揺れが長かった

3分間ずっと揺れていた

防災無線大津波警報気象庁発表

 

 

生きてる人で、命に関わるくらいの大きさの津波

体験した人がいなかった

ほんとに津波くるのかな

逃げた人と逃げなかった人に分かれた

 

 

地震発生、日和山に行って取材

昼間は天気良かった

気がつくと雨、みぞれ、すごい雪

下界が見えない

 

 

2500軒分の家が流れてきた

山の際まで火が燃え移る

住宅のプロパンガスが出火原因

流れた油に燃え広がる

3日間燃え盛る

3月26日に鎮火

 

 

会社の前は川のよう

輪転機の中に水が入る

こういう時こそ地域の新聞社として情報届けなきゃ

 

 

1912年創業

99年目だった

 

 

ロール紙を切断して壁新聞作成(11日の夜)

 

 

石巻市役所で一晩過ごした

被害が激しいところほど情報が入ってこない

メールでやりとり

情報はとれるだけとっとこう

凹地なので3日間くらい街は水没

 


同じ大きさで毎日4枚くらい

社長が書いたのを社員が書き写す

歩いて届けられる界隈に

 

公共施設、コンビニの前に貼り出し

 

ラジオでは細かい情報は分からない

市内の詳しい情報を届けた

読者が情報提供、アップデート

関東大震災の時のようなデマが流れないように

 

なるべく明るいニュースを

なし崩し的にあった避難所情報をまとめた

パチンコ屋さん、銀行も避難所になっていた

 

家族を探しにいく時の目安になるように

お店、道路の情報

女川の詳しい情報

 

 

元社員の家に電気が通った

家庭用のプリンタで100枚印刷

翌日から新聞発行

 

 

家に届けようにも家がない

購読者だろうと関係なく、避難所で配布

避難所がある限り続けた

機械が使えなくても情報を届けたい

これだけでも情報を届ける手段になれば

 

 

果たして役に立つのかという不安

壁新聞待っててくれてた

張り出すと人がぶわーっと集まった

石巻日日新聞という題字があるだけで、

情報を信頼して受け止めてくれる

 

信頼性のある情報源

地域の人と築いてきた繋がり

誇りと使命、信頼を裏切れない

 

誤報、思い込み×

足で稼ぎ、裏を取る

 

読者の人から教えられた

取材先の人との信頼関係を大切に

 

顔の見えない読者との信頼関係すごく大事

 

 

社員の1人は東松島の議会中に被災

海沿いの道を走っていたら津波

翌日ヘリコプターで救助、なんとか助かった

カメラのストラップをマフラー代わりにした

『後ろを振り向くと、屋根が追いかけてきた』

 

 

1960年チリ地震津波襲来、5人死亡

大きな話ではなかった

2010年再びチリで地震津波はこなかった

 

石巻には津波こないっていう変な安心感と思い込み

一回逃げても戻った人いた

地震発生から津波襲来まで1時間くらいあった

 

高台まで行こうと思えばすぐ行ける距離

忘れ物、片付け

 

 

石巻市だけで4000人死亡

「死者」か「犠牲」か

正確かもしれないが、記事の中では使わないと決めた

その地域に住み、同じ空気を吸いながら生きている

 

 

***

三陸さんさん商店街で食事。

 

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津波が生んだ絆

 

 

***
気仙沼向洋高校見学

 

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全員無事だった


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生徒さんが使っていた教材がそのまま残っている


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より高いところへ避難するため

屋上に机を持って行った

 

 

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津波によって向かいの工場の建物が

正面衝突でなくここにぶつかったことで難を逃れた

 

 

 

命の大切さを知るには、あまりにも大きすぎる代償だった

 

 

家族を見つけた場所は嵩上げ工事に。

命の会話の場所だった

 

 

生きることのほうが辛い

それでも生きていくしかない

 

 

 

***

 

2年前荒浜小学校を見学した時に感じていた、

自分なんかが訪れて良いところなのか…

という不安と葛藤を、今回はあまり感じていなかった。

 

こうして「慣れ」ていくのかな、と思うと、

とてもこわくなった。

 

 

 

ご遺族の方のお話を聞くことができたのが

とても貴重でありがたい経験だった。

 


震災によって言いようのない悲しみや辛さを

体験されてきた人々がいて、そして同時に、

その中で懸命に生きようとしてきた人々がいたこと。

 

 

『命を生かしたい』

『伝え続ける限り、息子の命は生きている』

 

 

その強い思いを、私は引き継いでいかなきゃいけない。

 

 

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自分1人では絶対に聞くことはできなかったであろう

お話を聞かせてくれ、人や場所と繋げてくれた

同期に感謝。

 

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学生最後の春休みに、

宮城県に来られて本当に良かった。

 

 

 

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前を向くご遺族の方の思いと笑顔

まっすぐな目線に

私のほうが勇気づけられた。

 

 

怒りや悲しみだけじゃない、

希望と強い光を感じた旅だった。