はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

この春が、何もかも、これからだった

2020.2.28

宮城2日目。

 

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女川町はとても、とても海が綺麗だった。

 

 

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女川原発の近くまで行った。

ある所まで行くと、荷物検査をしていた。

時間をかけて、丁寧に。

 

 

 

***

海に面して建物たくさん

水産業でさかんな街

原発マネーで潤っている

 

湾口2.5km→津波は2、3倍に

海を埋め立てて作った街

 

津波 土砂災害

大潮になると街全体が冠水

高台に600人避難

 

車で逃げた人は亡くなった

道を波が駆け上がる

津波で街が洗濯機のように

地震発生から30分後に津波

 

 

津波で長男を亡くした

当時25歳

上司の指示で屋上に避難した

 

 

銀行 3分あれば徒歩で避難できる

13人が屋上に

1人だけ助かる

8人は行方不明のまま

 

自ら海に飛び込んだ人もいた

生きるためにそうするしかなかった

何かにすがる思い

 

 

津波が来たら山に逃げるのが鉄則

どこの銀行も被害なし

(経験があったから)

「銀行を守る」「自分の保身」

銀行から安否連絡なし

 

ネクタイ、スーツで

「安置所はこちらです」

こちらは捜しに来ているのに

 

感じた『ズレ』

 

 

幹部は3月23日に初めて来た。

 

 



「支店長の判断はやむを得なかった」

何をもってやむを得なかった?

 


書面で死亡退職とされた

殉職じゃない

強制的に死亡退職なんて企業としてあまりに冷たすぎる

その翌日にご遺体発見の連絡、葬式

 


企業の安全管理に問題ある

調べて改善する必要がある

息子の命を生かしたい

話し合っても平行線

 

「間違いじゃなかった」

誰が決めたの?県のアドバイス

一緒に行こう、というと先回り

 

3月31日出席

しっかりと説明してくれると思っていた

平行線で大震災のせいだ、と

 

我々の考え方との食い違い

 

そこから取材対応、多くの人に知ってもらわなければ

 

コピーだけ

現物なし

「書庫の奥にしまっている」

人を守るような行動はしていない

どこの支店も地震起きて30分は逃げてない

街の人に言われてやっと避難、

 

多くの企業は参加した訓練も、銀行は参加せず

歩いて避難訓練するというのは平成18年以降していない

衛生電話のみ、そして使いこなせない

 

裁判で分かった反省のなさ

営業時間内でしか話し合いはしない

未曾有の大震災

原因を究明するには裁判しかない

大企業を相手にするには究明手段がない

裁判を起こしたくて起こす遺族はいない

断腸の思いで

すべて出廷

 

裁判のいろんな歪みもわかった

勝つんだろうな、

会社を訴えた

 

 

誇りを持って入った会社

改善してほしかった

民事裁判では証拠を出した者勝ち

民間は情報請求できず

5月に撮った写真

銀行は裁判の準備をしていたんだ、と知ってショック

銀行は何も反省していないから、教訓にならない

 

最高裁は、審議に触れるまでもなく棄却

予見可能性なし

検証が必要、論点が違う

津波裁判は今までなかった

裁判官の見立て、資質がまだまだ

「この裁判官には当たらないほうがいい」

そういう世界

 



慰霊碑には誰も来ない

慰霊碑建てるんであれば名前を入れて欲しい

名前も何もないまま建てられた

 

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企業の風土と体質

企業の名前が見えるようにしている

財産をプラスにしましょう

 

事業継続性

人命優先で助け合って継続する必要がある

身体生命の担保

誰が決めて身の安全が保たれたのか

予防責任、事前の準備

 

間違えた時は素直に、

そう言ってくれたらまだ救われたのに。

「勝手に死んだんだ、」と受け取れるような対応

 

 

企業って社会的責任を持ってるから

開けた意見が通るような民事裁判に

何が起きて今の街並みがあるのか、知ってる人は案外少ない

探し求める人もいる

 

記事にして残していくということ

放送は流れたら終わりだけど記事は残るから

人間関係をどういったふうに作っているか

きちんと丁寧に

1円でも100万円でも1億でも、お客さんは同じ

 


命を伝えることが、これからの人の命を守ることに繋がる

車で50分かけてここに来ている

ここに来れば息子に会えるんじゃないか

この風景も磯の匂いも、息子はかいでたんだろう

 

女川って穏やかで人も良くてすごくいい街

息子にとっても大切な街

かけがえのない第二の場所になった気がする

 

やんちゃ坊主だった

えらいおっちゃんになってたかなぁ

小3から大学まで野球

キャッチャー一筋

背番号2にこだわっていた

宮城大会ベスト8

 

頑張ってた姿を見てるから、なんらかの形で

社会に貢献する大人になると思っていた

将来が楽しみだった

 

そのまま東京で就職、という思いもあったのかな

 

地元の役に立ってほしいという思いを汲み取って

第一志望、念願の銀行、親孝行のつもりで選んだ企業

もっと自由にさせてあげればよかったかなぁ

 


すごく誇れる息子だった

裸参り

新人のお仕事も張り切ってやっていた

もっともっとこれからも息子の成長を見られると思っていた

 

娘さんのお誕生日にフレンチ

最後の家族写真

成長するとなかなか家族写真撮らない

 

息子との最後は3月5日

ワイシャツの洗濯

日曜日の夕方、サザエさん見ながら食事

またもう一週間がんばってね、

窓を開けて手を振ったのが最後

 

 

震災の2日前に宮城で大津波注意報が出た

大丈夫?のメール

電話がきて、普段通りの職場で特段変わった様子もなかった

 

あの時もっと避難について言っていれば違っていたのかも

今になってそう思う

自分自身の反省

 


当日メールも着信履歴もなし

家族を気遣う余裕もなかった

震災の半年後に発見

銀行員らしい人が発見されました

 

息子じゃないよね

 

息子とは対面できなかった

着ていた物が並べられていて、あ、息子のだ。

 

頭が混乱していて、

DNA鑑定お願いします

オーダーメイドで作ったスーツの製造番号と文字が決め手

 

 

沢山の人が行方不明のままのなか

振り絞って帰ってきてくれた

 

おかえり

 

どんな姿になっても、手を握ってあげれば良かった

これが最後だなんて思っていなかった、

息子に何をしてあげればいいんだろう

 

こういうふうに伝えていくことだ、

かけがえのない息子、

 


どんな防災体制なのか

せめてこの地域がどうなのか、

その都度「想定外」だとみんな亡くなってしまう

常日頃の意識ってすごく大事だよ

 


入りたくて入った会社

夢もいっぱいあった

将来を約束した彼女もいた

昇格試験にも合格していた

 

この春が、なにもかも、これからだった

 

 

本人がどれほど無念だったか

助かるはずの命が助からないのは、二度とあってはならない

トップに立つ人たちが、どんな意識で、

こういうことがあったことを知ってほしい

 


社会に教訓を生かしてもらいたい

 


なんで我々に降りかかってきたんだろう

いろんな思いと反省

 

 

2011年、ニュージーランド地震

人ごとのように見ていた

その一ヶ月後に自分たちがこうなるとは。

風化させないように伝えている

遺族とのかかわり

慰霊

亡くなられた方に向き合う

 


自分たちの行動が恥ずかしい、と思った

日常で「かわいそうだね」という会話

どこかひとごと

 


災害だけでなく、事故も同じ

 

 

 

御巣鷹に生きる』

 


書いてある思いは同じ

+大企業の心を動かしたい

 


手紙を書いた

記者に頼んで

5年続けて登っている

始めたけど、始めてないような感覚

勇気づけられた

間違ってないんだ

 


お互いの慰霊の日に合わせて

同じ思いで輪を作って活動していく

命を守る体制

 

 

残念ながら、遺族が声をあげていかなければ変わらない

繋がりを深めていく広げていく

我々だけがやっても無理なこと

みんなで力を合わせていくこと

遺族にならないように

 


目と目が合って、思いがあれば

辛い思いを聞いてもらうのは構わない

真剣に向き合えば、こわいものじゃないよ

真剣な思いがあれば、発信してほしい

 

 


個人的な立場として連絡がくる

 

 

 

遺族がずっと声をあげてきたけど20年かかった

バトンを託しながら

 

 

 

災害のせいではない

企業のいろんな欠陥が重なってしまった結果

原因は震災だったけど

企業のあり方

組織のむき方

 


会社は目標を与えないから

自分で設定する

夢も楽しみも自分で見つける

 


負の財産をプラスにする

それをやれないから繰り返してしまう

会社を守るのに必死

 


遺族が伝えることで

いつか分かってくれる日が来るかもしれない

 


息子の人生の続きはお父さんがやるんだ

 

 

 

 

 

笑顔で語れるその強さの裏側には

どれほどの涙と噛み締めた思いがあっただろう

 

この経験と思いを

絶対に絶対に無駄にしてはいけない

 

 

***
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いしのまき元気いちばで食事。


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市場からまっすぐ女川駅が見えるように作られた

 

 

***

 

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大川小学校見学。

74名の児童、10名の先生が犠牲となった。

 

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地面には建物の破片が沢山残っている


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卒業制作で作られた壁の一部

 

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少し土を除ければ、お茶碗の破片等も出てくる


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津波で押しやられた渡り廊下

 

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この山を登って


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登って


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この高台に避難すれば無事だった

 

 

 

児童たちが避難したのは川のほう

海からも川からも津波がやってきた

 

 

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津波はここまで来た


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児童たちが逃げた通路の幅(当時は塀と塀の間)

 

 

津波でたまたま山の方に流されて

唯一生き残った先生は、PTSDを発症

ショックで話せない状況

 

 

地震発生から津波襲来まで51分

裏山へは低学年でも5分あれば避難できた

 

 

***

松島を観光して、2日目おわり。

 

 

遺族の方のお話で印象的だったのは、

救えたはずの命が救われなかったこと

そして幼稚園、学校、企業側の誠意なき対応

 

 

素直に認められ謝罪があれば、裁判など起こさない

 

次に繋げなければ教訓にならないのに

まるでなかったことかのような対応されたこと

 

その悔しさと怒りが

遺族を動かしているように感じた。

 

 

 

 

 

3日目↓

命の会話の場所 - はるちんのひとりごと。