はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

わかりやすさの裏側で

1年以上ぶり(?)に、懐かしいメンバーで揃って

ご飯を食べた。

 

久しぶりだったはずなのに、全然久しぶり感がなかった。

 

(結構会っとるのに久しぶり感強い人と

 全然会ってないのに久しぶり感ない人の違いって

 なんなんだろ…)

 

 

チーズタッカルビを作って食べた。

初めての経験だった。☺︎

 

 

何かに縛られてた人がそれから解放されて

スカッと笑ってるの見ると

なんだかすごく幸せな気分になった。

 

 

みんなおんなじように見えてきっと全然違う道を

辿ってきた

でも、いろんな柵から解かれて今にいることは

みんな同じような気がした。

 

 

「その人に問うてみたいことがある」というのは

「誰でも」じゃない、

「その人」に会いに行く原動力になる。

 

その人にしかない答えを

「あなたに聞いてみたくて」と言われるのは

すごく嬉しいこと。

 

「会いたい人になる」って

すごく大切なことなのかも。

 

 

 

お互いの第一印象を振り返った。

第一印象と今の印象の違いが一番大きい人を聞いた時、

3人が3人、私だと言った。

 

 

「こんなに明るい人だと思わんかった」

 

「何か抱えとるけど、その闇を自分からは

 絶対話さん人だと思った」

 

いつも笑顔でいなきゃって思ってたけど

笑顔でいたところで

内側にあるものって

結構人に伝わってるんだな。

 

頑張るところが違ってたな、って

あの時をちょっと振り返ってみたりした。

 

 

でも、あの時の自分なりに一生懸命生きてた結果だから

あの時の自分を否定することはしたくない。

 

 

今ならもっと、自由に楽に生きられるなって

そう思えてたらいいかなって思ってる。

 

 


わかりやすさの話とか

言葉にできてしまうことの絶望とか

触れてしまったらそれ以上触れられないこととか

フィクションだからこそ本音が書けることとか

 

普段自分が考えてることが人の口から流れてきて

普段人と話さないような内容だからこそ

あー自分が感じてたことは全然間違ってなんかなかったんだな、と思った。

 

 

わかりやすいものばかりに触れていたら、

自分の頭で考えることがなくなってしまう。

 

ストレートに伝えられたものだけを受け取っていたら

そうじゃないものに出会った時

受け取ることを拒否することでしか

そのことと向き合えなくなってしまう。

 

 

私は、そうはなりたくないんだよなって

いつも思う。

 

 

わかりやすいっていうのは

ひとつの優しさの結果かもしれないけど

与えられたものの中でしか動けなくなる

窮屈で退屈なものにもなる。

 

 

やわらかく、柔軟に、しなやかに生きていたいから

ちょっと複雑で難しくて

すぐには答えが出ないような

そういうものを大切にしていきたい。

 

解を探すな、問いを持て

と、尊敬する人が言っていたような

そんな生き方をしたい。

 

 

 

 

過去を振り返った時、

今思えば申し訳なかったなと思うこともある反面で

今思っても納得いかんことも結構あって、

 

そういうのを考えてたら生まれてくるモヤモヤを

一つ一つ解消してくれるのが

その時とは全然関係ない場所で

関係ない人とやりとりをしてる

その中の言葉だったり行動だったりする。

 

 

あの時のあれは、ああいうことだったのかって

自分なりの答えを見つけられた時、

ごめんなさいと感謝の気持ちを持ちつつも

これだけ時間をかけなきゃ分からなかったことに

ぶつかってた自分、そりゃあーなるよなって

変なとこで納得したりもする。

 

 

 

何かに反抗したり抵抗したり

そういう時期の自分ってすごい汚くて嫉妬に塗れてて

ダサかったなって思う時もあるけど

でもなんか、そういう時のことを、

ずっと忘れたくないなって、忘れないぞ、

って思いながら生きてるなーって

みんなと話しながら

そういうことを考えていた

 

 

 

 

また会いたいな☺︎