はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

暮らしを生きる

1ヶ月とちょっと前、3歳の時から一緒の

幼馴染みとともに

4年ぶりに中学時代の先生と再会した。

 

キラキラと瞳を輝かせながら話を聞いてくれる先生も

隣にいて爆笑し合える親友もあの時のままで、

昔の話をするのは少し切なくて

でも懐かしさに思わず顔がほころんで

あっという間の時間だった。

 

 

学校という空間はあまり好きじゃなくて

服装も時間割りも授業の進み方も全て決まっていて

吸うものじゃなくて読むものとして在る空気に

息苦しさを感じながら

好き嫌いも感性も「合わせること」が全てだった

あの空間で、同じ日々の繰り返しに

窮屈さを感じていた中学校時代。

 

 

でも、その先生が転勤してきた日、

神が舞い降りたかと思うくらい

目の前がぱっと明るくなった。

 

その先生との出会いが衝撃的で

卒業式の日に号泣したのは

あの先生とのお別れがとても寂しかったから。

 

 

「ロボットみたい」と陰で言われるくらい、

私は笑わない生徒だった。

 

もうちょっとうまく人との関係を築けたらな…

とは自分でも思っていたけれど、

作り笑いをしてそういう人間になることは

 

媚びへつらって駆け引きみたいに作られていく関係性や

周りに引き連れている友人の数でカーストが決まる

あの空気を自分で認めて

それはつまり自分の中で「負け」を意味していると

信じ込んでいて、できなかった。

 

 

でも、そんな自分にも

心を開いて関係を築いてくれる友人はいて

好意を持ってくれる人もいた。

 

 

今思えば、そういう人たちとの時間のおかげで

楽しいことも沢山あった。

 

 

そして今回再会した先生も、

間違いなく私の人生にとって光のような存在だった。

 

 

 

私が褒められることと言えばテストの点数くらいで

みんなには「控えめな性格」と思われていたからか、

「クラスみんなの長所を書きましょう」の

地獄のような時間では

「真面目」、「優しい」、「勉強熱心」の3つが

私の欄を圧倒的に埋めていた。

 

(本当に真面目な人からすると、「真面目」は

 褒め言葉なんかじゃないよね、笑)

 

 

「みんなからすると、私ってそういう

 イメージなんだな…」と思うと、

これまで以上にそういう自分であろうとする

自分がいて、自分で自分の首を絞めていた。

 

 

でも、その先生だけは、私の学力でも見かけでもなくて

感性とか心の内面を見て褒めてくれた。

 

 

自分が思っていることを、

初めて素直に伝えられた大人だった。

 

 

 

***

 

前シーズンのドラマ、『監察医 朝顔』を見て

感じたことがある。

 

 

それは、「日常を丁寧に生きる」ということ。

 

 

例えば朝食を食べる時にパンにつけるものが

マーガリンしかなくて

どうしてもジャムをつけたかったつぐみがぐずついて

そんなつぐみをお母さんが抱っこして冷蔵庫の前まで連れて行って

つぐみを説得させるシーンとか

 


保育園で友達と喧嘩して拗ねて帰ってきたつぐみが

お家に着いてもぐずついて

「このままじゃお母さん、ご飯も作れないし

 仕事にも行けないよ」と言ったら

つぐみがお母さんをぎゅっとしながら

「それでいい」って呟くシーンとか

 


法医学者として事件を解決したり

震災で不明になった母親との別れを乗り越えたりする

このドラマの主軸とは別に

 


絶対に必要なシーンなわけでもないんだけど

そういうシーンをすごく丁寧に描いてて

それが「日常」であり「暮らし」であり

「丁寧に生きる」ということなのかな、と思った。

 

 

 

 

そして、久しぶりに再会したその先生は、私にとって

自分の「日常」や「暮らし」を

生きさせてくれた人だったのかな…と思った。

 

 

自分の心が揺れ動く瞬間とか、

それは愛とか喜びとか綺麗な感情だけじゃなくて

嫉妬とか憎悪とか悩みとか

そういう感情が生まれる瞬間さえも認めてくれるような

そんな先生だった。

 

 

 

たった1人だとしても、

子ども時代にそういう大人に出会えることって

すごく大きなことなんだろうな。

 

 

 

私もそんな、大人になりたいなぁ。