はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

盲目的に、愛していた日々

もっとほかに書くことあるだろう、と自分でも思うけど

久しぶりに感情が湧いてきて涙がぽとりと落ちたから

今日はこのテーマで書こう。

 

 

どれだけ凄いことをしている人でも

人への敬意を欠いた途端に協力者はぐっと減るんだなと

改めて思ったこととか

 

負けず嫌いな性格で、悔しさを感じる瞬間が

私の日常には沢山あって、

日常の所作すべてに自分の中の

「○○であるべき、△△よりは○○のほうが良い」

みたいな考え方がへばりついてきて

 

思い描く理想とはかけ離れた未熟な自分を

突きつけられる度に物凄く凹むのだけど、

 

ある人との会話の中で、でもそれって見方を変えたら

心のどこかで「できる」って信じてるから

悔しいと感じるのであって、それは誰よりも

自分の力を信じてるってことなのかな…

と思ったこととか

 

内定式を控えて、改めて決意表明というか

自分がその道に進もうと思ったきっかけを

見つめ直す機会があったこととか

 

初めて父さんにちゃんとした料理を振る舞ったら

感動して泣いてくれてでもそれを隠すために

すごい無口になっててすごい気まずくて

こんなことならいっそのこと飛び切り美味しくて

もうちょっと凝った完璧な料理を

練習しとけば良かったなと思ったこととか

 

 

ブログに書き残しとこうかな、

書き残しときたいな、と思うことが

本当はいっぱいある。

 

 

でも、以前よりも心がぶわーっと

揺さぶられることが減ってきて

 

それは自分という人間・軸がある程度形成されて

きたからなのだと思うけど

 

でもなんだかいろんな言葉が響きづらくなって

新しい映像が脳を塗り替えていく瞬間がぐっと減った

そんな自分に自分で寂しくなったりもして

 

書いては消し書いては消し、を繰り返してたら

あっという間に9月が終わろうとしている…。

 

 

私が過去のことを書くのは、

自分がどれだけ辛いことを経験してきたか

ということを伝えたいからではなくて

 

どれだけ今が楽しくて充実してても

そこからは切り離せない過去の経験が繋がっていて

そこを含めて話さないと

本当の自分ではないどこかの誰かのストーリーに

なってしまうと思うからであって、

 

決して「辛かったね」と思ってほしいわけでも

励ましの言葉がほしいわけでもないから、

逐一過去の話を出してしまう私を許してほしいな、

と思いながらこの文章を書いている。

 

 

 

ここから本題。

 

 

高校の時、それだけが唯一

毎日の楽しみだったものがあった。

 

それしてる時間だけは

劣等感だらけの自分のことも

いつどこで何してても脳内を支配していた勉強のことも

自分が自分じゃなくなるくらい憎しみを抱かせた

あの人のあの言葉も

何もかも全てを忘れて笑うことができた。

 

 

今思うと、現実から逃避させてくれるという要素が

私をますますそれに愛情を注がせていたのだとも思う。

 

 

言葉の通り、それは間違いなく私にとっての

生きがいだったし、

その存在がなければ私の心が癒やされる場所は

他にどこにもないくらい

私はそれにどっぷりとハマっていた。

 

 

 

今日、ふとその感覚を味わうことがあった。

 

そして、濃密な大学生活を過ごしている今、

もう忘れかけていたけれど自分にも

そんな期間があったのだと思い出された時、

 

というより、あんなにしんどかったことを

忘れられるくらいの日常を過ごせている幸せに

涙が溢れ視界がぼやけた。

 


高校の時は、それを盲目的に熱狂的に愛していて

今思えば狂乱状態だった。

 

自分でも「狂ってるな」と思うくらい、

優しさとかあったかい気持ちになれたのは

それをしてる時だけだった。

 

自分の中に、まだ動く感情があることを確認できたのは

それをしている時だけだったのだ。

 

 

 

でも、大学に入ってからは、好きなんだけど

高校の時よりもずっと温度感下がって

平熱(?)的にそれを見るようになった。

 

 

それは心を許せるもの、熱中できるものが

それ以外にもできた、というのもあるけれど、

 

狂うように愛していたあの感覚に再度陥ることで

あの日々のことを無意識に思い出してしまうのを

心(脳?)が勝手に避けてたんだなということに

気づいた時、また涙が溢れてきた。

 

 


過去とは残酷だ。

どんだけ克服したつもりでも

ふと思い出すと今でも自然と涙出てくるくらい

もう二度と戻りたくないと思うような日々だったから。

 

 

それを支えてくれてたんだな、

まさに日常に差す唯一の光のような存在だったな…

と思うと、ありがとうの気持ちでまた涙。

 

 

 

私にとってそれは、そういう存在だった。

 

 

好きなもの、好きだったもの、とは

決してそれ単体が

それを好きな理由として在るわけではないんだと思う。

 

 

だから本当に好きなもの、好きだったものって

キラキラな眩しさがある反面、

それを追い求めてる自分がちょっとだけ切なくて

 

それに気づかないようにまたそれを盲目的に

愛していたんだなぁ。

 

 

わかんないけど、そのことに気づいた今、

これまでよりももうちょっとだけ

自分のことを大事にできそうな気がした。

 

 

心をさらけ出してそれ一直線に突き進める何かがあることは

自分を忘れられる大切な時間を持っているということだ。

 

 

客観視ばかりして

自分の内側に完全には入り込めなくなってしまった

今の私にそのことを教えてくれたのも、

高校生の私が盲目的に愛していたそれだった。

 

 

 

 

 

好きなものとは、自分が思うよりもずっと

偉大なんだなぁ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

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ちょっと前、砂丘の日の出を見に行った。

難しいこと全部忘れて

裸足で馬の背を駆け上った。

 

オール明けで顔はテカって

ダッシュして汗もかいたけど

すごく気持ちいい朝だった。

 

 

あんなに清々しくてあんなに楽しかった朝は

初めてだったから

 

おすそわけ…☺︎