はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

夢託し

1年間休学してインターンしようか迷っていた半年前、

私の選択をすんなりと受け入れ

応援しようとしてくれた人と、

「なんでわざわざ休学?」と疑問に思う

(というより怪訝そうに聞いてくる)人とに分かれた。

 

年代が上がれば上がるほど

NPO」の名称や考え方は普及していなくて、

だっぴに入った時、宗教団体に入っているのでは

ないかと家族からは心配され、

自分の所属を説明するだけで、物凄く多くの

時間と言葉を尽くさなきゃならなかった。

(もちろん心配してくれるのはとても有り難いのだけど…)

 

 

「大学が高校化している」と言われているのを

最近本で読んで、納得した。

「大学が持つ意味」というのは

とても狭くなっているのかもしれないな、と思うから。

 

私には社会に伝えたいことが沢山あるのだけど、

その中でも最近特によく思うのは

誰もがもっと自由に夢を描いていいのだということ、

どんな選択肢も無条件に受け入れられ

応援されていいのだということだ。

 

「大卒」という肩書を得るためだけに大学がある

わけではないし、学ぶ目的や意欲なくして

ただ単位を取るためだけに通う大学生活は

なんだかすごく寂しいなぁと思う。

 

それに、大学とは学問するだけではなくて

学内外の活動を通していろんな人がいることを知り

自分の世界観が広がる、広げていく楽しさを

経験することのできる場所でもあると思う。

 

そして自分の世界を広げていったその先に

大学で学んだこととは全く関係のないフィールドに

辿り着くこともあるし、

学んだ内容が、思わぬところで自分に繋がってくる

こともあるかもしれない。

 

そういうことも含めて、自分の中の世界を

良い意味で壊してくれる、想定外で思いがけない

出来事の連続が

(しかもそれが人によってかなり変わるという)

大学生活の魅力のひとつでもあると思う。

 

 

こういうことを全部全部ひっくるめて、

私にとって大学とは

学ぶ楽しさを初めて知った場所だった。

 

自分の心を揺さぶられる学問に出会った時の衝撃は

今でも忘れられないほどのもので、

私からこの学問を除いてしまえば

学ぶ喜びや楽しさを感じることのない、

つまらない大学生活になっていただろうなと強く思う。

 

そして同時に、学ぶ喜びや楽しさに、もっと早い

段階で気づけていたら、自分に見えていた世界は

違うものになっていたかもしれないな、とも思う。

 

 

中学生の時の将来の夢は、教師になることだった。

それは「命や平和の大切さを子どもたちに伝えたい」

という思いがあったからでもあるけれど、

 

でも、それと同じくらいの熱量で

心の中にひっそりと、けれど確実にあったのは

「自分と同じように、学校の中で窮屈な思いを

している子の味方でありたい」という思いだった。

 

結局、教師よりもやりたいことを見つけたので

私は上に書いたことを実現することはできなかった。

 

 

でも、最近、自分には叶えられなかったその夢を

誰かに託すことができる喜びを感じることがあった。

 

 

高校までの私は、授業に国語があったから、

国語を勉強していた。

試験で高い点数をとることが受験につながったから、

勉強していた。

 

 

ゴールはいつも「良い成績をとること」であり

「受験に合格すること」だった。

 

 

でも、今になって思うのは、ただ知識を身につけて

学力という指標で自分を測る(測られる)ためだけに

受験という制度があるのではないということ、

テストで高い点数をとることだけに

学問の価値があるのではないということだ。

 

 

なぜそれを勉強するのか、

勉強した先に何があるのか、どうなれるのかを

イメージできる力があれば、私はもっと楽しく勉強

することができていたのかも知れない、と思う。

 

 

「ことば」とは全ての物事の基盤であり、

ことばが無ければ何かを考え創造することはできなくて

ことばが無ければ誰かに何かを伝えることもできない。

 

時代や国を越え、使えることばが増えれば増えるほど

思考は奥行きのあるものになり

より正確に自分の思いや考えを伝え

相手の言いたいことが理解できるようになる。

 

今ならそう分かるけれど、中学生の自分には

そんなことを考えようとしたことすらなかった。

 

 

だから、これから先生になる姉に

「なぜそれを勉強するのか」、

「学んだ先にどんな未来があるのか」

ということを考えるきっかけをあげられる先生に

なってほしいな、という話をした。

 

 

 

今まで、自分の行動の原動力になっていたのは

悲しみや怒りが多かった。

 

だから、同じ「夢」でも、否定形のことが多かった。

 

「自分みたいな思いをする人が生まれないように」

というように。

 

 

でも今は、自分にとって悲しかったことや

怒りの種になっていたものは、

「願い」として、未来の自分や

自分じゃない誰かにも託すことができるのだと

気づくことができた。

 

 

「私はあの時とても生きづらかったから、

 誰もが明るい未来を思い描けるようになるために、

 自分は○○をしていくぞ」

というように、物事を考えられるようになった。

 

 

人間はどうしても、叶えられなかったことや

できなかったことばかりに目を向きがちだけれど、

自分が叶えられなかったことは、

誰かの夢に託すこともできる。

 

 

就活は思っていた以上に疲れるしお金もかかるし

周りの情報に惑わされそうにもなるけれど

私は自分の願いを仕事にできるように、

忘れちゃいけない、大切にしたい思いを胸に抱え

自分のペースでしていけたらいいな、と思う。