はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

親とはね

自分の不出来が原因で、落胆している。

私にとって、親の1番見たくない姿。

 

勉強ができなくて、結果が出なくて

何度も何度も落胆させてきた。

 

「比べたことなんてないよ」

「あなたはあなただから」

 

どれだけ言葉でそう言われたって

実感として受け取ってきたのは

"こんな娘でごめんね"って

思わないわけにはいかない

申し訳なさと情けなさだった。

 

 

国立に落ちていたら、私という人間は

親の目にどう映っていたんだろう。

 

「合格」という結果が出なくても、

無気力の中の体力を振り絞って学校に行っていたこと

わかってくれていたかな。

 

まだ夜が明けない真っ暗なうちに登校して

夜が更けるまで勉強してたこと

理解してくれてたかな。

 

それともきちんとした結果が出なければ

それは「努力」として認められなかっただろうか。

 

なんの取り柄がなくたって、1人の人間として

ちゃんと認めてくれていたかな。

 

生きててくれてよかったって、思ってくれてたかな。

 

 

こわくて考えないようにしてるけど

ふと頭の中をよぎることがある。

 

 

 

子どもにとって親とは、唯一無二の絶対的存在だ。

 

どれだけ悲しいことを言われても

どれだけつらい経験をしてきても

それでもそんな親から愛されることを求めるのが子どもだ。

 

いい加減、自分の人生、

好きなように生きればいいのにって

自分でもそう思うけど

21になったって私には

「親に愛されていたい」という、

ほかのどんなものよりも強くて確かな欲がある。

 

この欲からは、一体いつになったら放たれるんだろう。

 

死ぬまでまとわりつくのかな。

 

 

 

「しつけのためなら暴力は必要だ」

という意見があるけど、本当にそうかな。

 

「暴力で、ある程度の痛さを教える必要がある」

と考える人も一定数いるけど

暴力によってしつけられるのはその子の良心ではない。

 

「これをすると殴られるから」やめておく。

そんなものが「教育」って言えるのかな。

 

暴力はきっと、「怯え」しか生まない。

 

 

 

親子関係って本当に様々で

たとえば同じ親から生まれて

同じ親に育てられたとしても

ものすごく優秀で立派な子どもが育つこともあるし

なんにも取り柄がない子どもに育つこともある。

 

 

なんで同じ親に育てられたのに

自分みたいな人間が育ってきてしまったんだろうな

 

勉強ができなくたって

有名な大学に入れなくたって

せめて周りの人を元気づけられるような明るさを持った人間だったらな。

 

 

 

いろんな意味でマイペースすぎて

大丈夫かなって自分でも思う時あるけど、

心の中に違和感が残るまま生きることが

1番自分を壊すって分かっているから

今日も明日もマイペースに生きる。

 

愛されたいだなんてほんとは言いたくないんだ

でもそう思っちゃったから

そう思うことがあったから。

この気持ちから逃げてたら

いつまでたっても私は私の人生を生きれない、

 

自分の心の声に正直に生きていくことが、

結局は誰のものでもない、

自分にとっての幸せにつながる道を

拓いてくれるんだと思う。

(こんな感情を吐き出すのはとっても辛いけどね)

 

こんな簡単なこと、どうして今まで

気づかなかったんだろうな。

 

でも、気づいた今だって

できれば周りに認められて生きていきたいという

気持ちがゼロなわけではないし

一生懸命社会に馴染もうとしている自分がいるのも

ほんとのこと。

 

 

大好きなのに大好きだけど大好きだから

私の中にはいつまでも"コンプレックス"として

存在するんだろうな。