はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

夢の描き方の話

 

 

教育一家(?)に育ったので

自分の周りにいる大人は

親戚も含めてほとんどみんな教師だった。

 

 

花束なんて買う家庭じゃなかったから

普段は花束とは無縁の生活だったけど

 

卒業式や離任式の日には

生徒さんからもらった手紙や花束が

両手いっぱいに持って帰られてきて

立派すぎるお花がダイニングに登場した。

 

 

いつの日か親が家でピアノの練習をしていたせいか

全然知らない学校の校歌のワンフレーズを

今でも覚えている。

 

 

家族みんなでテレビを見ている時や旅行中に

生徒さんの訃報の連絡を受ける親の姿も

もう何度も目にしてきた。

 

 


当時小学生の私にとって

知らない市の小学校も特別支援学校も

"初めて出合う社会"のうちの1つだった。

 

 


教師という仕事のやりがいも大変さも裏側も

なる過程も

多分他の職業とは比べ物にならないくらい

沢山知っていると思う。

 

(他の職業のことを知らなすぎる、

 というのもあるけれど…)

 

学校生活で出会うのも

大人はみんな「先生」だったし。

 

 

 

だからか分からないけれど

物心ついた時からの将来の夢は

「先生になること」だった。

 


一応ちゃんと、理由もあった。

 


勉強を教えるというより、

みんなで戦争や平和について考えたり

命の大切さや人間としての道徳や倫理を教えたりする

授業ができる、そんな先生になりたかった。

 

(周りは何故かみんな道徳が嫌いだったし、

 夢を語るのは恥ずかしくて

 こんなことは人には言えなかったけど…)

 

 


その後は児童指導員という夢を追いかけながら

一応教員の道も考えていたから

教員免許がとれる大学に絞って受験した。

 

(結局、やっぱり違うのかも、と思って

 取るのやめたけど…

 

というより、

「先生になりたい」という思いと言葉だけが先行して

 

あれ、私、本当に先生になりたいのかな、

と改めて考えてみた結果、

 

 

私がやりたいのは

「教育」より「福祉」寄りだと気づいた。

 

そして、

教室という空間、学校という空間に限られること、

自分が1番力をかけてやりたいこと、

最低限こなさなければならないこと、

外野から求められること…。

 

 

いろんなバランスを考えて、私がやりたいのは

「学校」や「施設」などに入り込んでやっていくこと

ではないなと思った。)

 

 

 

 

 

せっかく夢を抱いて大学に入ったのに

また振り出しに戻ってしまった焦りから、

大学1年から2年の間、

ただ、漠然と「居場所をつくる人になりたい」

と思いながらも その夢を仕事にしている職業を

見つけることができなくて

 

職業を決めなければ

自分の進路について考えられない

と思い込んでいたから

 

その時の私は

自分の夢に「職業名」をつけようと躍起になっていた。

 

 


周りのみんなとも、いつも

「何になりたいか」しか話すことはなかった。

 

 


でも、本当は、その先にある

「その職業に就いてどうしたいのか」のほうが

大切なのだと思う。

 


いろんな人と出会い、様々な経験をし

たくさんの葛藤を経て、今の私はやっと

夢を見つけることができた。


というより、自分の経験から浮かび上がった

"心からの願い"を言葉に落とし込むことが

できるようになった。

 

 

なんだかものすごい道を通って

今に辿り着いたような気がしていたけれど、

 

でも、ブログを書いている今思うのは、

 

「あれ、私の夢って、小さい時から案外、

 同じだったんだな」

 

ということ。

 

 

 

あれこれ考えてぐるぐる思考になりながら

同じ悩みで何度も立ち止まり遠回りながらも

根幹にあった思いは幼い時からあまり変わっていなかった。

 


きっと、「夢の名前」ばかり考えすぎて

その名前に囚われて将来について悩んでいたから、

これじゃない、あれでもない、

夢がない、どうしよう!と焦っていたのだと思う。

 

 

 

*****

 

 


小さな時から私は、

人に見捨てられやしないかだけが

いつも不安だった。

 

 

悲しい気持ちはできるだけ封じ込めて、

楽しい気持ちだけを人に伝えるようにして

生きていた。

 

 


最後に自分を選んでもらえるのであれば、

と思いながら生きていたから

傷つけられるようなことがあっても

その度に許し、その人をずっと信じて生きてきた。

 

それが「優しさ」なのだと思い込んでいた。

 


でも、大人になって、

楽しい気持ちだけじゃなくて

悲しい気持ちを受け入れてくれる人たちと出会った。

 


ネガティブな気持ちすらも

私を私として認めてくれる人たちと関わるようになった。

 

喜怒哀楽の、いろんな感情を共有できる

喜びと素晴らしさを知った。

 


これまでの人生で、私が最も心を救われてきたことは

「自分のありのままを受け入れてもらうこと」だ。

 


だから、だから私は、自分の人生の中で

「ありのままを認め合えること」を1番大切にしたい。

 

 

小さなことで、喜んだり、怒ったり。

 


そういう感情を安心して出せる場所があること、

それらを共有できる関係を築けること、

その積み重ねが

私にとって何よりの喜びであり生きがいだ。


(本当はそれが1番難しいことだな、とも思うのだけど。)

 

 

 

今の私には、自分が大切にしたい思いを胸に抱えながら

未来を思い描ける、夢がある。

 

 

でも、「絶対にその夢を叶えたい」

という思いを持ちながらも、

「職業名」にこだわる必要もないのかな、

とも最近よく思う。

 

 


「どんな社会をつくりたいのか」

自分の言葉で、

自分なりの方法で想像できるようになったから

なんだかそれだけで、強くなれた気がする。

 

 

 

自分の夢に職業名をつけることだけが、

「夢を描く」ということではないはず。

 


日常生活の中で、心が揺れ動く瞬間。

されて嬉しかったこと、悲しかったこと。

 

 

「夢」と聞けば

なんだか壮大で物凄いものなような気がするけれど

でも、本当はそういう小さな部分に、自分の夢って

詰まっているのだと思う。

 

 

もっと小さく、今は名もない夢でさえ

これからはもっと大きく、もっと広く、

描き語れる社会になればいいなぁ。