はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

私の原点

 

 

二年前、ある朝鮮学校にお邪魔した。

 

その事前学習に参加するまで

朝鮮学校についての知識は恥ずかしながら

殆どなかった。

 

そもそも「朝鮮学校」というワード自体を

耳にすることがなかった。

 

いや、耳にしていたとしても、体が勝手に

聞こえないようになっていたのかもしれない。

 

 

たとえばテレビで外国のニュースが報道されていても、

海外のことに関心を持つことなく生きていた

私にとって「外国」や「外国人」、「日系人」や

「移民」などについて考えようとしたことなど

一度もなかった。

 

 

私にとってそれらは自分事として捉えられるような、

身近に感じられるような社会問題ではなかったのである。

 

 

事前学習で初めて在日コリアンの方々に関する

ドキュメンタリーや映画を観て、何年間にも亘り

国籍によって自分という人間が揺さぶられる辛さ、

祖国に帰れない悲しみの中を生き抜いてきた

人々の背景を、一部ではあるが学んだ。

 

自分がこれまで考えたことすらない

「戸籍」をめぐる思いや

「同胞」という言葉の意味、

イムジン河」という歌の詩のかなしさなど、

在日コリアンの方々の何世代にもわたる壮絶な人生に

大きな衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。

 

 

事前学習を終え実際に朝鮮学校に足を運ぶことを

考えた時、楽しみな気持ちがある反面、

それを超える大きな不安を胸に抱いていた。

 

自分が訪問することに対し、言葉にせずとも

批判的な思いを持つ方もいらっしゃるかも

しれないと、内心とても恐れていたからだ。

 

運動会の一つ目の題目、

児童生徒の皆さんの入場を目にした時、

なぜか分からないが胸にこみ上げてくる思いがあり、

気づけば私は涙していた。

 

なぜ涙を流しているのか自分のことでありながら

当時はよく分かっていなかったけど、

振り返った今ならその理由が分かる気がする。

 

日本という国に住み、学校生活を送り

色々な苦労や悩みを抱えながらそれでも夢を見

毎日を一生懸命生きていることは、

目の前に見えた「朝鮮学校」という空間に通う

児童生徒の皆さんと自分とで

本当に何一つ変わらないことに気づいたからだ。

 

「国」という単位で分けられただけで

何世紀もの間その言葉と制度に縛られ

心無い言葉や差別偏見の目に苦しみながら

生きている人たちがいる。

 

朝鮮学校在日コリアンの方々を巡る議論や問題は

同じ社会を生きる自分の問題でもあるのだと

その時初めて気がついた。

 

 

運動会の最後を飾るプログラムで

皆が円になって踊る時間があった。

 

少し躊躇いながらグラウンドに足を踏み入れた

私は最初、輪の中に入り切れずにいた。

 

主役は朝鮮学校の皆さんであり

私は見学者(というよりも部外者)である

という思いが強くあったからだ。

 

そんな思いをかき消してくれるかのように

私をスッと導き輪の中に入れてくれたのは、

中学生のある女の子だった。

 

言葉で直接言われたわけではないけれど

私に向けられたあの笑顔は

「一緒に踊ろう」と言ってくれているようだった。

 

彼女たちの全身からあふれだす

包容力や人間力を痛いくらいに感じ、

年齢は自分のほうが上であるはずなのに

彼女たちのほうがずっと大人に感じた。

 

 

 

崔実著の小説、

『ジニのパズル』(講談社、2016年)

に登場する朝鮮学校の生徒たちは、私が朝鮮学校

出会った皆さんと重なる部分が多くあった。

 

朝鮮学校に入学する前、

ジニは「自分が何人であるか」という問いについて

特に深く考えることなく生きていたが、

朝鮮学校に通い始めることで

ジニを取り巻く環境は大きく変化する。

 

北朝鮮のミサイル発射が報道された日、

ジニはいつものようにチマチョゴリを着て

学校に向かった。

 

周囲からのジニへの視線は非常に冷たく、

駅のホームも車内も緊迫した様子であった。

 

そして、ゲームセンターでの悪夢に遭遇する。

 

勝てない。

こんな腐った奴らに、私は勝てないんだ。

 

首を締められただけなら

警察に行ったかもしれない。

 

だけど、そうじゃない。


そうじゃなかった。

だから、私は警察どころか、家族にも、

友人にも、これから先、誰にも何も

言わないだろう。

 

ジニの悲しみと怒りと失望が心に染み渡り、

それらがもうどこへも吐き出されないように、

二度と外へは見せないようにと

自分の心にしっかり鍵をかけて閉じ込めた、

そんな瞬間だ。

 

いつかのドキュメンタリーで見た、

 

「登校途中に全く知らない大人に

 チマチョゴリを破かれた。

 怖くてその日から

 チマチョゴリを着られなくなった」

 

と泣きながら話す、ある学生の姿が思い出された。

 

 

芸能人の本名が報道されれば、その途端にネットでは

「在日外国人は日本からいなくなるべき」

などといったヘイトスピーチとなんら変わらない

内容の差別発言が次々と出てくる。

 

とても悲しく情けないが、差別偏見の目は、

朝鮮学校」という空間から出てしまえば

そこらじゅうに溢れている。

 

朝鮮学校のことに限らず、もちろん自分にだって

 "無知、無関心による偏見を持っていた、"

 と気付かされることは多々ある。)

 

 

暫くの間学校を休み続けたものの、

ジニは「革命家の卵」として、

組織の言いなりである大人たちと闘おうとする。

 

くだらないプライドを持ち

周りに流されるがまま生きている大人たち、

 

そして自分とは無力な存在だと思い込んでいる

友人たちへ思いを込めて、行動を起こす。

 

しかし、その事件以来、

ジニは精神病棟に入ることとなる。

 

面会に来る家族はみるみる痩せていき、

大好きだった友達はショックのあまり不登校になった。

 

自らが「革命」として起こした行動が、

自分の大切な人たちを悲しませている。

 

そんな矛盾を抱えながら生きていくうちに、

ジニは思うようになる。

 

もしかしたら

私が頑張って生きなくても良いのかな。

 
ただ身を任せるように生きているだけでも

良いのならば、そうでありたい。

 

在日外国人に向けられる無知や無関心、

差別偏見の目が生み出す無自覚の刃は、

これまで一体どれほどの勇気ある声や行動を

潰してきただろう。

 

朝鮮半島だけにではなく、日本国内にも引かれた

目に見えぬ三十八度線と闘う日々。

 

会ったことのない家族との手紙でのやり取り。

 

その全てには、ジニの心の叫びが込められていた。

 

その叫びを、勇気を、

消してしまう社会であってはならないと思う。

 

ジニを巡る様々な大人、世界は、

決して本の中だけの話ではないのだ。

 

何もかもを失う覚悟で奮ったその勇気を、

かき消すのではなく、拾っていける社会でありたい。

 

 

 

感想を読んで思わず涙がこぼれました。

参加された学生さんの純粋な気持ちが

伝わってきたからです。

ありがとうございました。これから共に

明るい未来を切り開いていきましょう。

 

未来を担う若い世代が、在日同胞について、

学び、ふれあい、認めあう大切さ、

たくさんの人に読んでほしい!

 


私の運動会の感想文を読んで、

朝鮮学校の方からこのような感想を頂いた。

 

閉じていたのは、私の方だったと改めて気づいた。

 

在日外国人の方々を巡る問題に

全く関心を持つことなく生きてきた自分が、

ある日突然学校にお邪魔しても

快く受け入れてくれる。

 

全国各地でヘイトスピーチの対象となっているのは、

あの時包み込むような笑顔で

輪の中に入れてくれた女の子であり、

こんな自分が書いた感想文を

涙を流しながら読んでくれている方々なのだ。

 

そう思うと、私はこの言葉と一生向き合っていきたい、

向き合っていかなければならないと強く感じる。

 

多様な背景を持つ様々な人々がともに暮らす

この社会に必要なのは、きっとこうした

「出会い直し」だ。

 

無知による無自覚の差別意識

自らの中にもあるかもしれないという意識を持ち、

分かり合えるための努力をしていかなければならない。

 

そのためには、歴史と向き合う必要がある。

リアリティに目を向けることを忘れてはならない。

 

同じ苦しみや悲しみを次世代に遺さぬよう、

新たな歴史を築いていける人間でありたい。

 

平和の為に戦うことを恐れず「革命」を起こした

ジニのように、違和感に従って声を上げられる

人間でありたい。

 

 

一人だけが輝いていても仕方ないの。

 

と、ステファニーは言った。

その通りである。

 

 

一部の人間だけが生きやすい社会など、

誰にとっても安心できない、

いつ壊れるか分からない怖さと脆さを持った

危険な社会である。

 

 

国籍が違えば、

帰る国を一つに絞らなければ、

「技能」がなければ、

「私たち」は存在を否定されるのか。

 

 

数字として、

番号として登録されなければ、

「私たち」はこの社会で生きていけないのか。

 

 

そんな社会ではなくなる日が来るまで、

この問いを大切に持ち続けたい。

 

 

 

*****

 

 

 

初めて社会学の授業を受けた日の衝撃。

 

「書く」とは己の心と真正面から向き合い

自分の生き方を見つめ直すことだと気づいた瞬間。

 

在日コリアンの方々とお会いし、

初対面とは思えないほどのあたたかさで

迎え入れて頂いたこと。

 

自分と向き合うことが辛くなって

社会学から逃げていた時期のこと。

 

自分なりでいいからまた社会学を学んでいこうと

思えた日…。

 


久しぶりに色々思い出し、

泣きながら自分と社会学について考えた。


私はこれまでの人生で、

自分を見失いながら生きてきた。


生きることを辞めようと何度も思いながら、

それでも死ぬ勇気すら持てずに毎日を生きていた。


それなのに、自分が生きづらさを抱えながら

生きていることに気づいたのは、大学に入って

社会学の先生の授業を受けた日のことだった。


あれだけ苦しみながら生きていたのに、

自分の心が死んでいたことに気づいたのは

あの時初めてのことだったのだ。


私は国籍という制度の問題で悩んだ経験など

自分の人生で一度もなかったから

国と国の間で苦しむ方々のことを学ぶこと自体

入学当初の私にとって

自分に直に関係のあることではなかった。


それなのに、社会学を通して入ってくる言葉は

自分の心に深く刻まれる衝撃を伴うものだった。

 

 

3年になった今も、それは変わらない。

 


どうして私はこんなに社会学という学問に

自分の心を揺さぶられながら

生きているのだろうと考えた。


それはきっと、

社会学を通して出会った様々な言葉と経験が

私の心を救ってくれたからなのだと

今になって思う。


自分がこの学問についてあれこれと語れる

人間ではないことは重々分かっているけれど、

 

社会学を通して出会った先生や地域の人たちから

教わったことを日常の中で思い出すことが

幾度となくある。


というより、心の中に刻まれて

ずっと忘れないでいる、

というのが正しい表現かもしれない。

 

そんな人たちが教えてくれたことを、

誰かに伝えていける人間になりたい。

 

 

 

 

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15年ぶりに見た東京タワーは、

それはそれは綺麗だった。

 

 

 

 

自分の原点と叶えたい夢を胸に

明日からも生きていこう。