はるちんのひとりごと。

自分の思いを自分の言葉で。楽しみも喜びも悩みも不安も悲しみもぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、共有すれば希望になる"

"意味"は自分を救ってくれるか?

 

 

 

年内最後のぱんぴっとのイベントが終わりました。

 

 

 


最後から2番目のお題で

「理想の将来像」というのがあり、

 

 

「誰もが前向きに挑戦できる社会」、

「生きることを認め合える社会」と書かれてた

ゲストさんがいらっしゃり、そのフリップを見た時

なんだか泣きそうになってしまいました。

 

 

 

 

(自分がインタビューさせて頂いたゲストさんは、

生き方や考え方を少しではあるけれど知れているから

勝手ながらにすごく大好きになって

このお題はどんなこと書かれるのかなーって

ついつい気になって見に回ってしまうのだけど

 

 

 

今回自分がインタビューに伺ったゲストさんが

フリップに書かれてたことが

その方の生きてこられた道のりや人生観を

濃く表していて

 

 

その方の人生体験があったからこそ語られる

物語や言葉というのは何よりも説得感があって

ホンモノの言葉という感じがして

 

 

そういう言葉を持っておられるゲストの皆さんを見て

あぁ本当に素敵な社会人の方々だなぁと

改めてそう思いました。)

 

 

 

 

 

 

最近思うのは、意味がなくても生きていけること、

理由がなくてもそこに居られることの大事さ。

 

 

 


無条件に愛されるというのは、

意味や理由がなくても

自分が自分としてそこにいるだけで価値があると

思えることだと思うんですね。

 

 

 

日常生活の中で、意図的に傷つけられること、

自分がその場にいることに対して

他者から直接的に何かを言われること

(例えば「私と関わらないで」とか、

 「あなたはいらない存在だから」とか)って、

基本的には滅多にないとは思うのだけど

 

 

 

その一方で、

直接的な言葉ではない誰かの言動が

自分の存在価値を分からなくしたり

「自分が自分であるだけでここにいる価値がある」とは

思えなくなったりすることは、

実はよくあることだなと思います。

 

 

 

 

人は、受け取った言動がどんなものであれ、

愛されていると分かれた時に温かい気持ちになり、

自分が大切にされていないと感じた時に

怒ったり悲しくなったりするように

 

 

 

普段相手が思っている無意識の部分が無意識に働いて

無意識と無意識が重なって

それが言葉や行動として表れた時、

その内容が自分にとって嬉しいことであれば

幸せになるし

反対であれば幸せではなくなってしまう。

 

 

 

(難しいけど、だから「無意識」が1番人を

傷つけちゃうのかな、

 

 

そして「無意識」って、意識化することでしか

なかなか変えられない。

 

 

 

そしてその「意識化している」という意識が

なくなるまで自分のものになったとき、

今までの自分にはなかった、新しい「無意識」に

生まれ変わるんだろうな。)

 

 

 


自分が無条件に愛されていることを実感できる

関係というのは、

意味なんかなくても自分がその場に行きたい、

そこにいたいと思う関係で

 

 

これが双方にないとその関係って幸せには続かなくて、

相手に対して自分が、「安心して自分でいられるか」

というのも大切な観点だなと思います。

 

 

 

人のことを気にかけたり

大切に思ったりする気持ちも大切だけど、

同じくらい自分のことを大事にしたり

守ったりすることも大切で

 

 


双方向で心地よく、長く続く関係というのは

その人と一緒にいる時の自分のことを好きであれるか

ということも絡んでくるのかなって思います。

 

 

 

 


「その人のことを好き」というのと、

「その人と一緒にいる時の自分が好き」というのは

必ずしも同じことではないから。

 

 

 

(「好き」にも色々あるから、

 その「好き」の形によって

 自分自身やその人との関わり方を変えていくことに

 申し訳ないと思うとか罪悪感を持つのではなくて

 肯定的になれるようになったら素敵ですよね、

 

 


 その人のことは好きなんだけど、

 その人と一緒にいる時の自分のことは好きになれない

 ということがあるのは自然なことだし

 そこに苦しむ必要もないんじゃないかな、と

 思います。

 

 

 その人と一緒にいる時の自分のことは

 好きではないけど、でもそれでもその人と

 一緒にいたいと思うのであれば

 一緒にいればいいと思うし

 


 自分が好きな方法で

 その人のことを好きでいられたら

 それでいいんじゃないかなって私は思うんです。)

 

 

 

 

 

ちょっと話がそれちゃったけど、

私はずっと、自分が生きてる意味とか

そこに居てもいいと思える理由を

探していた時期があったのだけど

 

 

 

でも、例えばそうして長い時間をかけて

見つけられたものがあったとしても、

その理由や意味というのは果たして本当に

自分を救ってくれるだろうか?って

最近よく考えます。

 

 

 

 


ある時は、自分が生きてる意味って

何かを叶えるためかなとかって思ったりもしたけど

 

 


でもそれって同時に

何かを叶えなければ自分には生きている意味がないって

思ってることでもあるなって思って、

そしたら生きるのが全然楽しくなくなっちゃって。

 

 

 

 


生まれてきたから生きてるのかなって、

いまはなんとなく漠然とそう思うようになりました。

 

 

 

 


人生の理想や目標を持つことは大切だけど、

それが達成すべき絶対的な目的になってしまうと

それを達成できなかった時に

結局自分が自分を1番傷つけてしまうなって思うんです。

 

 

 

 

 

叶えられたら素敵だけど、叶えられなかったとしても

自分が自分としてここに生きていること自体が

否定されるというわけではないから。

 

 

 

 

 

人間みんな、もっと無条件に愛されて

無条件に生きていていいはずなのになって思います。

 

 

 

(いろんなことが原因で、簡単にそれが

阻まれてしまっている社会だな、と思います…)

 

 

 

 

 

 

 

大事なのはきっと、

「理由や意味がなくても

 自分がそこにいてもいいと思えること」。

 

 

 

そう思える関係や環境を大事にできるか、

作っていけるかというところに

生きやすさのヒントがあるのかなって

 

 

 

皆さんのトークを聞きながら

そんなことを考えました。