はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

人を変えるということ

人を変えるのって、難しい。

 

 

 

こんなことを思うことが続いていたので

今日はこのことについて書こうと思います。

 

 

 

 

 

私の友達に、こんな人がいます。

 


普段はとっても明るく振る舞ってくれるのだけど


実はかなりの根暗で


これでもかってくらい人生において悲観的で


私の言葉や行動じゃ
ちっとも救えないくらいに
人生に絶望している

 

 


そんな子です

 

 

 


ちょっと前まで
私もそんなだったから

 

 


その子の気持ちは痛いくらいにわかるし
私もその子の存在に救われていました

 

 

 

 


だけど、今の私は違います

 

 


その子と話すたびに、
あぁ自分だいぶ変わったなぁって思うようになりました

 

 


同時に、

人を変えるのって

とても難しいなぁと思います。

 

 

 


ちょうど1ヶ月くらい前、


「自分が変わるのは

 自分が頑張ればいいだけだから簡単だけど、

 人を変えるのって難しいよね」

 

という話をしたことがあり、

 

 


いまそれを、身をもって感じています。

 

 

 

 


人を変えるのって、

何をどこまでどうやって頑張ったらいいのか

分からなくて、

 

 

 


こちらがアクションした分だけのことが
全部必ず相手に届くことなんてほとんどなくて、

 


なんかもうすごく大変だなって思います、

 

 

 

 

 


今までの私は、

力になりたいと思う
その人の思いも考えも全部背負って

それで結局自分がしんどくなってしまう、

 

ということを何度も繰り返していました。

 

 

 


はじめは、心から本当に思うんです。

 

 


だけど、

その子のことをどうにかよくしたいって

思っているうちに

 

いつの間にかその悩みにのめり込んでしまっていて

 


悩みや不安がぜんぶ自分事として

降りかかってくるために

 

 


日が経つにつれて
苦しくなってしんどくなって

 

 

何もできない自分に悲しくなっていました。

 

 


相手の状況がよくなってくれれば救われるのだけど
そんなことばかりではなくて

 

 


あれしてもだめ、
これしてもだめ、
じゃあ私はどうしたらいいんじゃろう、って

 

 

 


"これだけのことしたのに"って
結局見返りを求めてしまっている自分に気づいて
そんな自分にうんざりする、

 


そんなことを続けていました。

 

 

 


だけどそんなある日、
「他人の課題は他人の課題として切り捨てる」

ということも大事なのだと学ぶことがありました。

 

 

 


だって、その子の人生を生きるのは、その子だから。

 

 

逆に言えば、私はその子のために生きるわけではない。

 

 

 


偉そうなことは何も言えないけれど

 

 


その子の悩みにのめり込んでしまったために


しんどくなって

 

いっぱいいっぱいになってしまうんじゃなくて

 

 


今の自分にできる範囲のことでしていけたら

いいのかなと思えたのです

 

 

 


今回私は、

 


その子の思いや考えが痛いくらいにわかってしまう分、

その子の悩みをどうにかしたくて 

 


その子とほぼ同じ心境だった私が今、

楽しさを感じられるようになったのと同じように、
その子にも同じ思いを持ってほしいなって思って

 

 


幸せとか生きがいとか人生の意味とか


そんなようなことに関することを

自分なりに勉強もしてみました

 

 

 

(その分野には自分も興味があったので

とても楽しい勉強でした)

 

 


アドラーとかラッセルとか神谷美恵子とか
頭がおかしくなるくらい
「幸せ」について考えていました

 

 


だけど、どれだけ私が頑張ったって

 


その子に「変わりたい」という思いがなければ
全然響いてもらえなくて。

 

 


伝えたい思いも伝わらなくて。

 

 

 

 

 


いろんな哲学者の考えを知っていくうちに、


自分の欠点にしか目がいかない

(=自分のことでネガティブになりすぎる)って、

 

自分の世界に閉じこもっていて、

 

実はとっても小さなことだったんだなって気づきました。

 

 

 


だけどこれって

悩んで悩んで悩んでる人に向かっては

なかなか言えなくて。

 

 

 

 


その子は私に、

ただ話を聞いてほしい関係を

求めているだけなのかも知れない。

 

 


それは同時に、

聞く相手は私じゃなくてもいいってことなのかも知れない。

 

 

けれど

 


普段人に見せない弱い部分を

私に見せてくれようと思ったその子の気持ちを考えたら

 

 

 


とてもじゃないけど

 

 

 


そんなことを言える勇気を持てないのです

 

 

 


自分が何日も何年もかけて悩んできたことを

簡単に分かられてたまるか!

っていう悔しい思いもわかるから

 

 


無理に励まそうと、簡単に言葉をかけたくもないし、

 

 


その子が私に何を求めて悩みを打ち明け

弱い自分を見せてくれているのかによって

 

 


私がすべきことは変わってくるのかなって思います

 

 

 

 

(これは私だけなのかも知れないけど

人と向き合う時、

あれこれ想像し過ぎて

脳みそがたりない、😣ってなります)

 

 

 

何をするのが

その子のためになるのか分からないけれど

 

 

分からないからこそ

ちょっとずつ模索しながら

その子と接していけたらなと思います。

 

 

 

(人を変えるのは難しいし

なかなか上手くはいかないけれど

 

 

私もその子から教えてもらったり

気付かされたりすることはたくさんあり、

 

 

「互いに影響し合える関係にいる」という意味では

 

この悩みをもてることも

実は幸せなことなのかなとも思います)

 

 

 

***

 

 

 

ブログを書かなかった(書けなかった)

およそ1ヶ月、こんな自分に気づきました。

 

 

 

 

それは、


落ち込むことも凹むこともあるけれど

 

 


でも、だからって

 

 


ずどーんって悲しみだけが襲ってくる、
なんてことがなくなったということ。

 

 

 

それはきっと、心のどこかで

"そんな自分でもいいや"って

思えるようになったから。

 

 

 


自分で自分を認めるって
こんなにも大切で大きなことだったんだなって
実感しています

 

 

 

 


今はまた、将来について悩み始めています。

 


だけどもう、悲しくなったりはしません。

 

 

 


どっちがいいとか、正解とかじゃなくて、

いろんなものに沢山触れて、考えて、悩んで、

それで決めたらいいやって思うのです。

 

 

 

 


大切なことは、

自分で選んだ道に

納得して生きていけるかどうかであって、

 

 

 

そこに「人はどうか」ってことは全然関係なくて。

 


 

 

 

 

こんなこと言ったら

理想論に聞こえるかもしれないけど

 


だけどほんとに、そう思っているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

"これからの時代に安定なんてないよ"

 

 

"今ある仕事の半分はロボットがやってる未来だよ"

 

 


将来を考える時に必ず言われるこれらの言葉。

 

 

 

 


ゆとり世代と言われ

少子高齢化地球温暖化は小学生の頃から

耳にたこができるくらい聞かされてきた

 

 

 


年金だって保険だって

難しいことはよく分からないけど

 

 

 


でも、みんなで生きていくためには

働く期間が増えるのも

年金が減るのも仕方のないことで

 

 

 

 


変わらない、変えられない事実に文句を言うよりかは

 

 


変わらない、変えられない事実のなかで

 

 

 

果たして自分ができることとはなんだろうって

そのなかで自分がやりたいことってなんだろうって

 


考えていくしかなくて。

 

 

 

 

 

 

 


平成だって、もうすぐ終わる。

 

 

 

 

 

 


今の子どもたちは、スマホの電話のマークが

何を表してるか分からないらしいです。

 

 

 

 

 

 

 


固定電話を見たことがないから。

 

 

 

 

 

 

 

そう考えたら、

 

 

 

今ある常識だって

数年後には常識じゃなくなってるんだろうな、

 

 

 

 

 

 

そんな時代に生きているからこそ、

誰もが想像するような

"絶対的な幸せ"なんてきっとなくて

 

 

 

自分が思う幸せに向かって生きていけたら

それだけでもう充分だなぁって思います

 

 

 

 


その幸せに向かうためには

自分の中に

しっかりした判断基準を持っていないといけなくて

 

 

そのためにはいろんなこと経験して

いろんなもの吸収して

 

 

 

ちょっとやそっとのことでは

へこたれんような人間にならんとなぁと

 

 

 

 


最近はそんなことばっか

考えてます、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、いろんなことに対する優先順位が変わってきて

 


ブログ書く頻度もかなり下がってきちゃったのだけど

 

 

 

 


書きたいことを

書きたい時に

書きたいように書けるようになっているから

 

 

 

 


これからもこんな感じで書けていけたらなと思います

 

 

 

 

 


5月はなんとなく憂鬱だけど

頑張りましょう、!

 

 

 

 

お久しぶりでしたが

読んで頂きありがとうございました

 

 

 

 

あ、私が行動することから逃げようとしてたら

誰か止めてください、笑

 

 

 

 

 


それではまた☺