鳥取から東北の旅。
青春18きっぷ、鈍行の旅。
ここに書くのは、完全に自己満足。
だから、はじめに言っておくと、
伝えたいことは特にないです。
だけど、初めてのひとり旅。初めての鈍行の旅。
忘れたくないこと、景色が沢山あったから
ここに残しとこうと思います。
(めちゃめちゃ日記チックです、。)
2018.3.26 6:14
まだ夜が明け切らない、肌寒い朝。
鳥取を出発!
鳥取から浜坂方面の電車に乗るのは初めてのことで、
ワクワクしました。
私は山に囲まれて育ったから、
辺り一面海の景色を見ると、わー!!ってなります。
福知山駅は、とっても都会でした…😳
京都はもう、桜が咲いていました。
(焦って撮ったから窓がうつっちゃった、
写真撮るの上手になりたい、)
(今年は桜が咲くのが早いなぁ、
どうせなら、今年初の桜は鳥取で見たかったなぁ、
だってあんなに寒い冬を乗り越えて、
こんなに春を待ちわびてたのに、
ちょっと西へ行くともう桜が咲いてて。
なんだかフライングされた気分でした、笑)
鈍行の旅は、とっても楽しい。
移り変わる景色を見ながら、
畦道の途中でおばあちゃんたちが立ち止まって
お話しているのを見たり、
これが埼玉スーパーアリーナかー!と感心したり。
自分が思っていた以上に、あっという間でした。
関ヶ原駅!
関ヶ原とか多賀城とか、日本史で出てきた地名の駅を見ると、感動しちゃいました。
電車乗りながら窓の外の景色をパシャパシャ撮ってるのなんて私くらいだったけど、なんでも初めての景色だから、興奮しちゃって。
周りの目なんて気にせず、スマホでパシャパシャ撮りまくりました。笑
東京に着いたのは、22時頃。
都会の中に夜桜。
1本でも乗り換えを失敗するとホテルに着けるか分からないくらい余裕のない旅だったので、無事東京に着けた時はホッとしました。
その日は安いカプセルホテルに泊まったのだけど
荷物取られないか心配になりすぎて人間不信になりそうで、
仕切りがカーテン1枚だったから
音を立てないように意識しすぎて全然寝られない、
もう二度とカプセルホテルには泊まらない!
と決意しました、
(そう思えたことも勉強!と思いたい)
次の日。
始発で東京駅を出発し、宇都宮、黒磯へと向かいます。
黒磯から新白河、郡山へと乗り継ぎ、やっと東北地方へと入りました。
どこで撮ったかは忘れちゃったけど、
これ奥羽山脈!?と思いながら写真撮りました。
(奥羽山脈であってほしい、)
昼の2時頃に仙台に着きました。
仙台駅の中は、お土産屋さん、ご飯屋さんが建ち並び、なんだかとっても都会でびっくりしました。
(東京駅でさえ迷子にならなかったのに
仙台駅では迷子になりました、)
次の日。
朝5時半頃の仙台駅。
(始発に乗るために、毎朝4時起き、5時起きの旅でした…)
花巻駅で乗り換え。
このあたりになると、駅の名前が書かれたプレート(?)みたいなのが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ver.になって、とってもかわいくなるんです。
こんなのが、ずっと続いてました!
オリジナリティと、郷土愛にあふれる駅って
めっちゃいい…!!
釜石に着いてから、三陸鉄道に乗りました。
三陸鉄道は、震災の津波でかなり大きな被害を受けたのだけど、3/16には一部区間で運行を開始し、住民たちの希望の光となった鉄道です。
授業でJRの人や若桜鉄道の元社長さんの講演を聞くことが何回かあったため、地域のために一生懸命頑張ってくれているローカル鉄道を見ると、ついつい応援したくなります。
電車1つ運行するだけでも、これだけの熱い思いを持って、そしてその地域のために、住民のために、人生をかけて運営してくれている人がいるんだなぁって、お話を聞く度に毎回感動するんです。
本数が少なすぎて、待合室で1時間45分待つことになったんだけど、そんなの吹き飛ばしてくれるくらいに素敵な景色でした。
***
今度は、鳥取に戻ります。
熱海駅でパシャリ。
桜が咲き誇ってました…!!
綺麗だなぁ。
鳥取にいると、全然違う所で知り合った人と人が思わぬ所でつながってたりすることが本当によくあって、世界せまいなぁって、それがちょっと嫌になる時もあって、
もちろんそれが田舎のいいところでもあるんだけど、
そういう環境にいると、ふとした時に出たくなるんです、
一時的ではあるけれど、現実を忘れられることも
旅の1つの魅力だなと感じました。
豊橋から名古屋に向かう電車の中。
隣に座ったおばあさんに、話しかけられました。
私が東京駅で買ったお土産の袋を持っていたからか、
「東京に行ってきたの?」と。
おばあさんは、岩手県出身の方でした。
(おばあさんは東北なまりの話し方をされていましたが、東北弁があまり分からないので、ここでは標準語に変換して書きます)
私が被災地に行ってきた話をすると、
「私は一ノ関の者で、釜石の方にはなかなか行けないんだ。私みたいな老人が、役に立ちたくて行ったところで、老人にできることは何もないから。だから、一ノ関で元気に過ごす。これが1番いいことなんだ」って、教えてくれました。
「震災が起こってすぐの頃、息子が被災地に行ってきたことがあってね。
その時はなんにもなかったんだけど、日が経って足を見てみると、黒いぷつぷつの発疹ができていたの。他の人はみんな、お医者に行けと言うけれど、私は"これは釜石の人たちの声だ"と思って、線香とお供えするお菓子を持ってもう一度釜石へ行ってきなさい、って言ったの。
震災で亡くなったのには、小さな赤ちゃんからあなたみたいな大学生、障がいをもっている人、私みたいな老人、本当に色んな人がいる。息子は優しいから、そんな人たちがきっと息子に助けを求めているんだって思ったのね、
息子がもう一度釜石に行って戻ってきた頃には、もうその発疹は引いていた。他の人に言ってみると、そんなのあるわけないって、信じてくれない人もいる。
だけどね、ないと思ってたことが、起こることがある。よく覚えときなね。」
「昔はみんなガスを使って生活していたけど、ガスは危ないからっていう理由で、ほとんどの家が電気に変わったね。
そしたら、震災の時、電気は止まるでしょう。
どうなるか分かる?
寒さも凌げない、お湯は出ない、ご飯も炊けない。
ガスだったら、電気が止まっても関係なく使える。
ガスストーブをつければ、部屋は温まる。ストーブの上に鍋を置けば、おでんでも何でもつくれる。
便利なものが、そうではなくなることがある。震災以降は、各家庭に1つは、ガスコンロを置く取り組みが行われていたんだよ。」
そのおばあさんは、他にも、
こんな男には気をつけろ、手相、統計学など、いろんなお話をしてくださいました。
その時初めて出会った、見ず知らずの人だったけれど
おばあさんとはすんなり打ち解けて、仲良くなりました。
そして、話しているうちになんだか、生きる知恵を教えてもらっているような気分になりました。
全然知らない人と、1時間くらい喋ってる。
こんなことって、あるんだなぁ。
何十年も前、おばあさんが一ノ関に生まれ、月日が経って震災が起こり、そのタイミングで息子さんが被災地に行って、そんなようなことがあって、その何年後かに、縁もゆかりもない私のような人間に届いてくれて。
物凄い偶然が重なって、その出会いもその言葉もあったってことだから。
不思議な気持ちになりました。
"人は出会うべくして出会う"
この言葉は、実感がわかなくて、
ずっとよく分からなかったんだけど
最近になって、"ほんとにその通りだ!"って、思うようになることが続いてて。
ほんの一瞬の出会いだったけれど
おばあさんもきっと、
出会うべくして出会った存在なのだと思っています。
どこかで聞いた言葉が、その時ではなくても、
時間が経ってからでも、自分の経験と結びついて、
スッと胸の中に落ちていく感覚、
今の私の毎日は、そんな感覚の連続です。
滞在時間よりも、移動時間のほうが圧倒的に長いこの旅で
様々な葛藤や不安と向き合い、消化するのには
これくらいの時間があってちょうど良かったのかも知れないなと思っています。
流れてゆく街並みを眺め、
いろんな思いを馳せながらの車窓の旅は
何時間経っても嫌にはなりませんでした。
むしろ、ずっと電車に乗っていられるんじゃないかと思うくらい、私には鈍行の旅が合っている気がしました。
この春休み、熊本、福岡、山口、東京、宮城、岩手と上陸しましたが、
電車を使えば、日本全国、案外どこにでもすぐ行けるんだなと感じました。
行こうと思えば、ひょいっと行けてしまう。
距離なんて、行けない理由にはならないなぁって、強く思いました。
この感覚を、忘れないでいたいです。
あー、楽しかったなぁ…!!
新歓の準備に追われてたら、
車窓の旅編書くのがこんな時期になっちゃった、
帰ってきて1週間も経っていないのに
なんだかすごい前のことように感じます…
それくらい、今が充実してるんだと思いたい!
明日からも新歓頑張ろうっと、