はるちんのひとりごと。

自分の思いを自分の言葉で。楽しみも喜びも悩みも不安も悲しみもぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、共有すれば希望になる"

東北の旅を終えて

ずっと生きたかった東北の旅。

そんな旅も、ついに終わりを迎えます。

 

 

 

本当は

感じたことを

感じた通りに言葉にしたいのだけれど

今の私は、なかなかそれが出来ないでいます

 

 

 

今回のブログは特にそれが強くて

何度も何度も推敲して時間をかけて書いてはみたけれど

吸収した分だけのことは

なかなか言葉にできませんでした、

 

 

だけど時間が空いてしまうと

書きたいことや伝えたい思いが

薄れてしまうこともあり

今の私に書ける範囲で書いています、

 

 

 

私は今回

被災された方のお話を直接聞いたわけでもなければ

復興のための活動をしたわけでもありません。

 

 

被災地を完全にソトから見ただけです。

 

だから、本当の意味では私だって

何も分かっちゃいないのかも知れません。

 

でも、それでも、

 

言葉も全然足らないけれど

せめて写真からだけでも皆さんに何かを

お届けできるかも知れないと思い書きました。

 

 

 

内容もてんこ盛りで

書きたいこと、届けたいことを厳選し

いきなり被災地に到着したところから始まります、

 

 

展開もぐちゃぐちゃですが、お許しください、

 

 

 

 

出発して2日目の午後2時頃

やっとこさ仙台駅に着きました。

 

 

地下鉄とバスを乗り継ぎ、荒浜小学校に到着。

 

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バスを降り、この横断幕の文字を見た瞬間

言葉より先に、涙が出てきました。

 

 

 

そして周りを見て、ハッとしました。

 


小学校以外、なんにもない…

 

 

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こんな景色が、ただずっと並んでいるだけでした。

 

 

 

人もほとんどおらず

時折通るのは、数台の車のみ。

 

街には、静寂な時間が流れていました。

 

 

 

 

人がいないと、建物がないと、

街はこんなにも静かなのか。

 

 

 

この静けさを、異様さを、写真に収めたい。

その一心で、写真を撮り続けました。

 

 

 

 

大きなリュックを背負って
写真を撮りながら街を歩く私の姿は
現地の人々に、どう見えているのだろう。

 

 

 

車の中から、物珍しそうに覗き込んでくるその目を

私は見返すことができませんでした、

 

 

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荒浜小学校は

館内を自由に見学することができ

地震発生から避難、津波の襲来、救助までの経過や

荒浜地区の歴史などを写真や映像などで

振り返ることができる震災遺構です。

 

 

 

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ここはかつて教室でした。

 

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津波で歪んだ柵(2階)

 

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卒業式、タイムカプセル、宿題…

 

すぐそこに日常を思い出させるような言葉たち

 

 

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訴えかけるようなこの言葉を、文章を

溢れてくる涙を懸命に堪えながら胸に刻みつけました

 

 

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「失われた街」模型復元プロジェクト

 

 

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1軒1軒の家の主の名前や、そこでの思い出が

プレートに書かれていました。

 

 

 

そんな、思い出に包まれたこの街は

津波ですべて流されました。

 

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屋上からの景色。

 

 

 

何にもないのが、わかりますか

 

 

 

 

本当は施設の内部をすべて紹介したいのだけど

かなり長くなるので省略します…

 

 

 

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小学校を見学できるのは、午後4時まで。

時間の関係で、館内をあまりじっくりとは

見ることができませんでした、

 

 

 

それでも、この校舎が、この街が訴えかけていることを

全身で受け止めたい。

 

 

そんな思いで、1歩1歩踏みしめるように見学しました。

 

 

 

帰り際、小学校の門の扉を閉める職員さんに、

 


「ありがとうございました。
 バスまで少し時間がありますが、どうか気をつけて
 帰ってくださいね」と、眩しい笑顔で言われました。

 

 

 

現地の方と、初めて言葉を交わした瞬間でした。

 

 

 

そのあたたかな笑顔を向けられた瞬間、

東北への旅を決めて以来、心の中にずっとあった

「私なんかが被災地に行ってもよいのだろうか」


という不安が、少しではあるけれどスッと消えた気がしました。

 

 

 

 

小学校を出て、バスが来るまでの間、

周辺を歩きました。

 

 

 

歩いても歩いても、人も建物も、

何にもないのだけれど…

 

 

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晴れた青空にぽつんと建つその小学校は、

空が澄んでいるほどに

私の目にはもの悲しく映りました

 

 

 

 

震災前、人々の活気に包まれていたこの街は、
津波に飲み込まれ、建物も人も何もかも流され、

何にもなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

生きたかっただろう、
生き延びたかっただろう、

 

 

 

 


街が元気だった頃も、人がいなくなってしまってからも、

そんな景色をずっと見てきたこの校舎は今、

何を思うのだろう、

 

 

 

 

 

 

 

 

旅が終われば、私は帰ることができる。
私には、笑顔で帰れる場所がある。

 

けれど、ここに生まれここに育った人たちは
建物も何もかも本当にすべて流されてしまった人たちは

 

ここが故郷であり、

何にもなくなってしまったこの場所が、帰る場所なんだ、

 

 

 

思い出がつまったこの校舎に、この街に

私は今何を思い、何を言うことができるだろうか、

 

 

 

簡単に理解できるようなものではない、

してはいけないような現実の重みと、

 

 

それをまっすぐには受け止めきれない自分を重ね

そんな感情を表す的確な言葉を見つけられないまま

私は仙台市内へと戻りました。

 

 

 

 

次の日。

 

 

 

岩手県大槌町という所へ向かいました。

そこでは2時間程、町歩きをしました。

 


移動手段が、公共交通機関と徒歩だと
行動範囲がかなり絞られてしまいます、

 

 

たとえば車で20分、30分の所も
バスが通っていなければ、徒歩で2時間…

 

 

 

それならば徒歩でしか感じられないことを、
と思い、町を歩こうと決めました。

 

 

 

この日向かったのは、
震災遺構として一部保存がされている旧大槌町役場。
電車は震災の影響で運行を休止しているので
バスで向かいます。

 


最寄りのバス停で降りたところは、

綺麗な道が敷かれていました。

 

 


荒浜地区は、小学校以外は何にもない地域だったけれど、大槌町は、新しい町が作られてる途中段階のようであり、

 

町全体が、プールが完成した時のような
そんなにおいがしました。

 


まっすぐ歩いていくと、役場が見えてきました。

 

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周りが新しい町に生まれ変わろうとしている分、
大槌町役場の周りだけが、時が止まっているような印象を受けました。

 


津波が起こった時、ここの屋上に職員の方々が避難しようとしてたのだけど、全員が避難する前に津波がやってきて、沢山の人の命が奪われた所です。

 

 


役場で働く娘に、「早く逃げなよ」とだけ告げて
1人で高台へと避難したある女性。
その娘が、役場が、津波に襲われてしまった。

 

 

 

こんな時、公務員の立場と、自分、家族の命

どちらを優先すべきなのか

 

 


いざという時の判断は、自分しかできない。

 

 

 

色々と、考えさせられました

 

 

 

玄関前には祭壇があり、
折り鶴や花、水がお供えしてありました。

 


この建物は外から見ることしかできず、
また、柵のようなもので囲まれているため、

全体を見ることはできませんでした。

 

 


けれど、外観だけでも、7年前の津波が残した爪痕は
はっきりと頭の中に焼きつかれるくらい迫力のあるものでした。

 

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役場跡から5分くらい海の方に歩いて行くと、途切れた線路がありました。

 

大槌町は、運行を休止している、JR山田線の区間です。

 

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これまでまっすぐにのびていた線路が、

ここでぷつんと途切れています

 

 

 

今度は海と反対側、急勾配な坂道をのぼって

津波避難場所に向かいました。

 

 

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避難場所から眺めた町の様子。

 

 

 

町全体を見下ろしていて、気づきました。

先程まで自分が歩いてた場所、見渡していた場所一帯が、津波に襲われ飲み込まれてしまったのだということに。

 

 

写真の真ん中にある、平たい屋根の大きな建物の左斜め奥にあるのが役場だと、後から気づきました

 


あんな所まで、津波は来たんだ、

 

 

 

この世に生まれたことも、今ここに生きていることも
それは本当に奇跡のようなことで、

同じ命をもらうにしても、同じ家族でいられ、無事に暮らせていることも、自然の中では、何もかもが、奇跡の連続で。

 

 


それは自然だけではなくて
生まれた場所が、たまたま日本だっただけで。

 

 

 

もしも生まれた土地が、

夜も銃声が鳴り響くような地域だったら。
内戦・紛争が当たり前のような社会だったら。

 

 

 

生きている時代が、80年前だったら。

 

 

 

私は彼ら彼女らと同じように

絶望の中に希望を見つけ、強く生きていけるだろうか。

 


平穏な生活を送っている自分のような存在がいるなかで

 

親を失い、子を失い、大切な人たちを失ってしまった

たまたまひどい被害に遭った方々がいて

 

 

 

生きる希望も持てないそんな絶望の中

けれども何とか希望を持ち、

復興を願い必死で生きている人がいるということを

私たちは無関心で済ませてしまってはいないだろうか、

 

 

 

 

私は今ここに書いたことを、

皆さんに強要したいわけでも
押し付けたいわけでもありません。

 

 


ただ、事実を事実として、胸に落とし込んでほしい。

 


こんなことがあったんだってことを、

一緒に考え振り返り、未来に向けて共に生きていきたい。

 

 

 

 

確かに私たちは、

どれだけ心を通わせ寄り添おうとしたところで
被災者の方たちになり切れるわけではありません。

 

 

 

そして、人1人が、被災地のために出来ることも
微力で限られたものなのかもしれません。

 

 

 

 


けれど、考え続けることはできます。
祈り続けることはできます。

 

 

 


心に負った傷も、これからずっとその傷とともに

生きていかなければならないその覚悟も、

私たちには想像し得ないものかもしれない。

 

 

 

 

それでも、分かりきれないそんな心の内を、


分からないよ、

私には関係ないから、って突き放すんじゃなくて、

 

 

 

分からなくても、分かりきれなくても、

 


せめて分かり合おうとする社会でありたい。

 

 

 

 


そんなふうに、思います。

 

 

 

 

 

あの地震で、津波で、

大切な人たちを亡くした人がいる。

 

 

震災から7年経った今も

やりようのない悔しさを抱え

ぶつけようのない悲しみを叫びながら

懸命に生きている人たちがいる。

 

 

 

 

 

同じ日本に住み、地球上に住んでいる私たちは、

「私」と「他者」を、決して切り離して考えることなどできないのではないかと思うから…

 

 

 

 

 

 

移動距離と時間の関係で、ほんの一部の被災地しか

まわることができませんでしたが、それでも、

行ってよかったと心から思える旅でした。

 


もっと大人になった時には、

必ずもう一度来たいなと思います。

 

 

 

ヘビーな内容、いつもより長めのブログでしたが、
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

生きている奇跡と感謝を噛みしめて
鳥取へ戻ります。