はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

ないものねだり

前回のブログにたくさんのリアクションを頂き、
ちょっとでも皆さんに
何かを考えるきっかけを与えられているのかな、と
嬉しくなりました。 


だけど私はこのブログに
書きたいことを書いているだけで

ここに書いていることは完全に私の持論であって
これが絶対、とか、そういうことは一切ないので

何か思われることがありましたら
そっと教えて頂ければ嬉しいです、


(私はお豆腐メンタルなので、その時は、ぜひ、
 あたたかい言葉でお願いします、、、笑)

 

 

 

さて、今回は、
「ないものねだり」について書こうと思います。

それとセットで、嫉妬についても触れたいと思います。

 

 

生きてたら、誰しも、
"嫉妬"というものに振り回される時が

あるんじゃないかな…

 


嫉妬は、厄介です。

 

ある人が言っていました。 

「嫉妬は、最も醜い感情だ」って。

 

 

たけど私は、嫉妬心を抱くこと自体は
仕方のないことなんじゃないかなって、思います。

 


だって、どんだけ嫉妬したくないって思ったって、
嫉妬しちゃうから。

 


頭の中で思ってる(思いたい)ことと
実際に心が感じて(しまって)ることって、
必ずしも一致するとは限らない。


(というか私の場合は一致しないことばっかです、)

 

 

 

私は普段、あの人のあんな部分素敵だなぁいいなぁって
そんなことばっか考えてます。
(そこに"嫉妬"があるかと言われれば、それはわからないけど)

 


お洒落でかわいい子を見ると
いいなぁって思います。

私もあの子みたいに
オシャレでかわいくなりたいって思います。

 

だけど、私にとって
毎日オシャレを頑張ることはしんどいことで


正直ブランドとかも良く分からないし

オシャレについて考えすぎて
最終的には

オシャレってなんだろう、っていうところに
たどり着いてしまいます

 


多分わたしは、オシャレに向いてないです、


(自分がオシャレを全力で楽しめる人だったら、多分それは「向いてる」ってことになるんだろうけど…)

 

 

 

私の姉は、めちゃめちゃ愛想がいいです。

どんな相手にも

ちゃんとコミュニケーションをとろうとするし、
いっぱい笑うし、
感謝も喜びも悲しみも、寂しい も 好きも、
いつだって全力で感情表現します。

 


まぁ、その分、喜怒哀楽の表現がすごすぎて
おぉ…ってなることもいっぱいあるんだけど…笑

 

 

(喧嘩した時なんて、姉に怒られてることよりも
 こんなに全力で怒れてすごいなぁ、
 こんなに全力で物事にぶつかる人おるんだなぁって
 感心するくらいです。(姉ちゃんごめん))

 

 


私もそうなりたいなって思うけど
「面倒くさい」が勝ってしまいます。

 

怒るのだってエネルギーがいるし

なんで家族にさえも気遣わんといけんのん、ってなります。

 

 

自分も愛想よくしてみよ!って思って

頑張った時もありました。

 

だけど、どんだけ頑張っても

言葉は瞬時にはうまく出てこないし

感情を言葉にのせる方法もよく分からないし


みんなに愛される姉みたいにはなれなくて

 


幼いながらに
あぁ、勝てないなぁって、思いました。

 

 

だけどそんなある日、こんなことを言われました。


感情でしか動けん子どもみたいな性格に飽き飽きしてる。
いつも冷静で客観視できとる春みたいになりたい。

 

って。

 


ないものねだりって、こういうことなのかなぁって
身をもって体感しました。

 

 

嫉妬は、抱いちゃいけない感情ではないし
嫉妬が何かを頑張る原動力になることもあるんじゃないかな、とも思います。

 


だけど、嫉妬ばかりの毎日は、疲れます。

ある人に対して、嫉妬しか抱けないのも
なんだか悲しいし、もったいないなぁって思います。

 

 

それに、嫉妬をぶつけられるのは辛いです。
じゃあ私はどうしたらいいの、ってなります。

 

 

だから、大事なのは、その向き合い方かなと思います。

 

 

私なりの答えは

「同じ土俵で勝とうとしない」です。

 

 

もちろん、
自分もあんなふうになりたい!って思って
いっぱい努力していっぱい頑張ることは

本当に素敵なことだと思います。

 

だってそれは、自分を磨くっていうことだと思うから。

 


だけどそこに
人がどうかってことは関係なくて。


"嫉妬"ってなると、どうしてもその感情を抱かせた"相手"がいる気がして。

 


なりたい自分になるために
いろいろ頑張ることは大切で


自分を高めるものとして存在するものなら必要だけど、

 


すごいなぁ、いいなぁ、って思う人と
おんなじ土俵で闘って勝とうと思ったら、しんどいです。

 


それに、例えばかわいさを追求しすぎて
その人が本来持ってる良い部分を消しちゃうくらい
かわいさを追求することに夢中になってしまったら
それは多分もう、「かわいく」なくなってしまうんじゃないかな…

 

 


自分が持ってない部分ほど
その部分に長けてる人を見て羨ましく思って
いいなぁって思う。

 

だけど、どんな人にも必ず良いところがあって
誰にも負けないくらい素敵な部分があって
見方を変えたら"輝き"になる部分が、沢山あります。


自分のそういう部分に気づけることも大切なことだと思うし、
そこに目を向けてみてもいいんじゃないかなって思います。

 

 


みんな多分、自分にあるものの大きさに気づくことなく
自分にないものに目を向けてしまいがちなんだろうなって思います。

 


私の場合は、思ったことをすぐ言葉にするのが苦手だし
ちょっと引っかかることがあったら
それを気にせずにはいられないし
いつまでもくよくよと考えてしまいます。

 

だけど、それは裏を返したら


その分、人とかモノのことをよく見てるってことで
ちょっとでも良い決断をするために
いっぱい考えていっぱい悩んで
時間をかけてるってことにもなるんじゃないかなって 

 

 

最近やっと、そう思えるようになりました。

 

 

 

自分にないものを妬むよりかは

あるものをどうやったらもっといい方向に

持っていけるかなって考えるほうが

見えてくる世界は格段に明るくなるんじゃないかなって

 

そう思います ˆ ˆ 

 

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自己肯定感が低いと

自分を認め、必要としてくれる存在が
言葉にしてそれを伝えてくれないと
不安になります

 

 

昨日まで幸せな気分だったのに
会えなくなると
自分はひとりぼっちになってしまったんじゃないかと
すぐに不安になってしまいます

 

 

幸せが続くと
いつかそれが壊れる日が来るんじゃないかと
またすぐに不安になります

 

 

 


私の弱さは、多分ここにあるんだろうなぁ

 

 

久しぶりに、自分の弱さとぶつかって
はーあ…ってなってます

 

いつになったら
こんな自分から卒業できるんだろう、

 

 

自分の良いところに目を向けよう!ってことを伝えたいブログだったのに

 

書いているうちに
全然違う気分になっちゃった、

 

暗い気持ちにさせてしまったら、ごめんなさい。

 

 

このブログを読んでくれている沢山の人に
すごいよ、って言ってもらえて

自分の存在を認めてくれる言葉を沢山もらって
すごく嬉しいです

 


だけど

こんなの書いてしまう私は全然すごくないし
むしろ劣等感の塊みたいな人間です

 

 

どんだけ人が認めてくれたって

自分が自分を認めてあげないと

いつまでたっても本当の意味では幸せになれなくて

 

 

みんながくれる言葉を

言葉どおりに素直に受け取りたいのに

 

それができないでいる自分に

本当に嫌になります

 

 

みんなが褒めてくれる自分と

自分が思ってる自分のギャップに

 

 

息がつまりそうになります

 

 

ほんとの自分って、なんなんだろうなぁ…