はるちんのひとりごと

自分の思いを自分の言葉で。喜びも悩みも不安も悲しみも、ぜんぶひっくるめてこの生き方が、誰かの心を救えたらいいな。私の言葉が誰かの人生を照らせたら最高だなぁ。 "絶望だって、分かち合えれば希望になる"

夢縛り

 

どんだけ言葉を尽くしたって

自分が本当に伝えたいことは言葉にし切れないし

いつだって本当に伝えたいこととは

少しズレたことしか書けないでいる。

 

私は心に、どれだけの「下書き」をためているんだろう。

 

会話だって、そうなんだろうな。

 

ほんとのほんとのほんとのことなんて

みんなほんとに言葉にして伝えられてるのかな。

いやむしろ言葉にするとかいう段階の前に

自分のほんとの気持ちを100%正確に

理解することなんてできるのかな。

 

 

でもそもそも"ほんとの気持ち"って何だろうな。

私が今この瞬間言葉にした思いだって

ほんとの気持ちのはずだし、言葉にできずに

押し殺した気持ちだってほんとの気持ち。

 

 

就職活動において大切なこととは何だろう。

なるべく早く、一社でも多くの内定を貰うことが

正解ではないことくらい分かっているけれど、

それでも気付けばいつの間にか私は順調に

「就活生」になっていたし

全国津々浦々それなりに駆け回っている。

 

 

全国の就活生に揉まれながら、ふと考えた。

 

よそいきの自分を作って

自分の飾り方を完璧に身につけることが就活なら

そんな就活ってしんどいな。

 

 

でもきっと、こういう心のモヤモヤをも含めたものが

「就職活動」なんだろうな。

 

 

夢はある意味で

自分を縛り付けてしまうものにもなりうる。

「夢がない」という意味で。

 

友達が大学を辞めた。

やりたいこともなく、叶えたい夢もない。

目的なく入学して始まった大学生活は

思い描いていた"自由"とは違ったものだった。

授業だって、何一つ自分に響く内容のものには出合わなかった。

選択したのは、「退学」という道。

 

そんな彼女を

一体誰が責めることができるだろうか。

 

私には"頑張る理由"があるけれど

でもそれは、たまたまあっただけだったのかも知れない。

 

たまたま この大学で、たまたま この3年の間に

たまたま見つけることができただけなのかも知れない。

 

 

 

 

悲しみを感じるのが辛いからって

悲しむことすっとばしてたら

きっと心は壊れちゃうから

ちゃんと悲しむことってきっと大事なんだよね。

 


毎日それなりに全力で生きているけど

いつまで経っても自分に自信は持てないし

 

1年後の自分は、何か変わっているんだろうか。

 

 

夢を見つけて夢を語って

夢があったから繋がれた人がいて

夢を叶えたいと思い続ける毎日のなかで

 

それと同時に

この世界って一体なんだろうな、という気持ちになる時がある。

 

 

就活ってなんか、自分の人生提出して

採点されて添削される感じだ

自分のことを心の底からすきだと思ったことなんか

1回もない自分のことPRして

過去も現在も未来も引っ括めて

自分はあなたの会社に貢献できますよって報告するの

 


周りと自分を比べては自己嫌悪に陥って、でも、

周りから見た自分の評価が上がったり下がったりしたって

自分がいる位置が変わるわけでもなくて。

 

自分の本音は自分にしか分からなくて、

自分に正直に生きることが1番良いんだって頭では

わかっているけどでも実際そうはなりきれない自分もいて。


でも、どれもほんとの自分なんだ。

就活頑張りたいと思ってる自分も、

素の自分でいたいと思ってる自分も。

 

自分で選んだ道だろうが辛いことは辛いし、

吐き出して「よし明日も頑張ろう」って思えるのなら

溜め込むより吐き出して楽になるほうがよっぽど良いよね。

 

 


好きになれない部分を、願いに変えることもできる。

寂しさや悲しさや悔しさを思いやりに繋げることもできる。

 


私にしかできないことってなんだろうな。

私じゃなきゃだめなことってなんだろうな。

そもそもこういうことを求めすぎなのがだめなのかな。

 

 

でもやっぱり、どんだけ悩んで藻掻いたって

人生の岐路の選択を、悔いの残るものにはしたくない

っていう思いだけは確かにあるんだよなぁ。

 

 

 

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(2019.4.3 , Tokushima)

 

自分が叶えられなかった夢は

誰かの夢に託すことができる

最近その素晴らしさを知ったよ

 


素敵な先生になってね、

 

 

 

 

親とはね

自分の不出来が原因で、落胆している。

私にとって、親の1番見たくない姿。

 

勉強ができなくて、結果が出なくて

何度も何度も落胆させてきた。

 

「比べたことなんてないよ」

「あなたはあなただから」

 

どれだけ言葉でそう言われたって

実感として受け取ってきたのは

"こんな娘でごめんね"って

思わないわけにはいかない

申し訳なさと情けなさだった。

 

 

国立に落ちていたら、私という人間は

親の目にどう映っていたんだろう。

 

「合格」という結果が出なくても、

無気力の中の体力を振り絞って学校に行っていたこと

わかってくれていたかな。

 

まだ夜が明けない真っ暗なうちに登校して

夜が更けるまで勉強してたこと

理解してくれてたかな。

 

それともきちんとした結果が出なければ

それは「努力」として認められなかっただろうか。

 

なんの取り柄がなくたって、1人の人間として

ちゃんと認めてくれていたかな。

 

生きててくれてよかったって、思ってくれてたかな。

 

 

こわくて考えないようにしてるけど

ふと頭の中をよぎることがある。

 

 

 

子どもにとって親とは、唯一無二の絶対的存在だ。

 

どれだけ悲しいことを言われても

どれだけつらい経験をしてきても

それでもそんな親から愛されることを求めるのが子どもだ。

 

いい加減、自分の人生、

好きなように生きればいいのにって

自分でもそう思うけど

21になったって私には

「親に愛されていたい」という、

ほかのどんなものよりも強くて確かな欲がある。

 

この欲からは、一体いつになったら放たれるんだろう。

 

死ぬまでまとわりつくのかな。

 

 

 

「しつけのためなら暴力は必要だ」

という意見があるけど、本当にそうかな。

 

「暴力で、ある程度の痛さを教える必要がある」

と考える人も一定数いるけど

暴力によってしつけられるのはその子の良心ではない。

 

「これをすると殴られるから」やめておく。

そんなものが「教育」って言えるのかな。

 

暴力はきっと、「怯え」しか生まない。

 

 

 

親子関係って本当に様々で

たとえば同じ親から生まれて

同じ親に育てられたとしても

ものすごく優秀で立派な子どもが育つこともあるし

なんにも取り柄がない子どもに育つこともある。

 

 

なんで同じ親に育てられたのに

自分みたいな人間が育ってきてしまったんだろうな

 

勉強ができなくたって

有名な大学に入れなくたって

せめて周りの人を元気づけられるような明るさを持った人間だったらな。

 

 

 

いろんな意味でマイペースすぎて

大丈夫かなって自分でも思う時あるけど、

心の中に違和感が残るまま生きることが

1番自分を壊すって分かっているから

今日も明日もマイペースに生きる。

 

愛されたいだなんてほんとは言いたくないんだ

でもそう思っちゃったから

そう思うことがあったから。

この気持ちから逃げてたら

いつまでたっても私は私の人生を生きれない、

 

自分の心の声に正直に生きていくことが、

結局は誰のものでもない、

自分にとっての幸せにつながる道を

拓いてくれるんだと思う。

(こんな感情を吐き出すのはとっても辛いけどね)

 

こんな簡単なこと、どうして今まで

気づかなかったんだろうな。

 

でも、気づいた今だって

できれば周りに認められて生きていきたいという

気持ちがゼロなわけではないし

一生懸命社会に馴染もうとしている自分がいるのも

ほんとのこと。

 

 

大好きなのに大好きだけど大好きだから

私の中にはいつまでも"コンプレックス"として

存在するんだろうな。

 

 

 

頑張る理由

行事はずっと苦手だったけど

卒業式っていいものだなって初めて思った。

 


「卒業おめでとう」の意味が

初めて分かった気がした。

 


今まではずっと、自分を認めてこれなかったから

ただ学年を重ねて自動的に学校から出ていくことの

何がおめでたいんだろって思ってた。

 


自分は「卒業」したんじゃなくて

「卒業」という名のよく分からない感覚を

迎える日がやって来ただけ、そう思っていた。

 


「卒業」という言葉の重みを

自分の3年間の重みに比べた時

圧倒的に前者のほうが重すぎて

高校の卒業式はちっとも涙が出なかった。

 

 

成人式も行かなかった。行けなかった。

 


でもその日は、

「卒業おめでとう」って言われて

初めて素直に「ありがとう」って言えた。

 

 

私がここで過ごしてきた2年間は無駄じゃなかった、

無駄なものなんかじゃない、有意義なものだったって

心の底から初めてそう思えたから。

 

 


記念日も誕生日もそうだけど

その日になれば何かが急に変わるわけではなくて

節目の名前がついた行事を迎える時は

一体どんな気持ちでいればいいんだろう

そんなものに見合うほどのものが

私にはあるんだろうかって

純粋に楽しい気持ちで祝える軽やかさを持った人たちに

ずっとなりたかった。

 


人の節目に関しては

心から祝福する気持ちを素直に持てるのに

自分の番になると途端に胸がきゅっとなった。

 


でも、今なら分かる。

卒業するって、こんなに素晴らしくて清々しくて

「卒業おめでとう」って、

こんなに嬉しい言葉なんだって。

 

 

 

人生が、こういうものの積み重ねなら、

生きていくって素晴らしいな。

 


今まで過去を引き離して生きてきたけど、

気づけば自分の後ろに

自分を支えてくれる過去を築けていただなんて

素敵だな。

 

 

 

夢は語れば語るほど、現実になりやすいと言う。

言葉にすれば

自分でそう思っていることを自覚しやすくなるし、

何より、周りへの決意表明になる。

 

 

だからこそ、夢を語るのは、ちょっとこわい。

実現できなかった時、

これまで熱を持って自分を励ましてきた"思い"たちが

急に自分を追い立てるものになるから。

 

 

2月は勉強を頑張った。

用事がない日は毎日図書館に行って

向き合い続けてきた問題集は

気づけば4冊目に入っていた。

 

やったらやった分だけ報われるというわけではないから

常に不安を抱きながらではあったけれど

私には"頑張る理由"があったから

不安が自分を突き動かす原動力にはなっても

自分に苦痛を与えるものにはならなかった。

 

 

やることはやってきた。

だけどやっぱり

「就活解禁」とか言われると、不安になる。

 

 


「いっぱい泣いて笑ったね。

 それだけで私らの人生は、他の何にも

 変えられんよね。

 夏が終わっても行き先が見つからんかったら、

 ごはんに誘ってそっと励ましてね。

 就活頑張ろう。」

 

 

 

0時になった途端エントリーページが開設されて

いよいよ就活が解禁した。

未来を想像すれば不安が襲ってくるけれど

同じ道を歩んでいる存在がいる。

 


きっとそれが、今の私にとっての

"頑張る理由"だ。

 

 

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変化の種類

 

「インタビューやブログの書き方について

 お聞きしたいことが色々あるのです。」

 

と後輩から連絡をもらった。

 

自分に語れることはあるかな…と思いながら、

ついに私も、後輩からアドバイスを求められる

存在になったんだ、と嬉しく感じた。

 

 

「先輩はインタビューする時、

 どんなことに気をつけていますか?」

 

「ブログを書く時に、意識していることは?」

 

こんな質問がきて、

正直、ありきたりなことしか答えられなかった。

 

 

"言葉で伝える"というのは難しくて、

自分が経験してきたことも感じてきたことも、

その時の自分にとっては

本当に大きな出来事だったとしても、

それを乗り越えて言葉にしてしまえば

たったの1言や1行になってしまう。

 

 

 

例えば私は、夢を持って大学に入ったけど、

その夢が自分が本当にやりたいこととは

少しズレていることに気づいた。

 

1年くらいかけていろんな社会人の方や職員さん、

メンバーに話を聞いてもらって、なんとか進んできた。

 

でもそれは「その環境に入ったから」できたこと。

逆に言えば、団体に入れば、誰にでもできることだ。

 


環境を変えることによる「ソトからの影響」で

人は変われると思うけれど、

でもそれはあくまで受け身による変化でしかない。

 


自分の内側から込み上げる

「変わりたい」という思いが私にはあったから、

自分自身で変わろうと思って

ブログを始めたり旅に出たりした。

 


その結果、やりたいことをやることでしか

自分の未来は見えてこないと気づいたし、

「自分」がなければインタビューで聞きたいことも

出てこないのだと、体験として分かることができた。

 

 

でも、それらを言葉にしてしまえば、

「"自分"を持って

 やりたいことをやっていくのが大事だよ」

という1行で終わってしまう…。

 


相手がどれだけ凄い人であっても、

自分がその人の思考のレベルに達していないと

引き出せるものも引き出せない。

 


言葉を尽くして伝えたとしても、

相手に同じような経験をしたことがなければ

「文字として」でしか、その感覚は伝わらない。

 


逆も然り。

自分が体験したことでなければ、

自分自身が成長していなければ、

相手がせっかく素晴らしいことを伝えてくれていた

としても、その素晴らしさに本当の意味では

気づくことができない。

 

 


インタビューの仕方やブログの書き方について

話し合っていると、どうしても

"やり方"や"スキル"に着目しがちになるけれど、

でも、それよりも大切にしなきゃいけないことがあると

私は思う。

 

自分自身、どうなりたくて

あるいは、参加してくれる学生に、

記事を読んでくれている学生に、

どうなってほしくてこの活動をしてるのか。

 

 

それが明確に人に伝えられるようになれば、

自然とインタビューしたいこともしたい人も

挙がってくる。

 

 

インタビューしたい社会人を見つけるのも

この活動の課題について考えるのも

結局はぜんぶ自分の中にしか答えはなくて、

自問自答を繰り返すしかないんだと思う。

 

 

 

例えば、私の場合。

いろんな生き方を知って価値観を広げたいから

この団体に入った。

 


🐶じゃあ、なんで価値観広げたいの?

  価値観を広げた先に、どうなりたいの?

 

→今は、狭い選択肢の中でしか

 自分の人生について考えられていないから。

 

 価値観を広げた先で、

 自分が本当にやりたいことを見つけたい。

 

 

🐶なんで「本当にやりたいこと」を見つけたいの?

やりたいことをやらなくても、生きていけるじゃん。


→自分にしかできない生き方をしたいから。

 心がワクワクする瞬間を生きていたいから。

 

 

🐶私にしかできない生き方って何?

   心がワクワクする瞬間って、具体的には?

 

どん底を経験したからこそ体験した思いを

 活かすことができる生き方。

 

ありのままの自分をさらけ出せる人たちと

一緒にいる時。

 

 

🐶どん底を経験したからこそ体験した思いって?

→生きる苦しみ、生きる喜び。

 今は居場所がない人たちにも、必ず居場所が

 あるということを自分の生き方で証明したい。

 


🐶どうして「ありのままの自分」をさらけ出せたの?

→弱い、だめな自分も受け入れてもらえたから。

 

 

➞#居場所 #コミュニティ #生き方 をテーマに

 インタビュー行きたい社会人を探そう!

 


と思えた。

 

 

*****

 

 

変化にはきっと、二種類ある。

ソトからの働きかけによる変化と、

内面からの変化。

 

私がこの団体に入った一番の理由は

「自分がいる環境を変えてしまえば、

 自分自身を変えることができるかもしれない」

と思ったから。

 

これは、"ソトからの働きかけによる変化"

に期待してのこと。

 

だけど、

それだけでは殻を破ることなんてできないこと、

なんとなく気づいてもいた。

 

 

そしてある時から、心に刺さったまま

ずっと抜けない言葉があった。

 

だっぴにいるだけじゃ、だっぴはできない。

 

この言葉を目にした時、本当にその通りだなと思った。

 

 

 

きっと本当の意味での"変化"は、ただ待っていて

向こうから勝手にやってきてくれるものじゃない。

 

でも、このことだって、人から教わるんじゃなくて

経験として自分自身で気づく瞬間がなければ

あまり意味がない(というか、分からない)

ものでもあると思う。

 

 

本当に必要になれば人は動くものだし、自分だって

自分の生き方に満足したことなんて一度もないから、

そんな自分が後輩にあれこれと教えるのも

違うんだろうなぁと思う。

 

 

私は、自分の周りに

内面から「変わりたい」という思いを持って

行動を起こすメンバーが沢山いたから

自分を奮い立たせることができた。

 

これこそが団体にいるからこそ得られるものだと思うし

メンバーから吸収できることは吸収してしまえばいい。

 

 

 

 

人が変わる瞬間を何度も目にしてきた私は、

同期と先輩に本当に恵まれていたんだと

改めて気づいた。

 

 

あとは、自分の背中を見た後輩が何かを感じて

それが行動に結びついてくれれば嬉しいし、

自分がきっかけとなって

メンバー間の"変化の循環"をつくることができていたら

少しはこの団体に恩返しができたのかなと思うけど

それはやっぱり、そんなに簡単なことじゃないんだよなぁ。

 

 

相手の成長に影響を与えたり

変化のきっかけになったりすることができる人間に

なるには、今の比じゃないくらい

器の大きな人間にならなきゃいけないんだろうなぁ。

 

 

自分ら主体の活動が終わっても、

学ぶことの多い団体です…☺︎

 

 

 

 

 

夢の描き方の話

 

 

教育一家(?)に育ったので

自分の周りにいる大人は

親戚も含めてほとんどみんな教師だった。

 

 

花束なんて買う家庭じゃなかったから

普段は花束とは無縁の生活だったけど

 

卒業式や離任式の日には

生徒さんからもらった手紙や花束が

両手いっぱいに持って帰られてきて

立派すぎるお花がダイニングに登場した。

 

 

いつの日か親が家でピアノの練習をしていたせいか

全然知らない学校の校歌のワンフレーズを

今でも覚えている。

 

 

家族みんなでテレビを見ている時や旅行中に

生徒さんの訃報の連絡を受ける親の姿も

もう何度も目にしてきた。

 

 


当時小学生の私にとって

知らない市の小学校も特別支援学校も

"初めて出合う社会"のうちの1つだった。

 

 


教師という仕事のやりがいも大変さも裏側も

なる過程も

多分他の職業とは比べ物にならないくらい

沢山知っていると思う。

 

(他の職業のことを知らなすぎる、

 というのもあるけれど…)

 

学校生活で出会うのも

大人はみんな「先生」だったし。

 

 

 

だからか分からないけれど

物心ついた時からの将来の夢は

「先生になること」だった。

 


一応ちゃんと、理由もあった。

 


勉強を教えるというより、

みんなで戦争や平和について考えたり

命の大切さや人間としての道徳や倫理を教えたりする

授業ができる、そんな先生になりたかった。

 

(周りは何故かみんな道徳が嫌いだったし、

 夢を語るのは恥ずかしくて

 こんなことは人には言えなかったけど…)

 

 


その後は児童指導員という夢を追いかけながら

一応教員の道も考えていたから

教員免許がとれる大学に絞って受験した。

 

(結局、やっぱり違うのかも、と思って

 取るのやめたけど…

 

というより、

「先生になりたい」という思いと言葉だけが先行して

 

あれ、私、本当に先生になりたいのかな、

と改めて考えてみた結果、

 

 

私がやりたいのは

「教育」より「福祉」寄りだと気づいた。

 

そして、

教室という空間、学校という空間に限られること、

自分が1番力をかけてやりたいこと、

最低限こなさなければならないこと、

外野から求められること…。

 

 

いろんなバランスを考えて、私がやりたいのは

「学校」や「施設」などに入り込んでやっていくこと

ではないなと思った。)

 

 

 

 

 

せっかく夢を抱いて大学に入ったのに

また振り出しに戻ってしまった焦りから、

大学1年から2年の間、

ただ、漠然と「居場所をつくる人になりたい」

と思いながらも その夢を仕事にしている職業を

見つけることができなくて

 

職業を決めなければ

自分の進路について考えられない

と思い込んでいたから

 

その時の私は

自分の夢に「職業名」をつけようと躍起になっていた。

 

 


周りのみんなとも、いつも

「何になりたいか」しか話すことはなかった。

 

 


でも、本当は、その先にある

「その職業に就いてどうしたいのか」のほうが

大切なのだと思う。

 


いろんな人と出会い、様々な経験をし

たくさんの葛藤を経て、今の私はやっと

夢を見つけることができた。


というより、自分の経験から浮かび上がった

"心からの願い"を言葉に落とし込むことが

できるようになった。

 

 

なんだかものすごい道を通って

今に辿り着いたような気がしていたけれど、

 

でも、ブログを書いている今思うのは、

 

「あれ、私の夢って、小さい時から案外、

 同じだったんだな」

 

ということ。

 

 

 

あれこれ考えてぐるぐる思考になりながら

同じ悩みで何度も立ち止まり遠回りながらも

根幹にあった思いは幼い時からあまり変わっていなかった。

 


きっと、「夢の名前」ばかり考えすぎて

その名前に囚われて将来について悩んでいたから、

これじゃない、あれでもない、

夢がない、どうしよう!と焦っていたのだと思う。

 

 

 

*****

 

 


小さな時から私は、

人に見捨てられやしないかだけが

いつも不安だった。

 

 

悲しい気持ちはできるだけ封じ込めて、

楽しい気持ちだけを人に伝えるようにして

生きていた。

 

 


最後に自分を選んでもらえるのであれば、

と思いながら生きていたから

傷つけられるようなことがあっても

その度に許し、その人をずっと信じて生きてきた。

 

それが「優しさ」なのだと思い込んでいた。

 


でも、大人になって、

楽しい気持ちだけじゃなくて

悲しい気持ちを受け入れてくれる人たちと出会った。

 


ネガティブな気持ちすらも

私を私として認めてくれる人たちと関わるようになった。

 

喜怒哀楽の、いろんな感情を共有できる

喜びと素晴らしさを知った。

 


これまでの人生で、私が最も心を救われてきたことは

「自分のありのままを受け入れてもらうこと」だ。

 


だから、だから私は、自分の人生の中で

「ありのままを認め合えること」を1番大切にしたい。

 

 

小さなことで、喜んだり、怒ったり。

 


そういう感情を安心して出せる場所があること、

それらを共有できる関係を築けること、

その積み重ねが

私にとって何よりの喜びであり生きがいだ。


(本当はそれが1番難しいことだな、とも思うのだけど。)

 

 

 

今の私には、自分が大切にしたい思いを胸に抱えながら

未来を思い描ける、夢がある。

 

 

でも、「絶対にその夢を叶えたい」

という思いを持ちながらも、

「職業名」にこだわる必要もないのかな、

とも最近よく思う。

 

 


「どんな社会をつくりたいのか」

自分の言葉で、

自分なりの方法で想像できるようになったから

なんだかそれだけで、強くなれた気がする。

 

 

 

自分の夢に職業名をつけることだけが、

「夢を描く」ということではないはず。

 


日常生活の中で、心が揺れ動く瞬間。

されて嬉しかったこと、悲しかったこと。

 

 

「夢」と聞けば

なんだか壮大で物凄いものなような気がするけれど

でも、本当はそういう小さな部分に、自分の夢って

詰まっているのだと思う。

 

 

もっと小さく、今は名もない夢でさえ

これからはもっと大きく、もっと広く、

描き語れる社会になればいいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の原点

 

 

二年前、ある朝鮮学校にお邪魔した。

 

その事前学習に参加するまで

朝鮮学校についての知識は恥ずかしながら

殆どなかった。

 

そもそも「朝鮮学校」というワード自体を

耳にすることがなかった。

 

いや、耳にしていたとしても、体が勝手に

聞こえないようになっていたのかもしれない。

 

 

たとえばテレビで外国のニュースが報道されていても、

海外のことに関心を持つことなく生きていた

私にとって「外国」や「外国人」、「日系人」や

「移民」などについて考えようとしたことなど

一度もなかった。

 

 

私にとってそれらは自分事として捉えられるような、

身近に感じられるような社会問題ではなかったのである。

 

 

事前学習で初めて在日コリアンの方々に関する

ドキュメンタリーや映画を観て、何年間にも亘り

国籍によって自分という人間が揺さぶられる辛さ、

祖国に帰れない悲しみの中を生き抜いてきた

人々の背景を、一部ではあるが学んだ。

 

自分がこれまで考えたことすらない

「戸籍」をめぐる思いや

「同胞」という言葉の意味、

イムジン河」という歌の詩のかなしさなど、

在日コリアンの方々の何世代にもわたる壮絶な人生に

大きな衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。

 

 

事前学習を終え実際に朝鮮学校に足を運ぶことを

考えた時、楽しみな気持ちがある反面、

それを超える大きな不安を胸に抱いていた。

 

自分が訪問することに対し、言葉にせずとも

批判的な思いを持つ方もいらっしゃるかも

しれないと、内心とても恐れていたからだ。

 

運動会の一つ目の題目、

児童生徒の皆さんの入場を目にした時、

なぜか分からないが胸にこみ上げてくる思いがあり、

気づけば私は涙していた。

 

なぜ涙を流しているのか自分のことでありながら

当時はよく分かっていなかったけど、

振り返った今ならその理由が分かる気がする。

 

日本という国に住み、学校生活を送り

色々な苦労や悩みを抱えながらそれでも夢を見

毎日を一生懸命生きていることは、

目の前に見えた「朝鮮学校」という空間に通う

児童生徒の皆さんと自分とで

本当に何一つ変わらないことに気づいたからだ。

 

「国」という単位で分けられただけで

何世紀もの間その言葉と制度に縛られ

心無い言葉や差別偏見の目に苦しみながら

生きている人たちがいる。

 

朝鮮学校在日コリアンの方々を巡る議論や問題は

同じ社会を生きる自分の問題でもあるのだと

その時初めて気がついた。

 

 

運動会の最後を飾るプログラムで

皆が円になって踊る時間があった。

 

少し躊躇いながらグラウンドに足を踏み入れた

私は最初、輪の中に入り切れずにいた。

 

主役は朝鮮学校の皆さんであり

私は見学者(というよりも部外者)である

という思いが強くあったからだ。

 

そんな思いをかき消してくれるかのように

私をスッと導き輪の中に入れてくれたのは、

中学生のある女の子だった。

 

言葉で直接言われたわけではないけれど

私に向けられたあの笑顔は

「一緒に踊ろう」と言ってくれているようだった。

 

彼女たちの全身からあふれだす

包容力や人間力を痛いくらいに感じ、

年齢は自分のほうが上であるはずなのに

彼女たちのほうがずっと大人に感じた。

 

 

 

崔実著の小説、

『ジニのパズル』(講談社、2016年)

に登場する朝鮮学校の生徒たちは、私が朝鮮学校

出会った皆さんと重なる部分が多くあった。

 

朝鮮学校に入学する前、

ジニは「自分が何人であるか」という問いについて

特に深く考えることなく生きていたが、

朝鮮学校に通い始めることで

ジニを取り巻く環境は大きく変化する。

 

北朝鮮のミサイル発射が報道された日、

ジニはいつものようにチマチョゴリを着て

学校に向かった。

 

周囲からのジニへの視線は非常に冷たく、

駅のホームも車内も緊迫した様子であった。

 

そして、ゲームセンターでの悪夢に遭遇する。

 

勝てない。

こんな腐った奴らに、私は勝てないんだ。

 

首を締められただけなら

警察に行ったかもしれない。

 

だけど、そうじゃない。


そうじゃなかった。

だから、私は警察どころか、家族にも、

友人にも、これから先、誰にも何も

言わないだろう。

 

ジニの悲しみと怒りと失望が心に染み渡り、

それらがもうどこへも吐き出されないように、

二度と外へは見せないようにと

自分の心にしっかり鍵をかけて閉じ込めた、

そんな瞬間だ。

 

いつかのドキュメンタリーで見た、

 

「登校途中に全く知らない大人に

 チマチョゴリを破かれた。

 怖くてその日から

 チマチョゴリを着られなくなった」

 

と泣きながら話す、ある学生の姿が思い出された。

 

 

芸能人の本名が報道されれば、その途端にネットでは

「在日外国人は日本からいなくなるべき」

などといったヘイトスピーチとなんら変わらない

内容の差別発言が次々と出てくる。

 

とても悲しく情けないが、差別偏見の目は、

朝鮮学校」という空間から出てしまえば

そこらじゅうに溢れている。

 

朝鮮学校のことに限らず、もちろん自分にだって

 "無知、無関心による偏見を持っていた、"

 と気付かされることは多々ある。)

 

 

暫くの間学校を休み続けたものの、

ジニは「革命家の卵」として、

組織の言いなりである大人たちと闘おうとする。

 

くだらないプライドを持ち

周りに流されるがまま生きている大人たち、

 

そして自分とは無力な存在だと思い込んでいる

友人たちへ思いを込めて、行動を起こす。

 

しかし、その事件以来、

ジニは精神病棟に入ることとなる。

 

面会に来る家族はみるみる痩せていき、

大好きだった友達はショックのあまり不登校になった。

 

自らが「革命」として起こした行動が、

自分の大切な人たちを悲しませている。

 

そんな矛盾を抱えながら生きていくうちに、

ジニは思うようになる。

 

もしかしたら

私が頑張って生きなくても良いのかな。

 
ただ身を任せるように生きているだけでも

良いのならば、そうでありたい。

 

在日外国人に向けられる無知や無関心、

差別偏見の目が生み出す無自覚の刃は、

これまで一体どれほどの勇気ある声や行動を

潰してきただろう。

 

朝鮮半島だけにではなく、日本国内にも引かれた

目に見えぬ三十八度線と闘う日々。

 

会ったことのない家族との手紙でのやり取り。

 

その全てには、ジニの心の叫びが込められていた。

 

その叫びを、勇気を、

消してしまう社会であってはならないと思う。

 

ジニを巡る様々な大人、世界は、

決して本の中だけの話ではないのだ。

 

何もかもを失う覚悟で奮ったその勇気を、

かき消すのではなく、拾っていける社会でありたい。

 

 

 

感想を読んで思わず涙がこぼれました。

参加された学生さんの純粋な気持ちが

伝わってきたからです。

ありがとうございました。これから共に

明るい未来を切り開いていきましょう。

 

未来を担う若い世代が、在日同胞について、

学び、ふれあい、認めあう大切さ、

たくさんの人に読んでほしい!

 


私の運動会の感想文を読んで、

朝鮮学校の方からこのような感想を頂いた。

 

閉じていたのは、私の方だったと改めて気づいた。

 

在日外国人の方々を巡る問題に

全く関心を持つことなく生きてきた自分が、

ある日突然学校にお邪魔しても

快く受け入れてくれる。

 

全国各地でヘイトスピーチの対象となっているのは、

あの時包み込むような笑顔で

輪の中に入れてくれた女の子であり、

こんな自分が書いた感想文を

涙を流しながら読んでくれている方々なのだ。

 

そう思うと、私はこの言葉と一生向き合っていきたい、

向き合っていかなければならないと強く感じる。

 

多様な背景を持つ様々な人々がともに暮らす

この社会に必要なのは、きっとこうした

「出会い直し」だ。

 

無知による無自覚の差別意識

自らの中にもあるかもしれないという意識を持ち、

分かり合えるための努力をしていかなければならない。

 

そのためには、歴史と向き合う必要がある。

リアリティに目を向けることを忘れてはならない。

 

同じ苦しみや悲しみを次世代に遺さぬよう、

新たな歴史を築いていける人間でありたい。

 

平和の為に戦うことを恐れず「革命」を起こした

ジニのように、違和感に従って声を上げられる

人間でありたい。

 

 

一人だけが輝いていても仕方ないの。

 

と、ステファニーは言った。

その通りである。

 

 

一部の人間だけが生きやすい社会など、

誰にとっても安心できない、

いつ壊れるか分からない怖さと脆さを持った

危険な社会である。

 

 

国籍が違えば、

帰る国を一つに絞らなければ、

「技能」がなければ、

「私たち」は存在を否定されるのか。

 

 

数字として、

番号として登録されなければ、

「私たち」はこの社会で生きていけないのか。

 

 

そんな社会ではなくなる日が来るまで、

この問いを大切に持ち続けたい。

 

 

 

*****

 

 

 

初めて社会学の授業を受けた日の衝撃。

 

「書く」とは己の心と真正面から向き合い

自分の生き方を見つめ直すことだと気づいた瞬間。

 

在日コリアンの方々とお会いし、

初対面とは思えないほどのあたたかさで

迎え入れて頂いたこと。

 

自分と向き合うことが辛くなって

社会学から逃げていた時期のこと。

 

自分なりでいいからまた社会学を学んでいこうと

思えた日…。

 


久しぶりに色々思い出し、

泣きながら自分と社会学について考えた。


私はこれまでの人生で、

自分を見失いながら生きてきた。


生きることを辞めようと何度も思いながら、

それでも死ぬ勇気すら持てずに毎日を生きていた。


それなのに、自分が生きづらさを抱えながら

生きていることに気づいたのは、大学に入って

社会学の先生の授業を受けた日のことだった。


あれだけ苦しみながら生きていたのに、

自分の心が死んでいたことに気づいたのは

あの時初めてのことだったのだ。


私は国籍という制度の問題で悩んだ経験など

自分の人生で一度もなかったから

国と国の間で苦しむ方々のことを学ぶこと自体

入学当初の私にとって

自分に直に関係のあることではなかった。


それなのに、社会学を通して入ってくる言葉は

自分の心に深く刻まれる衝撃を伴うものだった。

 

 

3年になった今も、それは変わらない。

 


どうして私はこんなに社会学という学問に

自分の心を揺さぶられながら

生きているのだろうと考えた。


それはきっと、

社会学を通して出会った様々な言葉と経験が

私の心を救ってくれたからなのだと

今になって思う。


自分がこの学問についてあれこれと語れる

人間ではないことは重々分かっているけれど、

 

社会学を通して出会った先生や地域の人たちから

教わったことを日常の中で思い出すことが

幾度となくある。


というより、心の中に刻まれて

ずっと忘れないでいる、

というのが正しい表現かもしれない。

 

そんな人たちが教えてくれたことを、

誰かに伝えていける人間になりたい。

 

 

 

 

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15年ぶりに見た東京タワーは、

それはそれは綺麗だった。

 

 

 

 

自分の原点と叶えたい夢を胸に

明日からも生きていこう。

 

 

 

 

 

 

夜の散歩道で考えたこと

 

 

どんな行動も

「できて当たり前」、「してくれて当たり前」

たるものなんてなくて

 

 

その"頑張り"や"思い"をやっぱり人に認めらながら

生きていきたいと思ってしまう。

 

 


今日は、お互いの生き方について

友人と盛大に褒め合った。

 


「なにを馬鹿げたことを」って

思われるかもしれないけど、

 

 

言葉にして褒めてもらうことがないと

自分でも気づかぬうちに

「認められたい」欲がむくむくと大きくなって

 

 

それがモヤモヤになったり、

「こんなにやってるのに、

どうしてわかってくれないの」

という気持ちになったりする。

 


私は私の行動をちゃんと見てくれていて

心を通わせてくれる、通わそうとしてくれる、

そんな人たちと一緒にいたい。

 

 

 

昔のブログを読んでいると、

 

「あぁ私、自分のことを分かってほしかったんだなぁ。

 人に認められることに、飢えてたんだなぁ」

 

と思うことがある。

 

 

(そのことに気づかず必死で文章を書いていた

自分がちょっとだけ恥ずかしい。)

 

 

 

今は、「褒めて褒めて」なんて思わないし、

自分のことを分かってほしいと思う人に

分かってもらえていることを

実感として捉えられているから、

感情の波はあれど、心は安定している。

 

 


人の喜びが自分の喜びと重なる時、

自分がここに生きている心地がする。

 

 

喜びを共有でき、悲しみを分かり合える友人がいる。

 

 

 

改めてそう気づけると、どんな経験も

不思議と光のようなものになる。

 

 

 

日常には、人の幸せが必要以上に覗けてくる仕組みが

うんざりする程たくさんあって、

ついついそれに翻弄されて

大切なものが見えなくなる時がある。

 

 

人を妬んだり蔑んだり嘲笑ったりしたって

自分のいる位置が変わるわけじゃないのに

 

 

余裕のない時は、人の幸せと自分の不幸を

結びつけてしまいそうになる。

 


(人が幸せになったからって

自分が不幸になるわけじゃないのに。)

 

 

 

でも、人を羨ましく思う、「いいな」と思う気持ちを

押し殺さなきゃいけないわけではない。

 

 

そこがこんがらがって、

 


『「人の幸せは人の幸せ」、

 「いいなって思ってもいいんだよね」、って

  思えなくなること』

 


が、長い時間かかったけど、やっとなくなってきた。

 

 

 

 (二重否定で読みづらい表現してごめんなさい。

  でも、

 『「人の幸せは人の幸せ」、

  「いいなって思ってもいいんだ」

   って思えるようになった』だと、

 私が伝えたいことと少しズレてしまうから。)

 

 

 

こんなふうに思えるようになったことは、

いつも自分と人を比べながら生きてきた私には

大きな成長だと思う。

 

 

 

そんなふうに変わることができたのには、

自分自身が変わった部分も

少しは影響しているかもしれないけれど

 

 

でも1番は、

自分を自分に戻してくれる存在と出会えた

(出会い直せた)ことが大きいと思う。

 

 

 

理不尽なことも悔しいことも

ほんとはいっぱいあるけどさ、

それをひん曲がった方向に持っていくのはでなくて

 

 

それはそれとして受け止めて、

不幸な方向に繋がれていく連想を食い止めてくれる。

 

 

 

私を私に戻してくれる人たちが沢山いるから

今日も私は私でいられる。

 

 

 

そんな人たちを、ずっと大事にしていこう。

 

 

 

改めて心に誓った、そんな夜でした。